2022年2月7日月曜日

研究ってなんだろう?

 荒木優太編著『在野研究ビギナーズ――勝手に始める研究生活』(明石書店、2019年)を手に取った。いや、面白い。研究ということのいろんな側面が浮かび上がる。15人の在野研究者による14章の、自己紹介的な記述。何故、在野なのか、何をしているのか、どう取り組んでいるのか、何が暮らしの現実を支えているのかなどなど、たぶん気儘に書いて貰ったところが、「研究」ということに関する「在野」ならぬ「在朝」の、つまり職業として研究活動を続けている側も、あぶり出されてくる。加えて、3人の、国会図書館員、教育を論じてきた専門職の研究者、フリーランスの翻訳家へのインタビューを挟んで、「在野研究者」と呼ぶかどうかは別として、まさしく自分のもっぱらの関心を探求していきたいという人たちに、お役立ちの(狭い分野の)術も添付されている。

 自己の関心事を探求していくことを「研究」と呼ぶと、このブログのように「よしなしごとをとりとめもなく綴る」ことも「研究」なのかと笑いたくなる。あっ、そんなことはない。これは、断片。日常の平面に散らかっている。探求なんかしてないぜ。単なる随想、エッセイ。

 これを研究的観点からみるならば、市井の老人の日常性を表現した「第一次資料」というわけだ。研究者の中には、老人の聞き取りをしたり、被災者の話を収集したり、関係者の陳述を書き取ったりする活動も含まれる。それはそれで、「証言」として意味を持つから、このブログなどは市井の年寄りが生きた形跡の断片、自分で記述する「第一次資料」だ。そういう生きた形跡としての第一次資料は、市井の人の数ほどあるといえる。しかし文字として遺されるものは、必ずしも多くない。だが、それだけのものだ。

 それがどういう文脈においてどう読み取るかを施してこそ、「研究」と呼べる、第三者による社会的位置づけを得られる。世の人の目に触れるには、それだけの手間と(社会的意味の)価値を付与されなくてはならない。

「論文」は、取り上げているテーマを普遍性を持つ次元にまで高めて論じるという必要があり、その作法がある。記述者の個人的感懐を盛り込んで、それが論旨をゆがめていくことを良しとしない。私の記述する「エッセイ」は寧ろ、体験的な出来事から「論題」を拾い出して、そこにみられる時代的な特徴や移り変わりをどう読み取っているのかを、俎上にあげる。

 論理的に記述したときに捨象されてこぼれ落ちるのは、何故それを取り上げるのかという動機である。その筋の研究者が読むときには、その論題がどういう文脈のどういうところに位置して読み取るものか十分にわかっているから、戸惑いなく本文に入って行けるであろう。だが私のような素人は、なぜそういう論の立て方をするのかもわからないから、最初の五十頁ほどは五里霧中の行ったり来たりをする。本は、読み進める早さも勝手であるし、こうした行き来が自在で読み返せるから、ネットの画面よりはいいのだが、それでも我慢ができなくなって遂に投げ出してしまう本も出てくる。

 いや、こう言った方がいいか。論文に取り上げられる「論題設定の動機」は、長年多くの研究者によって積み上げられてきた研究の形跡にどうつながるかを記述するのが恒である。論者の個人的な体験は記述の枠外におかれる。それは「論題」が個人的な関心事ではなく、社会的時代的研究世界的な共通の関心事だと提示するものだ。だから「論述の作法」が発生する。だが素人の私には、論者の個人的体験から発せられた言葉の方が、はるかにモチーフが伝わる。またそれがあるから、ことさら市井の老人にこだわり続けているとも言える。

 荒木は「研究」というのを、次のように限定する。

《研究的テクストが素晴らしいのは属人性を超えていけるからだ。純文学の小説家はそういった自由をもたない。いつも深遠な思想やエキセントリックな性格やスキャンダラスな私生活を勘ぐられたり、期待されたりする。テキストと人間が固く結ばれているからだ。が、研究者の書くものはそうではない。三好行雄や浦西和彦や亀井秀雄が……どんな人だったったのか。癇癪持ちだったのか、意固地だったのか、偏屈だったのか、人間嫌いだったのか、私は知らない。そして興味もない。彼らが一生懸命書いた(だろう)テクストだけが残っている。それでよい。》

 この荒木の記述からいうと、(例えば市井の老人の暮らしという)第一次資料の読み方が思い浮かぶ。つまり語り手の属人的な要素(癇癪持ちとか、意固地とか、偏屈とか、人間嫌い)を捨象して、世相や時代を映しているテクストに読み替えていく文脈が構成されると研究的テクストになる。だが私は、属人的な要素(癇癪持ちとか、意固地とか、偏屈とか、人間嫌い)に目を留め、それがなぜここの文脈に意味を持つかと考えて組み替えてまた、異なった読み取り方が生まれ、新鮮な切り取り方として世相や時代の変遷を取り上げることができるように思うのだ。

 じゃあ、それを自分でやればいいではないかと、人はいうかも知れない。確かにそうだね。関心があれば誰でも取り組めるというのが、在野研究ビギナーズの真骨頂だ。でもねえ、自分でやれればいいが、それほどの執着力も、集中心も、何より体力がもはや及ばない。もう二十年若ければねと、思わないでもない。それにもうひとつ、違いがある。

 今私がやっているような第一次資料として生きることと、(在野であれ)「テーマ」を定めて研究者として取り組むこととの間には、大きなギャップがある。日々私が記す記事は、germである。germというのは「黴菌」と訳されるが、元々は「萌芽」とか「(植物などの)幼胚/芽」である。出来事の断片ともいえる。それを文章にするということは(たとえ属人的であるとしても)、「わたし」を通過する(私という体を媒体として憑依した)人類史の現在(の痕跡)を、対象としてとらえてみる試みの欠片である。それを「研究」に高めていくためには、暮らしの本体から一歩ステップアウトして眺める視線が欠かせない。

 市井の老人というのは、そういう意味では世相からも時代からも取り残されて「埒外の人」、ステップアウトしている。だから、わが身に堆積した痕跡も含めて、対象として眺めるのに(わりと)適切な場所に立っていると思う。にも拘わらず難しいと思うのは、「正義」を切り出すのに「無知のヴェール」を被るどころか、市井の老人は「無知」そのものだからなのだ。ジョン・ロールズは「無知のヴェールを被る」といったが、それは知者が被るものであって、「無知であること」を指してはいない。

 在野の研究者が興味深いのは、どうステップアウトした地歩を築いているかである。荒木は本書の「貧しい出版私史」のなかで、「私を他人にする方法」と章を設け、二ヶ月に一回必ず書き下ろしの論考をアップロードすることによって「私」を切り離すという。そうして、その根柢に、「クソみたいな人生、というよりも、人生というクソを押しつけられたこの最悪の災厄の中で、ほんの少しの間幸せを感じたって、そうそう罰は当たらないだろう」という、ちょっと韜晦気味の自己省察をおいて、こう言う。

《テクストにしたものがテクストだけで判断されるときがきっとくる。……よく自分が書いたものを読み直す。読み直してつくづく「いいものを書いたな」と思う。内容を大体忘れているので、はじめて読んだような感動を味わえる。ありがとう、わがボンクラ!》

 そうなのだ。この自己を見つめる視線に、私は共感する。この34歳の若者が、すでに老成した視線を獲得する時代なんて、スゴイと思う。

 荒木の在野研究ビギナーズの話題を読んでいると、ひとつひとつが興味深いテーマを掠っている。論文の作法、データ検証の厳しさ、肩書きが舞台を決める、テーマが学者ギルドに規制される、ネットワークという新しい手法とアカデミズムの制約、アカデミズムと在野の交通の硬軟、仕事とテーマの乖離、研究の時間と暮らしという人の生活の一般型、関心領域への気儘さ、自在さと自分を振り返る契機など、その周縁だけを経巡ったわが人生であったが、関心の尽きないことだけが、軽く飲んだ釣り針のように引っかかって、面白かった。

2022年2月6日日曜日

早春の気配

 久しぶりに坂戸市の浅羽ビオトープへ行った。高麗川の広い三角州を利用した自然保護区。駐車場には車が20台ほども止まっている。風もなく天気もほどほど。ここの静かなルートは恰好の探鳥や散策路だ。

 枯れ木が多い。冬場は川の水も少ないから、蛇行が途切れて水溜まりになっている。今年はその水も、うんと少なくポツポツと散在している。10時というのに表面は凍っている。鳥が困るだろうと思う。コゲラが姿を見せる。メジロが飛ぶ。ベンチを跨いで二人の男が向き合って腰を掛け、将棋をしているようだ。近頃は夏でも、縁台将棋を見かけなくなった。

 ツグミがいると、カミサンが指さす。河原に降りてぴょんぴょんと歩いて行く。何羽かの小鳥がツグミに驚いて小さい水溜まりから飛び立つ。アオジだと私がいうと、カミサンはカワラヒワだという。双眼鏡で覗いてみると、なるほどカワラヒワだ。その先へ行くとセキレイがいる。尾をピンピンと跳ね上げるように動かす。どっちだろうと双眼鏡を覗く。セグロセキレイだ。シメがいる。いつもならイカルがいるはずなのにとカミサンはいう。このビオトープはカミサンの馴染みの場所。日曜日は車でアプローチするのも楽だろうからと、私を案内してくれる。ま、山へ行けない私のリハビリのひとつというわけだ。

 枯れ木を抜け、川筋の方へ向かう。風が強く、高麗川の本流の流れが風で波打っている。対岸の草叢を歩く人がいる。こっちから向こうへ渡ったのだろうか。カメラを構えた人が川中の何かを写そうとシャッターを切っている。カメラの方向を双眼鏡で追うが、何かわからない。カミサンが、川の対岸の手前をジェスチャーで示す。双眼鏡を覗くが、わからない。「ん?」と目で言うと、キセキレイと口を動かす。そう言われてみると、水と川縁の石の間にキセキレイを尾を振って歩いている。カメラマンは、まだカシャカシャとシャッターを押している。

 さらに西の方へ向かう。高麗川がどっちへ向けて流れているか、風の所為もあってわからない。おおっ、畑がある。「不法耕作よ」とカミサンの声は少し尖る。「でも耕作放棄よりいいよ」と返す。植え付けた葱は小さいのが、水が足りないのか、消え入りそうに土から背を伸ばしている。白菜だろうか、身を寄せ合ってつぼまるどころか、ペロンと力なく開いて、とても食べたい気配を見せていない。キャベツが大きく丸まって様になっている。不法だろうと何だろうと、これなら食べることができる。

 ダイサギが対岸の木の中段に止まっている。それが飛び立つ。曇り空に白い羽ばたき生映えて美しい。その後、ダイサギが右へ、左へと飛ぶ。何だろう。これほどのサギが飛び交うのは、渡りの時以外は、珍しい。

 最西端にはグランドがある。野球チームだろう、トンボを使って整備をしている。その外野を辿って下へ戻る道へ向かう。おっ、スズメガいるとカミサンが言うので双眼鏡を覗く。わからない。と、カミサンがあれはカシラダカ、と訂正する。みていると6羽いる。いや、7羽だ、いや9羽だ、といっているうちに、左から飛び込みもあって10羽になる。と、右から人がやってきてパッと飛び立つ。十羽以上が群れになっている。やってきた人は鳥は眼中になく、カシラダカがいた辺りをずいずいと歩いて通り過ぎる。

 再び岸部に出て、しばらく歩く。シジュウカラがいる。シメもいる。エナガが何羽か出入りする。ホオジロがペアリングしているのか、2羽で止まっている。

 こうして1時間半ばかり歩いて、ベンチに座りお昼にする。ジョウビタキが目の前に姿を現し、萱に止まって大きく折れ曲がり元へ復する揺れ動きを楽しんでいる。今日観たジョウビタキは、しかし、みな雄ばかりであった。どうしてだろう。見沼田んぼでみるときは大抵がメス。そんなに地域差があっていいのだろうか。

 2時間半ほどを過ごして帰途についた。鳥はそう多くはなかったが、気持ちがいい散歩であった。早春の気配を感じてきたようであった。

2022年2月5日土曜日

ゴチャゴチャとスッキリ

 北京五輪が始まった。私は東京五輪にも関心がなく、北京五輪も、人権問題とか専制政治とか関係なく、スルーしている。羽生弓弦ファンでもあるカミサンは「開会式」をみて、「ずいぶんスッキリしていたよ」と東京との対比をする。

 勢い余って「東京の時は、演出者の交代とか、バタバタしてたし」と付け加えたから、「そりゃあ違うだろ。情報公開が自在だから、ああいうスキャンダラスな話しも騒ぎになる。それがない方がいいというのなら、専制政治がいいって言うようなもんだ」と返して、でもそれだけじゃないよなと胸中に余剰が残る。

 映像は、ニュースやヴァラエティ番組でみただけだから、印象批評的になるが、東京の場合、いろいろと天こ盛りで、まるで高校の文化祭のようにゴチャゴチャしていた感じだった。だが北京の場合、スッキリとしている。この両者の違いは、爛熟した文化と成熟期に到達した文化の違いなんではなかろうか。別様に言うと、北京の場合、近代化を図るというテーマが北京五輪の演出者に肌で共有されていて、そのスマートさが現れていた。それに対して東京の場合、ポストモダンというか、共有されていたスマートさが野暮となり、その後の文化的な散乱が、あるいは伝統的な古典回帰だったり、あるいはスマートさを崩してアヴァンギャルドな混沌だったりするという不統一の表現となるから、全体的な印象としてはゴチャゴチャして見える。

 いうまでもなくみている私たちは近代化を経済の成長期を通じて推進してきた側だから、身に染みこんだ感覚はスマートさを良しとする。つまり北京風の開会式の演出が好ましく思われるのではないか。そもそも東京風の演出を批評するほど俯瞰的な立ち位置を持っているわけじゃない。だからせいぜい、受け止める感触としてスッキリかゴチャゴチャかという印象批評しかできない。当事者には迷惑であろうが、世代的な文化の差異は、それほどに落差が大きい。テンポも違う。リズムも速すぎて、ついて行けないどころではない。耳に馴染まない。ドラマの台詞も早口すぎて、何を言っているかわからないことが多くなった。

 そういうことでは、文化も後を追って成長期を通過している中国の気風の方が、私たちの体験したことでもあって馴染みが深い。別に専制政治がいいとか悪いとかではなく、わが身の感じる親密性に遠いか近いかであろうと、私はみている。

 ともあれ、コロナウィルスの感染拡大については、ゼロコロナになるかどうかは看板ほどではないけれども、専制体制の方がきっちりと狙い通りに運べる。為政者は、どんな政治体制の下にあっても、ピープルが従順に遵ってコトが専制的に進行する方を好ましいと思うに違いない。民主制というのは、コトの進行にチェック(横槍)が入るから、話しがゴチャゴチャしてしまう。だが西欧発の近代政治体制においてもゴチャゴチャしては困るものがある。

 例えば「法治主義」。法の体系や解釈がゴチャゴチャするのは困るから、近代政治の司法は、「専門家」が担当するようにしている。立法は、それこそゴチャゴチャしているピープルの思惑や考え方や感覚を取り込んで、整理して、最終的に決定して法にするわけだから、プロセス自体がゴチャゴチャするのは民主制の必然というわけ。ですが、出来上がった法は、思惑などを超えてクールに固定しておかねば、法を勝手に解釈して行政を行ってしまうことも起こりかねない。そうなると「法」に対するピープルの信頼が失せてしまう。経験主義のイギリスですら、下院の立法の適正かどうかを判断する、ある種、司法的な役割をする上院の法律貴族は、選挙で選ばれるわけではなく、任期も終身となっている。

 だから、日本の司法のように(選挙で選ばれたりしていないお前達裁判官が偉そうに違憲判決などと勝手に振る舞うなと非難されて)立法府に頭が上がらなかったり、行政府の思惑を忖度したり、あるいは法務大臣が法解釈を勝手に変えたりするようなことは、それ自体が民主制の軸を揺るがす行為なのだが、「選挙で選ばれた」という錦旗を掲げて、立法や行政が振る舞い始めて、ゴチャゴチャしている日本の民主制は、ゴチャゴチャを取り違えていると言っていいのではなかろうか。

 おやおや、ゴチャゴチャとスッキリとが、民主制と専制政治の選択の話になっちゃって混戦してきた。ま、私たちの身が思えている感触まで取り替えることはできない。中国の人たちの身に刻んでいる「近代化の感触」は、1980年代の私たちとそう変わらないのかしら。そんな疑問が、ふと浮かんだ。

2022年2月4日金曜日

交錯するオミクロン情報

 オミクロン株の感染がピークへ向かって拡大している。その拡大割合が少し緩やかになってきたかなという感触と、専門家による3ヶ月前の予知、「第六波のピークが2月初旬にやってくる」とが符節を合わせて、やっと峠を越すかと安堵の思いも湧いている。

 重症化しないといわれているオミクロン株の感染症状も、素人が遣う「軽症」というのとニュアンスが違うらしい。発熱も喉の痛みも、その継続期間も所謂風邪やインフルエンザとは違ってきついという。また高齢者の重症化や死者は、オミクロン株になっても決して侮れないというし、週刊文春の中刷り広告によるとインフルエンザの8倍もあるそうだ。「蔓延防止措置」とか「緊急事態宣言」という政府の掛け声は、何にどう対処しようとしているのかわからないから、それが出るか出ないかを少しも当てにはしていないが、コロナウィルスの「恐さ」の度合いが測りかねて、困っている。

 TVではもう、「エンデミックはいつか」と遣り取りしている。パンデミックの逆、つまり収束をエンデミックというのかと思って辞書を引いた。そうではない。endemic desease は風土病とある。つまりインフルエンザと同じ、普通の感染症というな扱いになることを指しているようだ。

 そうかい? もうそんな話題を取り沙汰するほど、この感染拡大は山を越したのか? 

 WHOの事務局長は、途上国の状況を見て、まだまだ警戒を怠ることはできない、ワクチン接種さえ2割に達していないのだからと声を大きくしている。だが、先進国は、もう我慢ができないとばかりマスクも外し、「社会的距離」もあったものかは。ほぼコロナ前の状態に復していると、オランダやイギリスの様子が画面に映されている。感染症の流行も、ある程度の犠牲者が出るのは仕方ないよねと見切ったような気配。見切られているのは、私たち高齢者というわけ。

 TVの専門家もまだどちらがどちらと決められないようで、両説が混在して交わされている。自己判断で自助ですよと言われている市井の庶民が、どうしたらいいか困惑しているという図である。

 まだしばらく世の形勢を見計らい、どう振る舞うか思案しなければならない。まるで戦場になりそうな幕末の京都や江戸の民の困惑と同じなのかも知れない。コロナウィルスの襲来に、あれこれと利害の絡まる力のある人たちがいろんな言説を振りまいて、さまざまな対処をする。その火の粉がこちらに及ぶか及ばぬか、力のある人たちはこちとらのことは、たぶん眼中にないから、勝手に自分で見極めなければならない。

 ちょっと一歩ステップアウトして眺めると、クールに自体が見えるかも知れない。

 こんなスリリングな気分を世の中全体が共有しながら体験していくって、第二次世界大戦以来じゃないか。世代間の受け止め方の差異も、戦争体験と同じ。ただひとつ、敗戦の時まだ幼かった私が、いまは後期高齢者という世の中の慮外の人になっている。ともに「弱者」という括りにすれば一緒かも知れないが、スリリングを意識的に味わえるという意味では、今の方が分がある。そう思って、何処に感染の境界線があるか、リミットの壁の上を歩いている。

2022年2月3日木曜日

物語はリアルに敵わない

 北里紗月『連鎖感染』(講談社、2020年)を手に取った。表題が、目下のコロナウィルスを連想させる。しかも出版年月が2020年12月21日となると、まさしく新型コロナウィルスを体験して一年近くなる。どう書いているのだろうと読み始めた。

 正体不明の感染症が始まった病院の様相は、まさしく新型コロナウィルスの広がりが医療現場にもたらした騒乱に酷似していた。飛び込みで活躍することになるウィルス培養を手がける大学院生が、下町の姉御の風な伝法な口調で顰蹙を買いつつも、着実に正体の解析に近づいていく。他方で、患者の容態が何とか安定を得たと思った状態から、なぜか急変、苦しみ始めて死に至る。その場に臨場している病院の医師や看護師の、使命感と脅えと何が起こっているのかわからないが間違いなく緊急事態だという切迫感に苛まれる。

 その中にいて、ウィルスを解析する大学院生の手際が良い。手順や収集資料、扱う機器の描写も緻密。よく調べているなあと思い、読んでいて「ん?」と思ったので、奥書の著者略歴をみる。大学の「理学研究科の生物学専攻の理学修士。日本卵子学会認定胚培養士」とある。なるほど然るべくってワケだ。

 だが、ウィルスの発祥起源に迫ると、旧ソ連の細菌兵器研究機関から持ち出されたバイオテロ。関係者がアメリカで発症し、その関連を突き止めて最初の病院に戻ってくるのだが、そうやって物語りに人為の「仕掛け」が解き明かされてくると、途端に緊迫感が冷めて、話しがつまらなくなってしまった。

 むしろ、新型コロナウィルスのように、誰がどうしたものか正体不明のまま、天からの啓示の如くヒトに襲いかかり、世界を我が物の如くに振る舞っている人類への啓示として、不安を負い被せたまま進行していく「現在」の方が、遙かに示唆的であり、ただ単なる「連鎖感染」という病理的事象にとどまらない、人類の実存そのものの危うさと描き出せたのではないかと、オミクロンの感染拡大の発表を聞きながら思っている。

 起承転結をつけようとすると、どうしても人の振る舞いや意志が加わる。うっかりしたミスでウィルスが広がることもある。意図的な悪意がそうさせることもあろう。だが、一度発動された「人の振る舞いや意志」が、その意図を超えて人類を滅ぼしてしまう(かもしれない)展開こそが、人の自省を促し、自然への畏敬に結びつくと思える。結論づけなければならないという物語りこそ、卑小な思惑なのかも知れないと思った。

2022年2月2日水曜日

有効期限切れのワクチン

 昨日(2/1)、3回目のワクチンを接種した。2回目を打ったのが6/30だから、7ヶ月経った翌日。つまり正確に8ヶ月目の初日であった。1回目、2回目と同じように接種の10分前にクリニックに行き、順番に接種して、15分経過観察をして帰宅した。

 2回目までと違って、「(接種当日)風呂に入っても構わない」という。2回目の時は6月の暑い日であったから、シャワーで済ませた。今回もシャワーだとしたら、ちょっと冷えると思い、風呂は入らないでもいいかと思っていたから、湯船につかってゆっくり体を温めることができた。食べ物の制約もない。でも、晩酌はせず、副反応を懸念して温和しくしていたってワケ。

 今朝になって、左腕の注射した辺りに痛みがある。そうだ、2回目の時もこんな軽い痛みがあった。同じタイミングで接種したカミサンは、加えて腕がヒヤヒヤする、微熱でもあるのかなとぼやいている。今日は外の予定がなかったから、植物の観察に出向こうかと話していたのを中止して、静養することにした。

 そういうわけで、近所のスーパーの安売り品を私が買いに行った。朝から取り組んだ週一便の定例ハガキを作成し、併せて期限の来ている図書館の本を返却するべく、郵便局と図書館に向かう。ついでに、書き損じの年賀葉書を通常葉書に交換。さらに、思いついたのでついでになったが、お年玉葉書の当選を調べて取り替えてもらいに行った。いつもの年なら数枚はあるのに、今年は1枚しかない。百何十枚きて1枚というのは、ついてない訳だが、までも、1枚あったのがラッキーってことだろう。

 図書館は、そこそこ人は来ているがいつもながら静かであった。30分ほど雑誌に目を通し、予約していた本を受けとり、さらにカミサンのために小説を2冊借り受けてかえってきた。風が強いと聞いていたのだが、さして吹かず、日差しを辿って歩いている分には、カラダも冷えず心地よい。

 お昼を済ませてから、フランス映画「天井桟敷の人々」の録画を観た。1945年制作というのにちょっと驚いたが、面白かった。フランス社会の文化的な階級差を、劇場の客席の位置と演目への反応とで示して、展開するのはなかなか興味深かった。

 そうそう、ワクチン接種後の待機時間に、看護師がきて、打ったワクチンがファイザー社製のものと示した上で、その隅の方の「有効期限2022年1月31日」とあるのを指し示す。打ったものは有効期限を過ぎたものだという。そして別のプリントを一枚取り出す。この期限が「2022年4月30日」まで「接種に活用して差し支えない期限」として、3ヶ月延長された日付を記載している。延長を記したプリントは「有効期限の取り扱いの情報については、以下の厚生労働省HPにも掲載することとしていますので、ご参照下さい」と、断り書きがある。印刷物の発行元は記載されていないが、厚生労働省だろうと推察できる。何故かは、説明もない。この期限延長のプリントには「2021年9月30日」から始まっていて、2022/2/28分までのワクチンがそれぞれ3ヶ月延長と記している。昨日、今日、始まったことではないのだ。

 ま、私が接種したのは「有効期限」の翌日だから、一日くらいいいかと思って済ませることができたが、3ヶ月後の方は「う~ん」と呻ってしまうんじゃないか。でもどうして、こんな期限オーバーが生じているのだろう。

 高齢者の接種が8割を超えたとどこかで報道していたから、打ちたい人が打てないってことはなかったのかも知れない。3回目接種を早くしたらということはずいぶん前から言われていて、でもそれが8ヶ月経たないと打てないというのは、すっかりワクチンが足りないからだと思っていた。だのに、この「有効期限切れ」というのは、どういうワケだ?

 推測するに、「3回目接種は8ヶ月後から」と最初に期限を設けたのが何処なのか知らないが、それが全国津々浦々に「お布令」として通達せられた結果、期限まで打てないで有効期限を過ぎてしまうことになったのではないか。しかも9月分からの一覧があるということは、自民党の総裁戦後の政府首脳の交代と衆院選挙に掛かりきりで、ワクチンのことなど行政府は忘れていたんじゃないのか。思えばちょうど第五波が(なぜかわからないが)減少し、(今振り返ると)感染拡大が底を打ったのが11月初めであったか。政府もメディアも、ワクチンが余っていても、しかも世界の多の国ではブースター接種がどんどん進んでいたというのに、それに注意を払わないで、「(接種を)早めます」というリップサービスばかりを首相は記者会見で発表していた。なんだ、これは!

 メディアでは、2回目接種の抗体が有効なのは5ヶ月などと報道されていたから、6ヶ月というのは妥当な所。なのに、捨て置かれて、第六波が驚くほどの勢いで伸びているときにやっと高齢者の3回目接種が始まった。日本の行政組織は、本当に硬直しているんだね。そう感じる。

2022年2月1日火曜日

2月になった

 2月になった。明後日が節分。暦では4日から三寒四温の春へ向かう。歩いている身も浮き立つ。木立を飛び交うシジュウカラもはしゃいでいるよう。池へと下る斜面の草地にジョウビタキの雌がいる。見るともなくて見ていると左の方にも同じように草地から首を上げたジョウビタキがいる。これも雌だ。ジョウビタキはまだ、ペアリングのシーズンを迎えていないのかな。

 調節池のカモは、ずうっと遠方の浅瀬に固まっている。双眼鏡では見分けが付かない。中洲の茅場に大きな白い姿が五つ見える。コハクチョウらしい。五十メートルほど先の土手に4人の男が屯して、三脚に大きな望遠レンズを据えて池の方を眺めている。何を見ているんだろう。通りかかりに彼らの視線を追ってみれば何かいるかも知れないと思って近寄った。4人とも何かおしゃべりに興じていて、見ているものがあるようではない。そこを離れていつもカメラマンがいるのに今日は誰もいない土手の広くなったところで池を覗くと、コハクチョウがずいぶん近く見える。5羽のうち4羽は首を羽に埋めて寝入っている。1羽だけが首をもたげて周りを警戒しているようだ。

 あ、そうだ、こういうのを「奴雁」といったけ。福沢諭吉が『学問のすゝめ』で用いたとどこかで耳にしたことがある。群れの中で頭をもたげて警戒を怠らず、いち早く天敵を見つけて仲間に警声を発するのを奴雁といったものらしい。学問を積んでいく知識人は、奴雁たれといったのか。そうか、ミネルバのフクロウと同じだね。

 あっ、思い出した。1966年だったか、同じ学校の昼間の先輩同業者に「ミネルバのフクロウって誰が言ったんだっけ」と問われて、「ヘーゲルじゃないかと思っているが、わかりません」と応えたことがあった。あれは、夜の職場にやってきた(生意気だと昼間の教師達に評判の悪かった)新来の私を試したのだろう。そう言えば私も当時は、我がことを知識人と思っていた。福沢も、明治政府の為政者や当時の庶民に対して知識人が領導しなくてはならないという視線を持っていたのかも知れない。私はあまり啓蒙的ではなかったが、でも、教師をやっていたということでは、自ずと啓蒙的な視線は欠かせなかったろう。啓蒙家の下士官ってところだったかと、振り返って、いま思う。

 コハクチョウの奴雁は、しかし、群れの中の己のお役目を引き受ける胸中に何が思い浮かんでいるのだろうか。彼らが何も考えていないというのは、ひょっとすると、ヒトの傲慢な規定なのかも知れない。知識人の下士官のようであった私も、今は市井の老人としてモノを考える立ち位置を見つけた。それは、つねになにがしかの天敵に脅かされている市井の民の警戒心を自らのモノとして持つという自律の精神。それが共助というネットワークによって支えられているという洞察とその準備への怠りなさといおうか。

 ま、言葉ではそう口にするが実は、のほほんと運を天に任せてなるようになる、なるようにしかならないと思って日々を過ごしているというワケ。それでも、暖かい日々に向かうという節季は、心も浮き立つ。2月になった。