2021年3月7日日曜日

いたるところに青山あり、か?

 昨夜、友人のy105さんから電話があった。タイに暮らしていた友人のMさんが亡くなったという知らせ。タイのボランティア団体のRさんから電話があり、「すでに火葬にした」と訃報が伝えられた。名前からするとタイの方のよう。日本語が達者であったという。また、タイ人であるMの奥さんも電話に出て、「穏やかに逝った、友人たちによろしく」と話していたという。

 また、日本にいるMの妹さんへの連絡も、Rさんが行うということのようだ。生前にMさんが周到に手配をしていたのであろう。いかにも彼らしい逝き方だと思った。

 すでにこのブログをお借りして、消息を呼び掛けたMさんであった。去年の4月に医師から「異変」を告げられ、「十二指腸の辺りに潰瘍か何かがあるらしい」とメールをしてきたMさん。そのとき、セカンド・オピニオンを求めたら、その医師には「すぐにでも手術をする必要がある」と言われ、どうしようかと迷っていると、書いていた。「5/2に入院して詳しい検査をする」と最後のメールがあって、それ以降、ぷっつりと消息が途絶えた。

 何度かメールを送り、ひょっとして本人は返信もできない状態なのかと思い、奥さんも読めるようにとひらがな書きにしたり、英文にしたりしてみたが、応答がない。とうとうブログで呼びかけたのが、10月であったか。すっかりMさんは亡くなったと思っていた。

 今年になって、古い共通の友人であるy105さんがやりとりしているかもと思って問い合わせた。彼も一度「喧嘩別れ」のようなことをして以来、音信不通であったそうだ。その彼の呼びかけに答えて、Mさんからy105さんへ電話があったという。

 そして1月21日、Mさんから私あてに「国際郵便」が届いた。膵臓癌になったこと、完治しないと言われていること、お会いしたいとあり、お訣れの言葉がつらねてあった。

 y105さんの話では、痛み止めを飲んでいるせいか、妄想が襲い、自分が監禁されているように感じ、救い出してほしいというときもあった。かと思うと、そのすぐ後にメールで、自分の奥さんがわからなくなったりして、(自分が)ヘンだと書いてあったりして、気分が移り変わり、自分自身でも持て余しているようだったそうだ。じつは、奥さまや娘さんに介護され、外出を気遣う家人の振る舞いを「監視され」ているように思いこんでいたと推察できる様子が、LINEの向こうで取り交わされてもいたそうだ。

 メールでのやりとりよりも、手紙の方が自分のペースに合わせて読むことができるからいいだろうと、それ以来、手紙を6通送った。Mさんからは、ノートの切れ端やメモ帳に書き付けた返信が、やはり届けられた。今月初めに届いた手紙には、「郵送も届きません」「正式な住所を教えてください」と書いてあったり、私の手紙を、私のカミサンからの手紙のように錯覚している文面が綴られていたりして、妄想に苦しんでいることがうかがわれた。y105さんに言わせると、痛み止めの薬がきつすぎるとそういう副作用を伴うことがあるというから、痛みと妄想との間を行き来しながら耐えに耐えてきたのかもしれない。

 y105さんへのボランティアの方の言葉では穏やかな顔つきをしていたという。

 Mさんとしては、異郷に死すことも厭わずという覚悟で、タイで暮らして10余年になる。だが、今わの際に去来したのは「ふるさと」だったのではないかと、「令和3年」と日付を記したことや、領事館に連絡をして助け出してくれと妄想するなど、体は「覚悟」を受け付けず、「ふるさと」を希求したと思った。

 人生いたるところ青山あり、とむかしの人は語ったが、頭がそう覚悟することはできても、身は違った声をあげている。そういう意味で、Mさんは無念だったろうと思う。

 彼の死は残念ではあるが、すでに昨秋に亡くなっていると思われた彼と、今年に入って手紙のやり取りがあり、一度は電話で声を聴くこともでき、Mさんらしい始末の付け方に触れることができて、幸いだったかもしれないと感じている。

 46年間、Mさん、ありがとう。合掌。

2021年3月6日土曜日

描き出す人物像の変容

 真保裕一『アンダーカバー/秘密調査』(小学館、2014年)を読む。

 真保裕一のものは、『最愛』新潮社、2007年)を読んで、宮部みゆきと対照させて特徴を拾ったことがある。2013/6/16の「虚構という日常に浸る「おたく」」。今のブログに引っ越す前のものだから、探しても見つからない。次のように書きはじめている。

 《雨のせいではなく、この二日間ずうっと小説を読んでばかりいた。宮部みゆきの『楽園』文藝春秋、2007年)、上下2巻、新聞連載小説。それと、真保裕一『最愛』新潮社、2007年)。いずれも、姉妹と姉弟の間の、不在の十数年を挟んで起こった「事故」を契機に、何があったかに踏みこむ組み立ては似ている。/だが、宮部の小説が、なぜ抵抗なく読み手である私の幻想に絡み、真保の作品がなぜ「作り物」めいていると思われてしまうのか。そういうことを考えながら、どっぷりと作品世界に浸っていた。/ミステリーというのは、読み手というたくさんの日常世界の「日常性」をたどりながら、そこに挿入された亀裂から「非日常世界」に分け入って、そこに生まれるスリルを不可欠としている。「非日常世界」というのは、じつは日常性の裏側に張り付いていて気づかれないまま見過ごされていることが多いと宮部はみてとり、そこを解き明かしてゆく。真保は、自分の日常世界とは異質の非日常世界がかかわりのないところにあるという設定だ。》

 つまり、真保裕一のミステリー物は、単なる謎解きであったり、活劇ものだとみている。これ以外にも、『アマルフィ』(扶桑社、2009年)とか『天使の報酬』講談社、2010年)を読んでいる。

 《つぎつぎと映画化されている外交官黒田康作モノの新しいヤツ。これも、日本の官僚機構の縦割りと連携的な守旧性と既得権益の最高峰という在りようとをベースに、型破りの外交官がミステリーを解き明かして上層の諸悪を明かしていく活劇である。》としるしたこともある。

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 だが今回の『アンダーカバー/秘密調査』は一味違った。

 才能を発露させて起業し、資金をため、吸収合併をくり返して、ビジネス界の寵児となっていた主人公が、罠に掛けられ異国の地で麻薬所持で逮捕・有罪となり収監されている間に、事業は凋落して、乗っ取られるように破綻してしまう。だが刑期の途中で無罪が判明し釈放される。誰が、なぜ罠を仕掛けたのか。釈放された主人公が「秘密調査」に乗り出すという設定。「外交官黒田康作モノ」同様に、ヨーロッパやトルコ、アメリカを股に掛けた陰謀と犯罪捜査が行われていく、世界情勢を組みこんだミステリーである。

 一味違うというのは、この主人公が、「秘密調査」をすすめる間に、自らの行っていたビジネスがいかに偏った見方に取り付かれたものであったかに気づいていく。謎を解き、人のかかわりを知るにつけ、薄皮を一枚一枚はがすように見えてくるのは、ビジネスの寵児として働いた自分が、ゲームをしてるように限定された側面しか見ておらず、人生の全体像を捉えるというには、まったく偏っていたと気付き、変わっていく姿が、描き出されている。

 むろん、売り出しは、ミステリー。上記の移ろいは行間に埋め込まれるようにして後背に見え隠れするにすぎないが、ワンステップ奥行きを深くしていくかもしれないと、今後の仕立てに期待をもたせる作品になっている。

2021年3月5日金曜日

延長戦の初回

 一昨日(3/3)、「延長戦になった」と書いた、私の不整脈の「追加検査」のこと。検査を受けるつもりでさいたま日赤まで行った。天気がいいので、自転車でぼちぼちと。吹く北風もそれほどでもなく、セーター一枚で寒くない。そう言えば一昨日は桃の節句、今日は啓蟄ときている。40分で着いた。

 診察券でさかさかと受付が済み、診察室前で待つことになった。予約時刻より30ほど早く、本を読んで待機する。すでにたくさんの人が順番待ちをしている。9時の診察開始前からすでに、担当医の部屋には患者が入り、次の番の型の「診察番号」が入口のモニターに表示されている。おおよそ一人5分ほどの診察のようだ。私の番が来たのは、予約した時刻より7分も早い。

 「追加検査」としてCT検査をすることになったと告げる。今日やるのかと聞くと、そうではなかった。月末の3/29、その結果の診察が4/1ということでいいかと訊ね、了解すると、それで診察はお終い。外で待っていると、看護師が来て、所定の用紙に書きこんで署名してもってきてくれと、部屋番号を告げる。アレルギーや既往症の確認であったり、薬液を注入することへの同意書だった。検査当日の注意を受けて、それで今日はすべて終わり。予約時刻から15分ほどで終わったわけだ。診療費は70円。そうだよなあ、何もしなかったようなものだもんね。

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 自転車をこぐと、歩くときより風景が変わる。すれ違う人の顔つきをみていない。着ているものとか、何を持っていたかなども、文字通り、捨象されている。それほど人出が多いわけではないが、どちらからヒトが来ているかどうかをパッパッとみている。自分の通行に障りになるかどうかをチェックしている。すれ違うスピードが速くなるにつれ、抽象度が高くなる。追い越していく車には、私のような自転車通行者が、目に入っていないかもしれない。自分の利用しているメディアによって、観ている次元が違ってきている。

 時間が、ヒトそれぞれに固有のものであって、皆さんが共有しているわけではないと、何かの本にあった。小さい子どもと、私のような年寄りとでは、時間の通り過ぎ方が違う。同じ一年が、年齢分の一の速度で過ぎていくと私は実感している。それと同様に、空間・風景もまた、ヒトによって抽象度が違って、観ているものが見えない。逆にみていないものが見えているってこともある。

 それらは、ヒトが多様なのではなく、人の見ている時間や空間の次元が違うってこと。だから、何をどうみているかということも、すれ違う。年齢もあれば移動速度もある。それと同様に、時間や空間をみる次元が、ヒトによって異なるから、それを調整しないままで言葉を交わすと、なんだこのやろうってことにもなるし、こいつの言ってることは、わかんねえなってことにもなる。そういう、すれ違いが、いろんなことで気になる。

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 昨日、山からの帰りに車のラジオで聞いた国会中継が思い浮かんだ。

 社民党の福島瑞穂が丸川珠代男女共同参画当相を問い詰めている。丸川が夫婦別姓に反対と表明していたワケを問いただしている。丸川は「職員の熱意にブレーキを掛けないように私個人の意見は差し控えている」と、躱そうとする。丸川の別姓反対意見の根拠を尋ねているのに、大臣が自分の意見を控えるって、どういうことだと舌鋒は鋭い。「男女共同参画社会の実現」には、不適格じゃないのかと追求され、とうとう、

「氏が別であると家族も結束が弱くなる」

 と、定番の家族主義的な主張を述べた。それに対して福島は、

「あなたの丸川は旧姓でしょ。それは、あなたの家族の結束の障碍になっているのか」

 と、さらに問う。

「丸川は通称です。氏ではありません」

 と応えるも、じゃあ、紙に書かれたことが家族の結束に影響するのかと追求がすすみ、福島の問いに答えたことにはならない。面白い。

 社会的な参画単位を「家族」という集団におくのか、「個人」におくのかという次元で考えることもできる。あるいは、「戸籍届」というかたちにおくのか、「事実婚」を認めるのかで、社会のつくり方は大きく違ってくる。通称と氏という違いを、社会的に認めるというのが、芸能や政治の世界に限られるのか、普通の人の社会生活でも容認されるのか。後者となると、戸籍との違いが動表面化して問題となるのか。そこまで踏み込んでいくと、社会的な常識を変えるのに、どのような法的制度的な手法があるのかと考えることもできる。

 つまり、何をどうみようとしているかという問題になり、あるいは、どこまで哲学的な論題に踏み込んでやりとりするかという問題が浮上する。国会論戦がそういう哲学問題にまで踏み込むようになると、まさしく「民度」が問われる事態であり、定着すると「専門家」と「民衆」の壁が取り払われて、人々の文化的練度も上がってくると思われた。

 もちろん、現実は、そんな次元の違いに気付かぬ顔をして、「政治的に」お仕舞いにしてしまった。つまんねえの。

2021年3月4日木曜日

歩きごたえのある飯能アルプス

 今日(3/3)、飯能アルプスを歩いた。同行者は3人。南風が北風に代わる。その前線が昨日夕方から夜にかけて、関東上空を通過した。夜の雨と風は、音だけしか聞いていないが、凄まじいものであった。朝の空を見上げて、「台風一過」という言葉を想い起した。

 飯能アルプスを歩く。いや、この名前を知ったのは、今日歩いた後であった。ただ、飯能駅から天覧山を経て北へと延びる山稜は、賑わいが煩わしい。天覧山を省略して、多峯主山から北へ向けて歩けば、静かな山歩きが楽しめるだろうと計画をたてた。高麗駅集合8時半。私は車で向かう。

 車を駐車場に置いて駅前広場に近づくと、もう、皆さん、集まっている。集合時刻の電車が来るには、まだ20分余もある。

 えっ? どうして?

 この世代の特徴なのか、時間ギリギリの集まりというのに、先んじるクセがあるようだ。そういうわけで、予定より早くスタートした。高麗駅西側の高台へと続く住宅街を抜ける。西武鉄道がこうして開発した住宅地を売り出し、同時に電車の顧客を確保するという関東一円開発のたまものが、沿線の住宅地化であった。みごとに当たった。だが、たぶん、高齢化が進んでいるに違いない。これからの維持補修と世代交代が、この住宅地にどう響くか、そこがモンダイだなと思いながら、高台の突き当りから、山道に入る。すぐに高台の上に出て、振り返ると、住宅地ばかりか、その向こうに広がる関東平野を見渡すことができる。筑波山が孤高を誇る。そのずうっと左に、三毳山が先端を飾る。足利の山、鹿沼の山並みがそこから北へと連なる。今日は、空気が澄んでいて、スカイツリーも東京のビル群も、くっきりと見える。昨日の雨が幸いしている。

 森の中を抜け、斜面を登って、40分ほどで多峯主山につく。数人の人がいる。富士山が白い頭をのぞかせている。南へ目を転ずると、スカイツリーから東京タワー、ビル群がにぎやかにスカイラインを縁取る。

 と、髭の爺さんが現れ、ほらっ、あの手前の光ってる白い丸い屋根、あれが西武ドーム、所沢よ。その右の向こうに黒っぽいビルが二つ並んでるだろ、あれが国分寺、42㌔向こうだ。そのずうっと先、ビルの向こうに雲が浮かんでるように見えるだろ、あれは房総半島、100㌔先だよ。鋸山とかさ。あの房総半島の足元が何だかよく見えねえだろ、ありゃあね、蜃気楼なんだよ。そ、この季節にしかみえねえ。風が強い。昨日は雨が降った。いい条件がそろったってわけだ。

 周りの山を、全部説明してくれた。姿のいい大山、丹沢山塊や大室山、手前の大岳山や御前山まで、ほんとに一望できた。

 地図をみると、次の久須美坂まで行くのに、舗装車道や住宅群を通らなければならないと思っていた。ところが、舗装車道を横切りはするが、見事に住宅群の脇をすり抜け、ほぼ山道ばかりを通って歩ける。その途次に、木の幹に「テンカク、はんのうアルプス」と、白いペンキで書き付けてあるのに出会った。それで、このコースを、この地の人たちが飯能アルプスと呼んでいることが分かったという次第。標高は200mから500m弱の山稜が十数㌔にわたって連なる。結構歩きでのあるコースであった。

 そうそう、舗装車道を横切ったとき、その車道からコースの山道に入るところに木柱があり、その脇の木に取付けた「竈門山 登山口」と記した手書きの標識があった。おや、と思ったのはその文字のまわりが緑と黒の市松模様。stさんの話によると、流行りのアニメの主人公の名にちなんだ「かまど」に誘われて呼び寄せられたようだ。

 久須美坂には標識の周りに石を積み上げてケルンのようにしてある。スタートしてから2時間、ほぼ想定した時間だ。そこから10分ほどで、木の祠をおいた小ピークに着く。小さく「久須美山標高260m」と書いた板が、脇の木にとりつけてあった。私の参照した地図には、これらの名前はなかった。5分ほど先に「久須(美)坂」と手書きした小さい標識があった。私の想定したコースタイムより15分ほど、多くかかっている。コースタイムを「想定した」というのは、私の参照した昭文社地図には、中間地点のコースタイムが記載されていないからだ。私の想定では5時間20分のコースであった。ところがあとで同行したykyさんが調べてくれたのは6時間55分。なんと、1時間半以上も違っていた。私の参照した昭文社地図は1995年版、ykyさんの地図は同じ昭文社の2012年版。そちらの方には地点名もコースタイムも、こまごまと記載されているそうだ。

 久須美坂と東峠の中間点にある竈門山への分岐点には、新しい標識が建ち、「かまど山(20分)」と記し、標高303mと丁寧な明記までしている。まるで聖地だね。

 暗いヒノキの樹林がつづく。アップダウンがくり返される。だが皆さんの歩行は、疲れをみせない。やけに遠いように感じた東峠に着く。コースタイムでいうと、3時間50分だが、30分早い。再び樹林にヒノキの踏み込むが、黒く焦げた跡が生々しい。火事の後のようだ。足利などの山火事を思い出した。どうしたのだろう。ここまでに4人の人とすれ違った。皆さん単独行。男性ばかり。

 25分ほどで天覚山に着いた。12時に5分前。ベンチがある。二人の60代後半らしい女性がちょうど立ちあがるところであった。どっちからきたんだっけ、どっちへ行くんだっけと話している。多峯主山へ行きたいという。指さすと、斜面が急だと騒いでいる。吾野駅から来たという。大丈夫だろうか。

 ここで、お昼。多峯主山で見えた遠景は、少し霞みはじめている。風が強くて冷たかったのが、少し収まったか。陽ざしを受けて暖かい。30分も過ごした。ヒノキの樹林はつづく。西川材の山地らしい風情なのだろう。南北の稜線を、ところどころで横切る舗装車道も、もとはと言えば木を伐り出すのに用いた林道だったのかもしれない。コースタイムより10分早く大高山493mに着いた。13時37分。歩き始めて5時間30分ほど。当初の歩行時間を過ぎている。今日の最高地点だ。小さいが立派な石の標識が立つ。休みもせず、次へと向かう。

 35分ほどで前坂峠に着く。コースタイム通りだ。ここから結構な急斜面の下りとなる。先頭のmzdさんはストックをつかってさかさかと降る。元気がいい。25分で吾野の墓地の脇に降り立った。等々と流れ出る山の水を、空いたペットボトルに詰めて駅へ向かう。コースタイム通りで駅に到着。

 今日の行動時間は6時間41分。お昼を除くと、6時間11分、コースタイムより44分ほど早く歩いた計算になる。大した足慣らし山行であった。

2021年3月3日水曜日

「どこも悪くありませんね」が、一転・・・

 さいたま日赤病院へ運動機能検査(負荷心電図)の結果を聞きに行った。検査日の2/15も、雨であった。病院へ行くときは今日も雨か。車で向かう。

 9時に受付の機械に診察券を入れ、何番窓口に行くか指示を受ける。みると、「心電図」をとることになっている。えっ、また?

 検査室前の椅子はどれもいっぱい。付き添ってきている人も多いから、皆さんが患者というわけではない。杖をついた人、車椅子の人、静かに待っている。血液検査をする人もいて、つぎつぎと検査室へ呼び出され、入れ代わり立ち代わり座る人は変わっていく。最初の時同様に、本を読んで待つ。心電図も、30分ほどで呼び込まれた。

 検査技師は「少し長くとってくれと言われてますので」と断って、心電図をとる。不整脈という、脈の途切れが、いつ、どのように出て来るかわからないからだろう。

 終わって、指定受付へ行き、診察室の前で待つように言われる。ここの前の椅子も、いっぱいになるほどの人が座っている。20分ほどで診察順番が表示され、部屋に入る。医師は、デジタル画面をみている。画面には私の名を記した、数値いっぱいの検査結果表が映し出されている。

「う~ん、何も問題ありませんね。どこも悪くありません。これまで通り、山へ行ってもいいですし、生活も何かに用心することもありません。」

「T先生にはこちらから手紙を送ります」

 と、ここを紹介してくれた循環器専門医である私のかかりつけ医の名を告げて、以上、終わり! であった。

 礼を言って退室。450円の診察経費を払って帰ってきた。病院の滞在時間は1時間半。ま、不整脈というのがそもそも、自覚症状がない、無症状の、ステルス病だから、それでいいのだが、なぜかちょっとがっかりしている自分に驚く。

 何かあった方がよいと思っていたわけではないが、ひと月半ほどかけて、3回も通った挙句に、「どこも悪くありません」では、通い甲斐がないってことか。病気の方がよかったのかと言えば、むろんそんなことは、ない。ヘンなの。

 雨が落ちてきたのは、帰って来るとき、ぱらぱらと、ちょっとばかり。風が強まっている。11時には帰宅していた。

 午後になって、本格的に雨が落ち始め、夕方に向けて風雨が強まる。家に当たる風の音がまるで台風のようだ。音だけ聞いていると、不安になる。

 だが、明日の山は「快晴」。行かざるべからずと、地図を打ち出す。緊急事態宣言が解除されれば、奥日光の雪の山にも足を運ぶから、たぶん今回が県内自粛山行としては、最後になるだろう。 

                                            *

 とメモした夜の8時半ころ、一本の電話があった。今日診察した医師から。

「心拍数に問題はなかったが、負荷心電図の波形がちょっと気になるので、追加検査をしたい」

 という提案。もちろん了承。わが心臓の不思議は、延長戦へ持ち込まれることになった。

2021年3月2日火曜日

行雲流水のごとき関係

 寺地はるな『水を縫う』(集英社、2020年)を読む。女の感覚からみた実存の心地よい関係を描いている、と思った。そう思うこと自体が、女性差別だ、ジェンダーだと言われるかもしれない。だが、そういう表現しか思い浮かばないのは、私の感覚の裡にどっかと座っている経験的に身に染み付いたセンスがあるからだ。如何ともしがたい。もしそれを対象として突き放してみるなら、標題のような「行雲流水のごとき関係」というほかないかな。

 実存の心地よい関係は、しかし、起点に個体の自律がなくてはならない。言葉を換えていえば、それはたぶん、存在の軸というような確固たる勁さであろう。軸が勁さをもつまでの間に、異質性や孤立をものともせずに世の中を渡りゆく「かんけい」に係留されていなければならない、個の形成の不思議があるのだが、この作品は、それらは前提にされて、話しがはじまっている。つまり、(作者も読者も気づかぬうちにかたちづくられた)大いなる幸運に恵まれた舞台で、さらに実存の心地よい関係を紡ぐ物語が展開している。

 起点にある個体の自律が、社会関係のなかに己を位置づけることができ、生計を保つにあることは、いうまでもない。そこに到達するのが、今のご時世、ずいぶん大変なのだ。水を縫うどころか、わが身が水の一滴となり、地肌の凸凹に翻弄されるがままに奔流となって流れ落ちてゆく。なぜ、どこへ向かっているかもわからないまま、気が付いてみると、すっかり流れのクセに染まり、わが身がなんであるかさえ問うこともできないところに流れ着いている。

 寺地はるなは、しかし、実存の心地よい関係を紡ぎだすのは、己自身を見つめる勁さをもつことからはじめるしかない、と訴えているのかもしれない。個体の自律が、最初から確固たる形をとって実在するわけではない。それを実在させるのは、わが身の持ち来った感性を、まず己自身が受け容れること。それが、その個体の自律を受け容れる関係をかたちづくる核となり、結晶となる。人のため、世のためという言葉は核にもならなければ、軸にもならない。

 では、どこに女性差別だ、ジェンダーだと言われるかもしれない「女の感覚からみた」ことが出ているのか。自律した個体の特異性に対する世の中の「偏見」に基づく攻撃が上手に躱され、物語から遠ざけられている。そして、受け容れられている。その受容のセンスの広まりは、たぶん「女の感覚」だと私の経験則が感知している。女も男もないではないかといえば、まさにそうであるが、焦点の合わせ方が「受容」の方に傾くときに、その周縁の「排除・排撃」に傾く動きを注視しないではいられないのが「男の感覚」と感じているのかもしれない。水の流れが従う地肌の凹凸こそが、水を縫うときの主たる課題になるのではないかと、私の関心は傾く。

 だが、実存の心地よい関係は、ほんの身の回りの些細なことへの心配りからはじまる。個体の自律が起点になる。それは、たしかだ。そういうイメージが静かに広まるのは、市井の身のこなしとしては、大切である。そういうセンスも、捨てがたい。そういっているように響いた。

2021年3月1日月曜日

どこまで行けるか

 2月が終わって、書き落としていたことがあった。平地を歩いてどこまで行ったか。

 1月は、1日平均11km歩き、おおよそ名古屋の手前まで行った。2月は平均10km、280km余。1月と合わせると、620kmほどになる。東浦和から東京を経て西向かうのは、わが身の心の習慣が然らしむるもの。何と、大阪を越え、神戸も越えて、鷹取まで行ったことになる。鷹取ってのは、須磨の海の近くにあるJRの駅。東浦和からの距離も、鉄道の路線距離を採っている。

 山歩きと同じで、毎日コツコツと11km、10kmと歩いていれば、そこまで行けるのだと、あらためて人の歩く力の強さに感心する。それが、ホモ・サピエンスとしては十万年ほどかけて、この列島に住まいはじめてからでも、何千年と掛けてここまでやって来たのだと思うと、わが身に堆積する径庭のすごさに感心してしまう。それを受け継いで、21世紀の2合目の最初年のふた月で620kmやって来た。自粛して埼玉蟄居を決め込んでいても、このくらいの受け継ぎをして歩くことができている。たいしたものではないか。

 昨日、歩きに出ようとしたら、上の階にお住いの方が買い物から戻って来たところに出くわした。杖を突き、もう片方の手で手すりをもって肩で息をしている。この方は、何年か前に大腸がんの手術をしてから、急に体が弱ってきた。奥さまも病弱で、外へ出かけられない。86歳になるか。

「何かお手伝いできることってあります?」と訊ねる。

「じゃあ悪いけど、この肩の荷物、家の前の置台にまでもっていってくれる?」

「ええ、いいですよ」ともっていき戻ってくると、少しばかり世間話をするようになって、20分ほどお喋りをした。

 印象深かったのは、「どうして親に、も少し楽をさせてやらなかったのかって思いますね」と慨嘆したこと。息子が親のことを心配しないという話から、わが身を振り返ってみると、40代、50代のころは仕事やわがコトに夢中であったことに思い当たった。親を気遣うようになったのは、還暦を迎えたころからだったと、おおむね私の辿った径庭と重なる。

 親の世代から良くも悪くもだが、多くのものを受け取り、その受け取ったものを紡いでわが人生をつくって来た。それが、いかに多くのコトの受け渡しをしているか。はたしてそれを、子や孫の世代に手渡したろうかと、思いは跳ぶ。この齢になってはじめて、振り返るってことをする。すると、人類史が、今この身に堆積してきていることが実感できる。ありがたいねえと思うと同時に、しかしそれにしても、ラッキーであったと「無事であったこと」に感謝する心持ちになる。

 こういうのを、保守化するっていうのだろうか。いや、ちょっと違うな。ヒトが作為的につくり成すことって、実はそう多くはない。だが、前々の世代から受け継いできたことが、図らずも人為の結果であったことも、考えてみれば、おのずと腑に落ちる。そうしたことの、総集が、今現在の私であり、お隣さんだと感懐を深くした。

 これから後の毎日も、歩き続けるだろうかと、他人事のように考えている。

 たぶん、3月7日に「緊急事態宣言」は解除される。となると、県外の山も視野に入り、泊りの雪山も計画山域のなかに入ってくる。じつは、山歩きがハードに入ってくると、日々の歩きが少なくなる。身体が草臥れてくるのだ。一緒に歩く山友は少なくなっているから、単独行となる。おのずと慎重になり、山行自体を控えることにもなる。そういう選択が、間近に迫っている。

 そうか、そろそろ啓蟄か。わが身の裡の、肚の虫ももぞもぞと這い出して来そうだ。さて、どこまでいけるか。しばらく、歩行距離の記録をとってみよう。