2021年3月7日日曜日

いたるところに青山あり、か?

 昨夜、友人のy105さんから電話があった。タイに暮らしていた友人のMさんが亡くなったという知らせ。タイのボランティア団体のRさんから電話があり、「すでに火葬にした」と訃報が伝えられた。名前からするとタイの方のよう。日本語が達者であったという。また、タイ人であるMの奥さんも電話に出て、「穏やかに逝った、友人たちによろしく」と話していたという。

 また、日本にいるMの妹さんへの連絡も、Rさんが行うということのようだ。生前にMさんが周到に手配をしていたのであろう。いかにも彼らしい逝き方だと思った。

 すでにこのブログをお借りして、消息を呼び掛けたMさんであった。去年の4月に医師から「異変」を告げられ、「十二指腸の辺りに潰瘍か何かがあるらしい」とメールをしてきたMさん。そのとき、セカンド・オピニオンを求めたら、その医師には「すぐにでも手術をする必要がある」と言われ、どうしようかと迷っていると、書いていた。「5/2に入院して詳しい検査をする」と最後のメールがあって、それ以降、ぷっつりと消息が途絶えた。

 何度かメールを送り、ひょっとして本人は返信もできない状態なのかと思い、奥さんも読めるようにとひらがな書きにしたり、英文にしたりしてみたが、応答がない。とうとうブログで呼びかけたのが、10月であったか。すっかりMさんは亡くなったと思っていた。

 今年になって、古い共通の友人であるy105さんがやりとりしているかもと思って問い合わせた。彼も一度「喧嘩別れ」のようなことをして以来、音信不通であったそうだ。その彼の呼びかけに答えて、Mさんからy105さんへ電話があったという。

 そして1月21日、Mさんから私あてに「国際郵便」が届いた。膵臓癌になったこと、完治しないと言われていること、お会いしたいとあり、お訣れの言葉がつらねてあった。

 y105さんの話では、痛み止めを飲んでいるせいか、妄想が襲い、自分が監禁されているように感じ、救い出してほしいというときもあった。かと思うと、そのすぐ後にメールで、自分の奥さんがわからなくなったりして、(自分が)ヘンだと書いてあったりして、気分が移り変わり、自分自身でも持て余しているようだったそうだ。じつは、奥さまや娘さんに介護され、外出を気遣う家人の振る舞いを「監視され」ているように思いこんでいたと推察できる様子が、LINEの向こうで取り交わされてもいたそうだ。

 メールでのやりとりよりも、手紙の方が自分のペースに合わせて読むことができるからいいだろうと、それ以来、手紙を6通送った。Mさんからは、ノートの切れ端やメモ帳に書き付けた返信が、やはり届けられた。今月初めに届いた手紙には、「郵送も届きません」「正式な住所を教えてください」と書いてあったり、私の手紙を、私のカミサンからの手紙のように錯覚している文面が綴られていたりして、妄想に苦しんでいることがうかがわれた。y105さんに言わせると、痛み止めの薬がきつすぎるとそういう副作用を伴うことがあるというから、痛みと妄想との間を行き来しながら耐えに耐えてきたのかもしれない。

 y105さんへのボランティアの方の言葉では穏やかな顔つきをしていたという。

 Mさんとしては、異郷に死すことも厭わずという覚悟で、タイで暮らして10余年になる。だが、今わの際に去来したのは「ふるさと」だったのではないかと、「令和3年」と日付を記したことや、領事館に連絡をして助け出してくれと妄想するなど、体は「覚悟」を受け付けず、「ふるさと」を希求したと思った。

 人生いたるところ青山あり、とむかしの人は語ったが、頭がそう覚悟することはできても、身は違った声をあげている。そういう意味で、Mさんは無念だったろうと思う。

 彼の死は残念ではあるが、すでに昨秋に亡くなっていると思われた彼と、今年に入って手紙のやり取りがあり、一度は電話で声を聴くこともでき、Mさんらしい始末の付け方に触れることができて、幸いだったかもしれないと感じている。

 46年間、Mさん、ありがとう。合掌。

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