2021年9月7日火曜日

恢復の感触

 ずいぶん涼しくなった。昨日(9/6)は、曇り空。リハビリへ行くのに、歩きを再開した。約5㌔。暑くなる前に歩いて通ったポイントを通過するのに、何分かかっていたかと比較しながら、我が体調の回復度合いを推し量っている。

 初めてこのクリニックに足を運んだ5月の連休明けは、カミサンが付き添った。1時間ほどかかったろうか。そのときは、かかる時間は気にとめていない。それよりも、途中で右肩にかかる強張りが重くなり、歩くのが大儀になった。何度も、ひと休みしなければならなかった。

 ひと月たった頃は、続けて眠れるようになったことに「回復」を感じている。といっても、1時間半ごとに目が覚めていたのが、3時間とか4時間半と延びている。歩くときの肩や首の強張りは、歩く時間に比例して強くなり、ときどき休まなければならなかった。 7月末には、日光白根山近くの座禅山へハイキングに出かけた。4時間ほどの行動時間。3時間の歩行。背負ったリュックの右肩が痛くなり、前に抱えたり、下ろしたりする。同行したカミサンが鳥を観ながら付き添い、気分も変わってずいぶん長時間過ごした。

 普段、図書館へ行ったり生協へ買い物に行くなど、合計1時間から1時間半、7千歩~1万歩ほどは歩いていた。リュックに5㌔ほどの荷重があると、途中の公園でベンチに腰掛けて一息入れる。リハビリ病院へはその後、暑さに辟易して自転車だったり、車にしたりして、9月を迎えた。そして昨日の、往復2時間ほどの歩行。

 昨日は、ほとんど右肩の強張りを意識しないで歩いた。リュックで汗ばむ背中を嫌って前に抱くようにはしたが、歩くのをしんどいとは感じなかった。行きは51分、帰りは54分。歩く速さも、そこそこ恢復している。

 8月から始めた鍼治療も、振り返ってみると恢復に効果を発揮している。睡眠が続けて7時間とか8時間とれることもある。時に9時間続けて寝られるとリハビリ士に話すと、「えっ、それは寝過ぎですよ」と笑う。そうだよね、若い頃は6時間も寝れば十分と思っていたなあと、我が歳を思う。

 恢復の感触が、さて、山歩きでどこまで通用するか。あとひと月ほどで、事故があってから半年になる。

2021年9月6日月曜日

もしアフガンに暮らしていたら

 アフガニスタンのカブールで女性たちのデモがあったと、TVで画像が流れている。ちょっとホッとする。米軍の輸送機にしがみついて振り落とされて何人かが死亡したとき、ああ、蜘蛛の糸だと思った。ひとつの世界ががらりと転換して様相を変えるときの庶民の姿が象徴的に現れているようで、胸が塞がれた。

 もしアフガンに暮らしていたらと、このときに思った。ぱっと思い浮かんだのは、場所は違うが、タリバンに襲われて瀕死の重傷を負った少女、マララ・ユスフザイさん。私のぼけ頭でもすぐに名前が出てくるくらい著名になった。そのときに、女は学校に行くな、一人で家から出るなと、イスラムの戒律にあるとタリバンがいっていると知った。

 いつであったかもう十数年前、イランに行ったとき、厳しい戒律の下に置かれている女たちを見た。入り口のドアにはノッカーが二つついていて、訪問客が女の場合と男の場合とで使い分ける。それに応じて出迎える側の性も変えていくという。イスラム寺院を訪問したとき、女性たちには全身を覆う黒いチャドルが用意されていて、身を覆わなければ入らせないと入口でやはり黒い衣で身を覆った女性がチェックしていた。しかし、町中で見かける女性たちは概して明るく、テヘランなどの都会の商業地では、ヒジャブと呼ばれるスカーフだが、彩色の際立つのを巻いて闊歩している姿も見かけた。また、日本人が珍しいのか、女子高校生たちが固まって私たちを指さすようにしてキャアキャアと声を立てているのも見かけたから、変わりつつあるイランのイスラムと希望を感じていた。

 イスラムの戒律にある女性への規制は、父権主義的な、つまり女性を保護することを趣旨とする男性側から仕掛けた解釈の適用と受け止めていた。だが、学校にも行かせない、単独の外出も認めないというタリバンの解釈は、時代を飛び越えて7世紀のムハンマドの時代が顔を覗かせた気配であった。そのタリバンが国家を掌握した。米軍が駐留している間の二十年間に政権が保持してきた自由な(しかし混沌の)空間が消える恐怖が、重く感じられたのであった。

 そんなときに、横山秀夫『出口のない海』(講談社、2004年)を手に取った。これは、2008年に一度読んでいる。太平洋戦争中に応召された大学生が、敗戦を見通しながら軍務につき、自爆兵器「回天」の搭乗員としてどう死ぬかを自問自答する物語である。2008年には、一人の野球青年の人生として、背景の戦局と空襲に追い回される人々の暮らしへ思いをいたしながら、読み進めた。『半落ち』でデビューした横山が、こんな作品を書くのかと思いつつ読んでいる。

 今回は、もしこれがアフガンに身を置く一人の若い女性だとしたらと思いつつ読み進めた。そうか、彼女たちは、この主人公のように自問自答しながら生き、そして死んでいくのかもしれないと、自作自演の感銘を受けつつ読み進めた。

 軍国主義が圧倒的に制圧している日本。軍務につくのは、当然とする社会的風潮。外国勢力に支配され、戦場であったアフガンも好ましくはないけれども、タリバンの支配は、まるで軍務についた主人公が、どんどん回天搭乗員としての訓練を受け、逃げ場をなくして攻撃に向かう。だが、回天自体が想定されたように不具合を起こして起動せず、生き残って帰還する。再び訓練生活に戻るが、死を約束された立場が変わるわけではない。その間の、周囲との関係から行きつ戻りつする自問自答が、まさしくタリバン政権下の女性の立場を象徴していると思えた。

 7世紀初めにムハンマドがアッラーの天啓を受けた頃には、父権主義的な観念、女性を絶対的に保護すべき内属的存在として規定し、いわば暮らしの土台として位置づけていた。しかしその後、世界の交通は圧倒的に頻繁、煩雑になり、人の暮らしも大きく様変わりした。世界がどのようにつくられ、他の世界の人々がどのように生きているかを知った人たちにとっては、1400年前の世界は窮屈な牢獄に見える。イスラムという社会環境の中に閉じ込め、浮かび上がることを絶対的に拒絶された世界である。まさしく、回天である。

 保護なんか、いらない。放っておいて! と叫ぶ女性の声が聞こえる。その場に生まれ、そこの空気を吸って生きていかざるを得ない(しかし、別の世界があることを知った)青年が、ではそのとき、どのように自らの人生の意味を思い定め、日々を送り、ある諦念に到達して回天に搭乗するか。

 カブールの女性たちのデモ行進。アフガンの女性は、この青年にくらべたら、まだ自在であるようにも感じる。どう牢獄を打ち破るか。他人事ながら、幼い頃の我がこととしてみている。

2021年9月5日日曜日

文化のずれに身が慣れる

 大学の同期、だが年齢は上ということは、よくある話だ。私の世代では、同期でも、年齢が上とわかってからは敬称を用いた。長幼の序という序列意識が、社会的にも一般的であったし、長じている方が、知的にも生活的にも、しっかりしたものを持っていると感じてもいたからだ。

 仕事に就いてから、そのあたりの序列が、多様化してきた。知的に優れているかどうかということとまた別に、仕事に長けているかどうかが目につくようになる。人柄も、その時々のこちらの都合も織り込まれて、その長短や善し悪しをみるようになる。私の場合、長幼の序ばかりは変わらなかったから、それはきっと、「(生きてきた)時間」に対する感覚だけは、私の実存とは別の理由によって存在している外部的な尺度と考えていたのかもしれない。そのほかの、人と向き合ったときの感懐や振る舞いは、ことごとく私自身の内面の鏡のように思えたから、相手の言動によって腹を立てたり、すぐに攻撃的に反発したりすることをしなくなった。一度、己の腑に落として、咀嚼吟味して後に吐き出すようであった。

 そういうことを思い出したのは、都内のエスカレータで昔の(大学時代の)同期生に硫酸を掛けて捕まった男の鬱憤のワケを聞いたからだ。同期とはいえ年齢が上の私を呼び捨てにした(敬語敬称を使わなかった)と、溜まった鬱憤の説明をしたと報道していた。そうか、捕まった男は「長幼の序」感覚が私(世代)に近い。

 呼び捨てにするというのも、今時の若い人たちの文化なのだろうと思う。知り合いの間での私たち世代は、本当に親しい間柄か、明らかに社会的な序列が明確な下僚に対してでない限り、呼び捨てにすることはしない。学校などの同世代が言葉を交わしている時に呼び捨てにする人物というのは、対象として(客観的に突き放して)みているときの表現であった。それに敬称をつけて、「マルクスさんは……」という先輩が一人いたが、ほとんどユーモアと受け止めていた。

 だが若い人たちの世代は、親しいかどうかだけでなく同輩であれば、男女の間でも、呼び捨てにしても違和感がないように振る舞っている。欧米文化の影響とも思うが、敬称が変化していると、感じてきた。

 いや何もそれほど世代を隔てていなくても、長幼の序が崩れていると感じたことは、一度や二度ではない。ほんの十歳若い世代が、職場秩序があるから敬称は省かないが、明らかに「年齢に関係ないよ」という言動をとることに出くわしたことが多々あった。慇懃無礼というやつである。イケイケドンドンという社会的風潮もあったろう。新しい技術が社会を切り開くという生産主義的傾向も後押しをしたのであろう。年寄りは迷惑というホンネを隠さなくなったともいえるかもしれない。文化は急激に変容していた。

 そういう意味で硫酸男は、古い世代に属する文化を身につけてきていた。それに対して、掛けられた男は(掛けた男の話が事実だとすれば)、若い学生の同輩に対するごく普通の文化を吸収していたのかもしれない。そのずれが、硫酸男が身に抱えた鬱屈によって増幅され、噴き出したのだろうと思った。

 文化の潮流は行く川の流れ同様に、絶えずしてとどまりたるためしなし、なのだ。だが、淀むところもあれば、急流となって急ぎ足で流れ下るところもある。川床の凹凸や川筋の屈曲が流れの様を変えているのかもしれない。その屈曲や凹凸が、一人一人の抱える鬱屈となって身のなじみ方を変えていっている。そうした文化の変化に、身が慣れるのか、あるいは馴れるのか。ひょっとしたら、狎れてしまうのか。そういったことをふりかえってみると、私たちの受け継ぎ、手渡している文化も、一筋縄で語ることはできない。

 まして、海外からの文化の流れ込みもある。海外への流出が向こうの文化と融合してハイブリッドとして流れ戻ってくることも多くなった。「日本人」とか「日本文化」を固定的にみてとるわけにはいかない。ヒト・モノ・カネの流れとエコノミストはいうが、ことごとくを文化の流れとその変容とみると、ただ単に生産主義的にみるのではなく、暮らしや生活関係のすべてを視野に収めて、多面的にも多様にもみることができる。

 文化の変化に身を馴染ませ、自らのそれと外からのそれとのずれを一つ一つ意識しつつ、受け入れていくことが、これからの日本の姿と思われる。古い規範にとらわれた鬱屈をぶちまけていては、自らのアイデンティティすらわからなくなる。そんな時代を歩いている。

2021年9月4日土曜日

当たるも八卦

 昨日(9/3)の記事、「気分一新という禊」をアップした状況を、ちょっと説明しておきたい。朝方起きてから書き始め、食事で中断し、ほぼできあがった頃に医者へリハビリに行く時間が来て出かけ、戻ってきてブログ記事を仕上げて、アップした。いまみると、11:49。そろそろお昼かと食事の用意に取りかかり、TVをつけたら、なんと「総裁選に立候補断念」と宰相の動静を報道しているではないか。驚いたね。

 ブログの「気分一新」は、自民党幹部人事の刷新を指しているつもりであった。新総裁がどうなるかも、その中に含まれるとはいえ、まさか菅総裁が、立候補を断念するとは考えてもいなかった。まさしくこれは、サプライズだね。当たるも八卦。

 とはいえ、昨日書いた趣旨は、変える必要はない。メディアは、前日にもまして、「気分一新」して、番組制作に慌ただしい。その「気分一新」が「人心一新」と一緒くたになって、移ろいゆくのが、私たちの悪くクセだと指摘したのが、昨日の記事であった。こちらは八卦かどうかではなく、モンダイ提起の哲学のつもり。

 ま、そこんとこよろしく。

2021年9月3日金曜日

気分一新という禊(みそぎ)

 コロナウィルスの勢いがちょっと止まった。専門家の解説を聞くと、お盆の人流があって首都圏で減った感染が、今、数字に現れているという。また今後はお盆明けの人口集中が蘇って増えるだろうから、警戒を怠るなと引き締めにかかっている。

 宰相が「日の目が見える」とコロナ収束の先行きを見込んでいたのは、ひょっとすると、このお盆時の(首都圏の)「人流が止まった」ことを指していたのか。そう考えると、なるほど、人流と感染拡大との相関を言い訳にしていた宰相のコロナ観がみえる。

 そうしてマス・メディアは、目下、自民党の総裁選に関心を移しつつある。菅政権の失政を、それを支えてきた自民党の無能無策と捉える視点は消え失せて、力関係と人事の争いの面白さに浸されつつあるようだ。

 支持率が落ちている菅宰相は、対抗馬が提案する党幹部人事の刷新案を意識してか、自民党の幹部人事を刷新すると発表した。あさって(9/5)からの話題が提供されて、マス・メディアは「活気」を取り戻し、自民党に関する報道が集中しつつある。そこへもってきて昨日(9/3)菅総裁が自民党へ出向いて幹事長に会ったものだから、「ひょっとしてサプライズか」とメディアは沸き立った。つまり、解散総選挙という奇手に打って出るのか? と色めき立ったのだが、それもこれも、自民党の人事に人々の気分を誘導するためのお膳立てというわけだ。

 《みそぎして思ふことをぞ祈りつる やほよろづの神のまにまに》

 と、宇治拾遺に歌われた(13世紀初め頃の)私たちの、自然(じねん)の心情に寄り添うように考えると、自民党の人事刷新というのが、「みそぎ」に当たるか。水をかぶって身を清め、犯した罪や被った汚れを除くという振る舞いと見なすか。あるいはさらにもう一歩先の総選挙で過半数をとることによって、コロナもオリンピックも、チャラにして水に流す国民性に期待しているのか。

 これに苛立ちを覚えるのは、いつだってこうしてモンダイ人物を水に流して、じつは、モンダイの在処まで水に流してしまうからだ。つねに出直してばかり。モンダイの核には踏み込まない。踏み込んでいないという意識もない。人が変われば、手立ても変わるだろうという期待は、配役を入れ替えて同じ物語を繰り返しているだけ。これでは日本は、変わりようがない。千何百年も、こういうことを繰り返していれば、それが習い性になってネーションシップとして染みついてしまう。ネーションになったのはまだほんの百五十年ほどだよと言えばいえるが、島国の一体性というか、列島人としてのアイデンティティというか、そんな風な漠然とした自然観のもたらす同一感覚に染みついた「自然(じねん)感覚」、つまり気質が感じられて、なんとも言いがたいジレンマを味わっている。

 やっぱりそれじゃあ、まずいよと、誰が誰に向かっていつどこで声を出せばいいか、それすらわからない。「禊ぎ感覚」も、なんとなく共有していると思っているだけで、じつはただ無関心が広がっているだけ。マス・メディアのディレクターたちが勝手に「共有している」と思っているだけかもしれない。その一体感のベールを食い破るのは、ではどうやって? だれが? どこで? いつ? そうそう、なぜ? 

 こうして呟くだけが、目下の手立て。こちらは歳をとっているから、それでいいようなもの。若い人たちにとっては、たまらないだろうなあ。えっ? そうでもないか。

2021年9月2日木曜日

デジタルとアナログの陥穽

 昨日(9/1)の新聞の埼玉版に「12日間の安否確認なく死亡」の記事が載った。

 先月11日にコロナウィルスに感染が判明。軽症と判断され経過観察。ところが27日に119番があり、それを通じて死亡が確認されたという。基礎疾患のある60歳男性。妻も感染して自宅療養していたそうだ。その記事からわかったこと。

(1)保健所は自宅療養者の「健康観察」を支援センターに委託していること。連絡が取れないときには保健所に連絡。保健所が安否確認をするという。

(2)支援センターは「連絡」を「自動音声による電話」で行っていること。

(3)健康観察の対象者は一日9000件に上り、50人の職員で対応している。

(4)同様のケースで死亡していた高齢者がほかにもいた。


 保健所が手一杯ということは、1年以上前から聞いてはいた。支援センターへ「健康観察」を委託するってことも致し方ないだろうとは思う。だが、1年前に較べると感染者数は十倍を超えている。だから支援センターを設けたのであろうが、「連絡が取れなかったときは、保健所に知らせて、保健所が安否確認をする」という。これは、どういうことだ?

(1)では、支援センターは、責任ある仕事のインセンティブを持てない。安否確認というのを、医療的な診断を含むと考えると、医療素人の支援センターには任せられないというのも(理屈としては)わからないでもないが、軽症の状態が続いているかどうかを「確認する」と考えると、支援センターに任せることができる。ただ単に「連絡がつくかどうか」だけではなく、電話に出る状態が続いているかどうかだけでも、「責任」は大きく生じる。だが、責任を負っているという感覚は、支援センターにはなかった。

 それを明かすのが、(2)だ。「自動音声」というのは、近頃の「世論調査」などで用いられている電話手法であろう。私は機械音だとわかるとすぐに電話を切ってしまう。「失礼だ」と感じるからだ。アナログ育ちの世代には、慇懃無礼な機械音を聞くと、馬鹿に済んじゃないよと思ってしまう。それに機械は、「連絡が取れない」という事実だけを理解するが、その出られない電話口の先にある事態に想像が及ばない。まず、これで「連絡している」と考えている支援センター自体が、「責任」を感じていない。もしAIに「連絡が取れないのが二日続いた」という設定でもしてアラームが鳴るようにしていれば、少しは変わるかもしれないが、これだけで、自宅療養者は、放置されているとわかる。

 一週間ほど連絡がつかなくて、「看護師が直接電話」と記事は書いている。「本来ならば、直接電話に出ない場合は、保健所に連絡し、保健所の職員が直接自宅を訪れて安否確認」と手順を考えていたらしい。

 モンダイはここだ。ただでさえ忙しい保健所に「連絡がつかないと知らせる」ことが、できるかどうか。支援センターが責任を持っていれば、「状態確認」はできる。そうとなると、「責任」が生じるから、支援センターが自ら出向いて「確認」するだろう。だが、「連絡が取れない」について、「二重のチェックができていなかった」と弁明しているとあるが、そんなことに二重のチェックということ自体に、責任感覚のなさが現れている。責任がないところに矜持は生まれない。機械的に電話をしたという「記録」を残すのが仕事ということになる。自宅療養は、見放されている。

 加えて、支援センターの仕事の多さだ。50人の職員で一日に9千件の電話をするという。一人一日に180件の電話。勤務時間を8時間フル稼働と考えても、平均して一人当たり約3分。電話が鳴る。病人が受話器を取るまでに1分かかってもおかしくない。

「様子はいかがですか?」

「はい、ありがとうございます。なんとか……」

「熱は? パルスオキシメーターの表示はいくつになっていますか?」

「熱は……、オキシメータは、今ちょっと調べてみますね……」

「食事はとれていますか? 食べ物はありますか? 必要なものがあれば教えてください」

「食欲がありません」

 とやったら、普通に自宅にいる人だって、3分はかかる。まして職員も、昼食は摂るし、トイレにも行く。8時間ぶっ通しで電話機に張り付いているわけにはいかない。そういうわけで、自動音声の導入なのであろう。だが、若い人はともかく、年寄りはアナログ育ち。近頃はやりのカスタマーセンターに電話をするだけで、10分は待たされる。用件が済むまでに20分から30分かかることもある。アナログ育ちは、そこまで機械に向き合えない。

 総じていえば、医療は完璧に崩壊している。ワクチン接種も効かないと名古屋の市長も証明している。つまり、コロナ感染の自己防衛に失敗したら、運を天に任せて祈るしかないのが、現状だというのが、この記事の教えていることだ。

 コロナ感染について「明るい日が見える」とこの国の宰相は言ったそうだ。何を見てんでしょうね、この人は。

2021年9月1日水曜日

言葉を脱ぐ

 石山蓮華が「言葉を脱ぐ」という表題のエッセイを書いていて、目をとめた。雑誌「新潮」2021年7月号。

 二十歳から6年間していたTVレポーターの仕事のこと。街頭インタビューに駆り出され、「街の声」をもらう。問いかけの言葉も、聞き出す言葉も、自分がそのとき選び取ったものではなく、あらかじめディレクターから渡された台本に記されていること。しかもそのときの声のトーンも、応えてもらうときの相手のテンションにまで、(台本にあるような)「一言お願い」をして引き出してくる仕事をしていると、

《私の体の中で他人のように考え、他人の考えた言葉をしゃべっていると、腹の中が疑問と違和感でパンパンになる》

  と。ああ、これは、先にオリンピックで見られたシモーネ・バイルズの「ゲシュタルト崩壊」(2021-08-10ブログ参照)寸前の状態と同じだ。バイルズも、自分の今やっていることは自分の選び取ったことなのだろうかと、「腹の中が疑問と違和感でパンパンにな」っていたのではないだろうか。1960年代の哲学者なら「自己疎外」といったであろう。だれもが大衆社会で味わう疎外感と謂えばそれで片づいたこと。だが今は、もう少し踏み込んで、人の機微に触れている。

「ことば」がそもそも持ち来たっている社会性、つまり世の中に通有する「人様のもの」から始まっている。それを「我が言葉」にする過程が、若い者が大人になることと同義であった。それなのに、大人になり仕事をして世に認められていく過程で、こんなにもたくさんの人様の言葉を重ね着していかねばならないのかと感じる「疎外感」は「離人症」を発症したかと思うほど、我が身から離れ、ふわふわと周りを漂っている。人との関係を「かたち=ゲシュタルト」にしている「ことば」が、「(情報伝達の)彩りのために添えられた電飾」になっている。自らの感性や感覚から飛び離れてしまっている「仕事の言葉」、社会的に流通する言葉。

 そういうとき、石山蓮華はどうするか。マイクをしまって、自分の荷物から本を取り出し、目を通す。言葉を脱ぐという。

《私にとって、本は他人の言葉を脱げる小さな部屋のようなものだった》

《体中にぷかぷか浮かんだ疑問や違和感は本で出会った言葉によって整理され、やっと自分の手で触れられるようになる》

 と。わかる、わかる。本はマイペースで読める。引っかかったらそこで立ち止まることができる。繰り返し読みなおすこともできる。それはじつは、自分と向き合い、自分の感性や感覚を吟味し、その確かさを確認する行為でもある。時には、その自分の感覚すら、借り物の、根拠がわからない、ただ長く伝承されてきたことを、口伝えに受け取っていたことに過ぎないと、感じることもある。だからいつでも、自分を確信できるわけではない。それを石山蓮華は、どう見るのか。

《私が言葉にしたかったことは、大抵の場合すでに誰かが本に書いているのだ》

《松明のような本に出会うたびに、まだ聞こえない私の言葉も、いつか聞き出せるかもしれないと勇気をもらえるのだ》

 と発見する。謙虚で素直。でもすでに「自分の言葉」になっている。自分の使っている言葉が「他人の言葉」と知ったこと自体が、その分岐点だ。

 もちろん、いつでも他人の言葉はつきまとう。だって、それを抜きにしたら、社会的な通用が無効になってしまうからだ。言葉の社会性というのは、「他人の言葉」と「自分の言葉」との相互往来であり、その間に介在する「自分の感性や感覚や常識」「社会的な感性や感覚や常識」との間に報じる違和感や疑問を手放さずに、常に吟味し続けること。多面体的で多様な社会の方は、そう簡単に吟味に応じない。だがすでに自分が身につけている言葉ですら、元はといえば生育歴中に、親や周囲の社会からいつ知らず吸収して違和感なく身につけてきた「身についた言語」だ。それにすら疑問を抱き、一つ一つ脱ぎ捨てていきながら自分の言葉を再び「身につける」。それが、自分の言葉を再獲得する小さな一歩であり、同時にそれがまた、社会の一歩になっている。20代の後半を過ごしている石山蓮華は、その一歩を踏み出した。

 それの繰り返しが、人生というものだと、70台の最終年を送る年寄りは思うのであった。