2022年8月7日日曜日

久々の邂逅

 昨日「お中元」が届いた。去年4月まで機能していた山の会の方々から、新潟黒埼青木農場の「黒崎茶豆」のクール便。お茶かと思って冷蔵庫に入れておいた。かみさんが帰ってきて、「枝豆よ、これ。以前にももらったわね」といったので、そうだ、そうだったと思い出した。

 今朝になって御礼の手紙を書いている。かつては、こういう儀礼的なことは止めましょうなどと言っていたが、近頃はこれが近況報告だと思うから、素直に喜んで受けとる。そうして、感謝の言葉を認める。こんなことを書いた。

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 突然の「お届け物」に驚いています。山歩講は解散したのに、まだこうした気遣いをして下さるなんて、恐れ多くて身の縮まる思いです。

 ありがとうございました。以前にも、この「黒埼茶豆」を頂戴したことを思い出しました。わが身の痛風に良くないとは思いながら、早速ビールを手に入れて、青木農場の「おいしい食べ方」の通りに湯掻いて頂きました。おかげで夕食を食べ過ぎることとなり、早々と床につく有様でした。

 昨年4月の遭難事故以来、ずっとリハビリに通っています。足腰は大丈夫だったわけですが、如何せん、身体機能全体の経年劣化が思ったよりも早く現れてか、長時間の継続した負荷には、あちらこちらに疲れが噴き出してきます。その疲れを和らげるため,未だにリハビリに足を運んでいます。

 歳はとるとかとりたくないとかいうものではなく、時間が過ぎてゆくことを身に思い知らせるように告知し続けてきます。

 若い頃には、時間は「外部」にありました。いつも追われるように仕事をし、ときどき追い越されて臍を噛むこともありました。リタイアしてからは(外部の)時間から解放され、わが思うがままに生きているつもりでした。だが気づいてみると、いつの間にかわが身そのものが時計と化したかのように時間を「内化」して、日々着実に劣化していっています。体内時計がいつも思い知らせてくるのです。

 そうやって身の回りをふり返ると、親はともかく、兄や弟もそそくさと彼岸に渡り、半世紀来の友人の訃報が届いたり、いつの間にか知り合いが亡くなっていたりすることも多くなりました。そうか、そろそろ平均寿命にさしかかるんだと、別に平均的に生きてきたわけでもないのに、そう思っている自分に気づきます。

 追いつ追われつしていた外部の時間が身の内部の時間にとり代わって、遠近法的消失点に向かって歩んでいることを実感させていたのですね。その変わりゆく姿を眺め,わが身の来し方を見渡し比べて、おれたちの人生わしらの時代を思う日々を送っています。

  いやはや、久々のお二人との邂逅に、つまらないおしゃべりをしてしまいました。

 お二人は、元気にしてらっしゃいますか。

 コロナ禍も、もう2年半になるのに、いまだ意気軒昂な様子です。イヤでも離れないとしがみついてくる情の深いストーカーのようですね。袖にし、振り切ってお暮らしでしょうか。虫除けワクチンを4回打って、我関せず焉と踏ん張ってますか。

 年を経るごとに身の回りのヒトもワンちゃんも、世の情景も変わります。その変わり様を兼好法師のように眺め楽しみ暮らしながら、元気にお過ごし下さい。

 ありがとうございました。この暑い夏、乗り切って下さい。

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 寄りすがってくる情の深いストーカーは、手を変え品を変えというか、姿を変え化粧を施して音もなく忍び寄ってきている。ときにはとりついても本人にはとりつかれたことが分からないというから、まるで四谷怪談。なるほど夏向きの話しではあるが、どうも今回のコイツは、年中無休、季節にこだわりがなく、こちらも一息つく暇もない。参ったねと参ってしまうと、年寄りには本当に命取りになるともいうから、容易に馴染むわけにも行かない。

 久々の出逢いは楽しいが、しょっちゅう付き纏われては、鬱陶しい。このストーカーは言葉が通じる相手ではない。毅然ととか優しくといったこちらの態度に左右される気配もない。情が深いかどうかも、ワカラナイというよりはカンケイない。鬼神とおなじか。ただ手近なヒトにとりついて身を保とうとしている。あまり友達づきあいはしたくないね。そう思うのは、わが身の裡に、カミもホトケもオニもジャもいなくなっているってことか。

2022年8月6日土曜日

明日は何があるかわかりませんので

 一昨日(2022/8/4)の「青天の霹靂」で思案していた新橋でのseminar開催が、一挙に「解決」した。kさんからの一本のメール。

 《いつもながら、返事が遅くなり申し訳ございません。/私は、仕事のシフトを交代して、20日セミナー出席を予定致しておりますが、皆様のご意向で延期で有れば、それも可。80歳ともなれば、明日は何があるかわかりませんので、お会いできる時に、お目にかかっておきたいと思います。/テーブルの配置についての提案ですが、円形にして、お互いの顔が見れる方が楽しいかなと思います。今までは、感染予防の観点から厳重に距離を取っていたと思いますが、マスク、換気に気をつければ、円形の距離でも大丈夫ではないかなと。/お昼は焼うどんをお願い致します。(笑)/取り急ぎ  k》

 この方、前回登場のトシさん同様、まだ仕事をしている。まさしく「健康時間寿命」を感じながら過ごしている気配が文面から漂う。なによりseminarの言い出しっぺである新橋の「同窓生の十字路・交差点」のお店を、夫婦二人はまだ頑張っている。炎暑やコロナ感染の中心地で、毎日仕事をしていることを考えると、熱いのなんのと言ってられない、と思う。講師のタツコさんも肚が決まったようだ。メールが来た。

 《8月20日に向けて準備をしていらっしゃる方も多いのですね。/コロナのこともありますが、暑いさ中、私のつたない喋りのために、わざわざ新橋までお越し頂くのは心苦しいと思っていたのです。/そういうことなら、20日にやらせていただきます。/よろしくお願い致します。 タツコ》

 連絡のなかったミヤケさんからも「連絡が遅くなって済まない。むろん出席します」とメール。思い出した。seminar会場が8/20日しか開いていないと知ったとき彼は、奥さんの法事日程を変更して、参加できるように算段してくれていたのであった。

 kさんの「焼きうどん」に続いて、「エビメシ+セット・ドリンク」、「ズワイ蟹重」、「シェフのおまかせランチ」と会食の料理の注文が書き添えてあるのが、なんとも頼もしそうに感じる。本当に「健康時間寿命」を過ごしている。

 元気な返事ばかりではない。「いや、やっぱり用心します」「今回は欠席」と炎暑かコロナか、打撃が大きいとみえる。

 かと思うと、メールに返信がない。目が悪くなり、パソコンの画面を見ていられなくなった人がいる。この人には電話をしたりしていたが、今回は「ランチメニュー」の添付があるから、プリントアウトして郵送にした。もう一人郵送がある。有楽町の薬局へ仕事には出ているのだが、パソコンを見なくなった。スマホで受けるらしいが、まだ仕事現役だからだろうか、随分たくさんの有用無用取り混ぜたメールが届いて、いちいち見ていられない(と言い訳をしていた)。返事が、来なくなった。でもまあ、いつものことと思っていたら先月のseminar会場がとれなかった日に電話があった、「どうして誰も来てないの?」と冒頭に文句を言う。えっ?  メール見てないの? と私は驚く。6月から何度か皆さんに相談して、今月20日に変更したときにも、そう言えば返事がなかった。本人は、会場がとれなかったことも,その後の遣り取りも目にしていなかったのだ。何と言えばいいだろう。歳をとって、いろんなことがメンドクサクなってきたのか、しっかりとコトの顛末を押さえることをしなくなっている。電話をしてきた後に、送ったメールの何通かをプリントアウトして,日付と経過が分かるように郵送した。それを受けとったという知らせもない。仕方なく今回は、メールを送るのと並行して、プリントアウトして郵送の投函をした。ところが今回は、メールで返信が来た。何だかなあ、と思う。でもこれで怒ったりしていたら、年寄りの会のとりまとめはできない。にこにこと、頑張ってますねと声をかけようか。「明日は何があるかわかりませんので、お会いできる時に、お目にかかっておきたい」おいう冒頭のkさんの言葉が頭に浮かぶ。

2022年8月5日金曜日

実在とは何か

 最初にこの本を手に取ったのは、物理学からアプローチする哲学の本だと思ったからです。アダム・ベッカー『実在とは何か』(筑摩書房、2021年)。この本は、副題的に(表紙に)こんなことを書き込んでいます。

《量子力学に残された究極の問い/「量子革命」から100年、問うことすらタブーとされてきた難問をめぐり、二十世紀最強の科学者たちの論争をたどる。/今最も熱い論争がここにある/Adam Becker What is Real--The Unfinished Quest for the Meaning of Quanntum Physics》

  量子物理学じゃあ歯が立たないなと思いつつ読み始めましたが、その量子論が成立する過程のここ百年に及ぶ論争を繙いて、あたかも量子論そのものがコレといって提示してみせるものではなく、「世界」を見て取る切り口を示すような哲学だと解いているように、読めます。まだ全部読み終えていませんから、ほんの門前の小僧のちょっと見なのですが、物理学者たちの最先端の遣り取りも、私たち庶民が突き当たり、それなりに自分を納得させていく「世界理解」とかわらないんだなあと興味深く思っています。

 主としてアルベルト・アインシュタインとニールス・ボーア(デンマークの理論物理学者、量子論の育ての親と言われている)の「コペンハーゲン解釈」を巡る何十年にわたる遣り取りの記述は、量子論そのものよりも、その思索と表現とその遣り取りが為される舞台に登場する物理学者たちの「理解/無理解」と「誤解/新しい発見」という右往左往を浮き彫りにし、しかもその有り様が私たち庶民の「情報」「認識」「腑に落ちる」のと似たような功績を辿っていることを示している。

 この著者・アダム・ベッカーがどういう方なのか知らないが、科学領域に関して私が門前から橋渡しをして境内を垣間見させてもらったことで言えば、ジョージ・ガモフ、カール・セーガンに次ぐ、3人目の案内者だ。つまり門前の小僧にとっては、量子物理学の中味そのものよりも、その世界を語る語り口、即ち哲学が、どのように、どこまでわが身の感じてきた世界の感触と重なり合っているか、重なるとまでは言えなくても、響き合うものを感じ取れるか。

(1)ボーアは表現が苦手であったらしい。書くものは難解、本人も何が言いたいのかよく分かっていないが、でも、言わねばならないというポイントはあって、とりあえず書く。あるいは口述論議したものが文字にされる。とにかくよく推敲を重ねて、様子を整えて提出する潔癖な方であったのに、そのエクリチュールは何を言い合いのか、よく読み取れない。だが後になって、本人が言っていたのはそういうことかと腑に落ちるポイントを突いていた、とか。

(2)それに対してアインシュタインは簡潔明快に述べることをしたが、それがボーアのコペンハーゲン解釈を否定しようとする狙いと読み取られ、指摘する論議の要点に踏み込めない扱いを、しばしば受ける。

(3)取り巻く,やはり物理学者たちは、ボーアやアインシュタインの論理の穴を見つけて探求し、当人たちが言い及ぶことができなかった論点を明快にしてゆくのだが、多くの人たちは、アインシュタインの批判に対して,ボーアが何を言っているのかは分からないが、アインシュタインの言っていることを否定したことだけは腑に落とし、心持ちを安定させて研究を続けることができた。

(4)それら量子の動きを、実験科学的に明白なエビデンスを提出できるのかどうかとなると、観察したときにだけとらえることができるというボーアに対して、観察していようといるまいと実在する(思索の渦中にある)というアインシュタインとが、遣り取りする地点で、私たち庶民の「実在」とイメージが重なってくる。

     *

 ああ私はこの本を哲学書として読んでいるんだなと思いながら、一つ独中の感懐を記しておこうと思った。(4)の「観察したときにだけとらえることができる(量子の動き)」というのは、カメラに収めた一枚の人物像のようなもの。瞬間を切り取っている。これが、観察したときに現れるすがた。ではカメラに収めないときは実在しないのか。シャッターを切るときにしかポイントが特定できない量子の動きは、あるのかないのか。 つまりカメラに収めた人物(私)が同一人物であるというエビデンスは、何によって示すのか。人間の場合で言えば、個人を特定する科学的方法はいくつかあるが、それは目に見えるものだから。ではめにみえないとき、あの時の自分とこの時の自分とが同一であるというのを、当人は何によって「保証」しているのだろうか。というふうにして今度は、「記憶」の領域の扉が開く。こうやって次から次へと、一つの謎を解いたと思ったら、次の謎の扉が開くように科学者の論議は、積み重なっていく。それはわが身を探求しはじめたら、向こうに謎がみえてくるのと、同じと言えば同じ。ワタシも量子と同じ旅を続けているのだと一知半解どころか、一知全半壊の門前の小僧的無明の自覚をしているところです。

2022年8月4日木曜日

青天の霹靂

 今朝2時頃だったろうか、ゴロゴロと鳴る遠雷に目が覚める。おや、寒気が入ってきたかと枕元の小窓を開ける。生暖かい風が申し訳程度に流れ込んで,昨日日中の暑さを思い出す。35℃を超えた日中に図書館への往復を歩いた。

 今月20日に予定しているseminarの講師から、コロナの隆盛もさることながら,この暑さ。参加者が皆(傘寿を迎える)高齢者だから涼しくなってからにしませんかと(全員宛の)メールが来た。皆さんはどう反応するだろう。

 トキくんからは、《……世の中のクーラーを全部止めれば、涼しくなるんじゃないかと(驚きの提案しながら)……体の不調で医者通い。seminarは成り行きで決めればいいのでは。コロナは峠を越すのかな》と皆さん宛の返信メール。

 トシさんからは、《……とうとうコロナに感染しました。7月12日に発熱、病院に行ったらコロナの診断。解熱剤など薬をもらったら2日ほどで熱は納まりました。どこで感染したのかは定かではありませんが、10日間の自宅療養。家内もすぐに感染しました。その間の取材をキャンセルしたので今週は目いっぱい、フル操業です。こんな具合で軽症でした。セミナー開催なら出席します。》とすっかり恢復した様子。

 フミノさんは、《お世話になっております。先日お昼に30分ほど傘を差しながら、日陰を探しながら歩きましたが、かなり参ってしまい年齢を思い知らされました。私ももう少し暑さがおさまるまでずらしたほうが良いかなと思います。ただし皆様にお会いすることがなによりの楽しみなので、実施が決まれば八月でも参加いたします》といつもながらの洒落者ぶりを窺わせる。さっそく男の日傘を使っているのだ。

 ノリコさんからは、《酷暑の中の思案、お疲れ様です。コロナについて、高齢者は不要不急は自粛すべしとか、基礎疾患のある人は自粛すべしとか自治体によって取り決めがある様ですが、何よりも高齢者は無理をしない事では…? コロナの行末も暑さが収まるかどうかも (多分)でしか判断出来ないのであれば、無理をしない方がいいかと思います。講師の準備のご都合もあるでしょうし、私は先に延ばす方がいいと思います》と、気遣いと慎重さを忍ばせるメール。

 今朝4時半前、ボタボタと庭に落ちる大粒の雨音に起こされる。気温は下がっているようだが、湿度が高く、涼しいって感じではない。でも、こうした熱波の波動を感じながら、いつの間にか亜熱帯の気候帯に移り変わっていくのかもしれない。とすると、涼しくなるのを待ってなどと言っていると、年寄りに先のない寿命と身体劣化の時間推移が立ちはだかる。

 こうも言い換えることができようか。「涼しくなるのを待って」という前者は、「時間」がわが身の外部に流れている。だが後者の時間は、はっきりとわが身に内化されている。皮肉なことに、若いうちは「待つ」ことをしなくても状況を突破するだけの体力があり気力が後押しをする。そうやって忙しなく「時間」を乗り越えてきた。だが歳をとると時間はいくらでもある。外部的な「時間」から解放されてわがままに過ごすことができる。それなのに、身が待っていられない。あっという間に時間が過ぎてゆくという実感は、「時間」さえ身の裡に内化されて、身とともに滅びてゆくのかもしれない。

 さてそう考えると、30℃くらいなら何でもないが、35℃を超えるとなるとちょっと手強いぞという境目のところで、いまseminarの開催を思案していることになろうか。これってまだ、「健康時間寿命」が残ってるってことか、それとも危機的状況にあるってことか。

 さあ、今朝の晴天も霹靂が、seminar開始のGOサインとなるか、それとも焼け石に水となるか。歳をとると、言葉の意味合いも逆になって世間から離れてしまうようですね。

2022年8月3日水曜日

庶民文化の自律の根拠

 門前の小僧が門の前で入門を撥ね付けられたように感じたのは、今思うと、生育歴中に身に刻まれた文化と生活習慣が、門内境内にみえるアカデミズムの景観に感じるあまりの段差。それに戸惑い、怖じ気づいたからだったかもしれません。情けないと言えば情けない。でも投げ出して引き返したかというとそうでもなくて、都会文化の大学生の空気を吸い、キャンパスや寮で出遭った人たちとかサークルの人たちからの強烈な刺激を受けて、本を読み議論を目撃し、それなりに自分の身を切り替えてゆく試行錯誤の渦中を過ごしてきました。相変わらず門前の小僧であったことだけは、間違いありませんが、門を離れず、うろついていたのですね。

 そうして就職して、人類史的な社会の困難を一身に背負った定時制の生徒たちにであったのでした。金の卵として地方から出てきた生徒たちはそのまま自分の姿が投影されているようでした。73年の第一次オイルショック後、一斉に金の卵は姿を消し、代わって近隣の全日制に入れなかった生徒たちがやってくるようになり、学校の実態がわが身の処し方と深く関わって展開していると感じていました。当時の文部省の指導要領はタテマエ、実態は少しでも良き生活習慣を身につけて世に送り出す文化伝承の機関だということが、ピリピリと伝わってきたのです。

 しかし世の中は高度経済成長が一段落付き、悪かろう安かろうという大量生産時代から、品質が問われる多品種少量生産の安定成長時代へ移っていきました。もちろん同時に、生徒たちには良質な労働力としての「品質」が要求されましたが、定時制の卒業生たちは端から除外されていました。労働力商品としての「高品質の学力」が序列をつくり、それに遵うことを肯んじない生徒たちは世の中の埒外に捨て置かれ、身の置き所に苦しんでいたのだと思います。

 どういうことか。学校がすっかり(産業分野に役立つ)「学力」序列で整序され、教師の視界もそれによって覆われてきたのです。定時制では、学校が同世代生徒集団として抱えているコミュニティ性とそこに於ける人としての振る舞いが、(教室秩序を維持するために)教師たちにとっても大切にみえたのですが、全日制の中堅校へ行くと、学力で輪切りにされた生徒たちの立ち居振る舞いは、おおむね均質になり、教師たちも生活習慣とか日常の振る舞いを気にする必要がなくなったのでした。

 1980年代の後半に私が転勤した全日制高校は、まさしく一億総中流の子どもたちらしく、穏やかな環境で順調に育った安定した生活習慣を持っていました。それは反面で、輪切りにされた学力下層の高校の生徒たちがいたことを意味します。生活状況が底辺層の子どもたちが多く、「学力」を主題にする学校に馴染むことが出来ず、底辺高にきた。ご近所のコンビニさえ、アルバイトにこの底辺高の生徒は採用しなかった。原宿や渋谷へ遊びに行くのも、怖くてできない子たち。世の中に身を置く所を見いだすことも出来ず、彷徨って漂うことになっていました。

 この子たちが高度経済成長の結果、突然この世に出来したわけではありません。労働力商品としての「学力」に一本化しなかった時代には、教養としての知的能力でした。それに適応できない人たちは、それなりに身の置き所があったのであったのです。それを受け容れたのが、庶民の文化です。江戸で言えば町人文化。それが明治維新以降、欧米流資本家社会に突入し成長路線へと加速するに付けて、西欧風の思考や芸術観念が「芸術」として権威を持ち始めます。欧米で評価を得て日本で高く評価されるという傾きはその後長く続き、家永三郎氏が「日本文化史」を上梓した頃にもまだ色濃く残っていたことが、マサオキさんの引用から読み取れます。

 そして私もまた、そうした時代の空気を吸って成長してきました。だから、大学に入った頃の私は欧米風学問への憧憬をもっていて、大学の教授たちの、旧弊旧習な身体的振る舞いと欧米的知性のハイブリッドにぶつかって尻込みしたか幻滅して、門前の小僧にとどまったのでした。それはわが身に無意識に刻んで(堆積して)いる「ワタシ」とは何かという問いに自ら自答しなくてはならない。そういうテーマを背負い込む道へ踏み込んだワケです。

 そのワタシの無意識に身につけた観念や感覚を一つひとつ対象化して、その根拠を問い、自ら応える応答を続けてきました。それはことのほか面倒であり、時間もかかりました。その途次をここ半世紀ばかり、つかずはなれず付き添うように、間近でみるともなく傍らに座を占めていたのが、マサオキさんだったといって良いでしょう。

 ちろりちろりと目をやって、彼だったらどう応えるか。どう返すか。どう逸らすか。どう韜晦するか。どう皮肉ったり、おちょくったりするか。それは、身の程をわきまえず世の中のあれやこれやに口を挟む性癖を持った私を、地の底の方に重心を置いて、空間を軽々と飛びながら、吐き出す言葉や振る舞いがそのまま批評であるという風情を醸す。まさしく庶民文化のひとつのかたちをはっきりと示しています。

 いうまでもありませんが、私に庶民文化を価値づけたり論じたりする力はありません。だが、庶民文化を味わい、それを時代においてみる程度のことは、岡目八目ながら(ワタシに引き寄せて)やってきています。

《ですから「あそびをせんとやうまれけむ」などと言って持ち上げたりおだてたりするのはいくら気のおけない仲とはいえ、いけませんね。》

 というマサオキさんの言葉を軽々に、素直に受け取ってはならないのです。

「まだ神髄には達していませんね。持ち前の鋭い筆法で薙ぐに何の躊躇もこれあらん。」 とばかり、ここまでお出でと揶揄っているのです。でもそれをものともせず、これからも、庶民文化の精髄を西欧風の権威主義文化に対置して、取り上げてみたいと思っています。なお、直近の関連ブログ記事は、以下の3本あります。ご参照下さい。

(1)2022-7-22「即興ジャズ・エクリチュール」

(2)2022-7-3「ディズニーランド国民国家」

(3)2022-6-30「遊びとしてのエクリチュール」

切り取る窓の懐かしき狭さ

 以前にも登場してもらった、半世紀来の友人・マサオキさんから今月号の手紙が届きました。往復葉書の三面半を使ってビッシリと手書きの文字。その文字数、約2800字。地球温暖化といわず「地球暑熱化/激甚級気象」のこと、コロナウィルスの変異のこと、サル痘のこと、豚熱や鳥インフルに感染した動物の「処分」のこと,安倍首相暗殺のこと、東京五輪と理事の収賄と電通のコト、利権の祭典ということ、竹田理事の越後屋騒動の裁判費用はJOCが全額負担していること、安倍元首相の国葬も電通が取り仕切っていること、マサオキ・ガーデンへようこそ、といった風情です。

 そして先月号の「ささらほうさら・無冠」に関連して思う所を認めています。その一節に次のような文面があり、私の自問自答に刺激スイッチが入りました。


《家永三郎の『日本文化史』(昭和34年間の岩波新書)を再読していたら、これは得たりの一文に行き当たりました。彼の文芸に関する潔癖さが窺われます。曰く

「江戸後期の町人芸術は一時のなぐさみものにすぎなかった。作者もみずから〈戯作者〉の名に甘んじ読者の好みに迎合することを恥としなかった……人生と真剣に取り組んで内的情熱を傾けて創作に当たろうとするまじめさを持っていなかった……高邁な思想がなく現実の勇敢な取り組みにも欠けているとすれば、いきおい奇を追う傾向に堕するのは免れ難い結果である……」

 どうです正鵠を射ているでせう。私の自称戯作もまさに仰るとおりであり、こう言っては何ですが、こちらのもくろみ通りの評言が六十年も昔から届いているのです。ですから「あそびをせんとやうまれけむ」などと言って持ち上げたりおだてたりするのはいくら気のおけない仲とはいえ、いけませんね。持ち前の鋭い筆法で薙ぐに何の躊躇もこれあらん。》

      *

 これは、2022/6/30の本ブログ「遊びとしてのエクリチュール」に対する彼の返書。くすぐられて悦ぶ人でないことは先刻承知ですが、ここに彼の強い現代社会への批判、私への皮肉が籠もっていると私は読んでいるわけです。そこへ、今日は少し踏み込んで考えてみましょう。

 家永三郎は、1960年代の古典的なアカデミズムの人物と私の中のイメージが焼き付いています。二つ記憶に残る印象深いデキゴトがありました。

 1961年に彼の講座「太平洋戦争論」を聴講しました。一般教養です。教室は満席。教授の声が静かに響いています。ノートに書写する音がするだけの雰囲気には圧倒されます。だが私は、馴染めませんでした。彼は、90分の授業分相当の「原稿」を書いてきて,それを句読点を含めてゆっくりと読み上げ、書き取らせるだけの授業だったのです。もちろん教授と言葉を交わしたいと思ったわけではありません。だが、歴史学の天上界から響いてくる声は、田舎から出てきて東京の文明文化に驚嘆している18歳にとっては、接点を見つけるのが難しい。これじゃあ,本を読むのと同じじゃないか。まさしく天の声。そして私の予感通り、その翌年に岩波書店から『太平洋戦争(論)』として出版されました。

 今思うと、アカデミズムの門前に立っている小僧に、丁稚は雑巾掛けからはじめなさいと身を以て教えていたのでしょうね。戦争に突入した親世代に抱いていた不審感を学問的に解き明かして詰めていく絶好の機会でもありましたね。でも、お前さんたちを相手にするに足りるかどうか、初っぱなに篩にかけられたように感じていました。この授業が端緒になって、教育学部にいた私の知人は家永教授に心酔し、4年終了後に文学部日本史専攻に編入したほどでしたから、私の受け止め方が門前の小僧としての自覚を欠いていたとは思いますが、大学に幻滅した一つの体験でした。

 もうひとつは(上記のことから1,2年後の)学園祭のときのこと。家永教授が講演をし、終わって後の質疑応答で誰かが「社会主義国(中国やソ連))の人民民主主義はどうして民主主義と言えるのですか」という趣旨の質問をしました。それに対して家永教授は「(社会体制が異なると)基本的な考え方が違ってくる」と応じて、「真理を見極めることの重要性」を展開しました。なぜか(社会主義を擁護しようとしているが)煙に巻かれたように感じました。当時マルクス主義では当然視されていた「前衛論」を前提にしているんだなと(私は身の裡で)教授の言説の文脈を構成していました。でもそれを口にしないで、「前衛性」を援用しようとして、言葉が曖昧になってしまったのだと。

 当時、「新日本文学」の論壇では、保守派にせよ共産党にせよ結局東大新人会が日本の進路を決めるという(戦前の)統治の構図をめぐって遣り取りがありました。また、花田清輝と吉本隆明の戦争責任論争もすでに終結していたのだから、それらに触れないで太平洋戦争を論じるのを不思議に感じてもいました。結局この人も(東大新人会系統同様,統治者サイドの)雲上人だと受け止めたのですね。

 この人は「人民」をみていないと直感したのだったと、今ならまとめることが出来ます。それが、マサオキさんが引用した「文化論」によく現れています。

 家永氏は「江戸後期の町人芸術は一時のなぐさみものにすぎなかった」と貶しています。取るに足らないというのでしょうか。「なぐさみもの」の何が悪いと、浅草に入り浸り剽げて一発芸を見せて笑わせていた同郷の仏文科の友人を思い浮かべている。文化を論じるとき、町人のなぐさみものになっているってことをどうとらえどう評価するかは、欠くことの出来ない視線です。すでにそのとき、柳宗悦の「生活芸術論」も提起されていたのに、芸術を何か人の暮らしとかけ離れた高踏な領域の創造活動と家永氏は考えていたようにみえます。

「読者の好みに応じて迎合する」〈戯作〉の展開も、時代を映す鏡ではないでしょうか。それを「まじめさ」(を欠く)という庶民の生活感覚に還元して評価しようとする家永氏の芸術センスは「高邁な思想」が、何だか大真面目な統治センスに浸されているように、私には感じられてしまうのです。まるで近代のプロテスタントの倫理学者のような匂いさえしてきます。でもそれは、市井の民の暮らしを視界においてヒトの暮らしを考える視線をもっていません。まるで武士の物語でこの世の経世済民は語り尽くせると思っているようです。と、マサオキさんの引用だけを読んで思っています。

 たまたま私は、時代の文化状況を考えるサークル活動に属していましたから、先輩たちが「授業に出るのはバカだ。本を読め」という世間話の言葉の方が、心裡に迫って私の行動規範になっていったのかもしれません。ここですでに私は、アカデミズムから脱落していたのですね。学問の武士である家永氏のありようが、商家出自の私に馴染めなかったのは、無理もないことだったのかもしれません。私にとって大学は、統治的な社会階層に属する人たちの言説や振る舞い、そこへ辿り着こうと歩く人たちもあれば、いろんな層の人々によって構成されている世の中の、独特の一角を占めて身を立てようとする人たちもいれば、すでにそこに身を置いて学生を応援する街の年寄りもいる。その存在にわが身が照らし出されて驚きの日々を送っていました。地方と都会の落差もさることながら、わが身の来し方が堆積して身に刻まれている。そのわが身が、そういう諸相が混じり合っている社会にどう位置するか。おろおろと勝手を探って右往左往していたのでした。(つづく)

2022年8月1日月曜日

夏の最中

 手の平の腫れが引かない。餅がくっついたような感触があり、親指の根方を押すとピリピリと人指し指の先まで軽い痛みが走る。痺れって、これをいうのだろうか。医者は指を一本一本曲げては伸ばせというが、左手の指は第一関節も第二関節も曲がらない。右手で包み込むようにして曲げると関節が折れそうなほど痛い。ただ、左手の甲の晴れがなくなり、しわしわになってきた。日にち薬っていうが、じわりじわりと良くなっているのだろうと思うしかない。

 30日にはコーヒー豆を買いに行った。いつもなら歩いて行くほどの5㌔だが、この暑さでは途中で音を上げそうだ。自転車は29日に試して危なっかしいと分かった。車はどうか。左手の操作はオートのギアチェンだけ。左手のハンドル操作は押さえているだけで用が足りる。自転車よりは役に立つ。ただ押さえて力を入れるとき親指の根方のふっくらとした部分を使うとピリピリと人指し指に響く。いつものようにはできない。ゆっくりと走らせた。  

  昨日は7月最後の日。3.5kmほど離れた生協へカミサンが買い物に行く。私は散歩がてら荷運びをしようとついて歩く。暑いから午前9時ころに家を出たが、踏み辿る日陰がそれほどない。ゆっくり歩を進めながら、ふり返るとかみさんがいない。おや、どこかへ置いてきてしまったか。角の木陰に身を置いて100mほど無人の歩いてきた道路を眺めていると、20mほど手前の家の脇からひょいと姿を現す。ン?……。何か目に止まった植物に誘われて吟味していたのだろう。何か話していたが、暑さに蒸発してしまったように耳にとどまらない。

 主要道を2本横切り、農地や林の残る住宅街の細い道を40分ほど歩いて生協へ着く。人が多い。冷凍餃子が1パック50円も通常値段より安い。牛乳も安いとあって、餃子と牛乳を買ってリュックに背負い、私は先