2017年12月31日日曜日
雪深い奥日光を歩く
昨日(12/30)朝の奥日光・湯元は良く晴れて風も弱い。赤沼から小田代ヶ原に向かう。8時45分。すでに先行者がいて、20センチほどに掘れた、人ひとりが歩く幅のトレイルがついている。ミズナラやシラカバの林は静かに雪に身を浸している。
2017年12月29日金曜日
吹雪く奥日光
奥日光、湯元に来ています。戦場ヶ原を抜けるあたりでは地吹雪であったものが、湯の湖畔に上ると雪になり、湯元の駐車場にたどり着いたときには、本格的な雪になっていた。風も強く、吹雪と言ってもよい。これは奥日光の気象条件を、よく現している。奥日光には梅雨がない、と言われる。太平洋側の吹き付ける低気圧は、いろは坂や霧降高原の千メートル級の山によって遮られ、いろは坂の上の中禅寺湖などには梅雨の手が及ばない。冬ともなると、中禅寺湖より標高で200m高い湯本は、日本海側の気象条件の影響を強く受ける。豪雪地帯と言われる尾瀬と奥日光は背中合わせなのだ。
2017年12月27日水曜日
静かな、のんびり歳末
年末のルーティンワークを一つ、昨日片づけた。年賀状だ。じつは古いパソコンに入れて使っていた宛名書きソフトが、去年、作業途中でフリーズしてしまった。あとは手書きでしのいだのだが、その後にプリンタが壊れ、新しいプリンタがWIFI仕様で古いパソコンと回線をつなぐ受け口がない。そのことに気づかないまま師走を迎え、いざ印刷しようという段になって困った。本文はつねに使う文書ソフトで作成していたから、また手書きでもいいのだが、この際思い切って葉書ソフトをあらためて購入した。ノートパソコンに入れて作動させる。住所も全部、あらためて入れ直す。それはそれで、たいした作業ではないが、去年の年賀や喪中はがきをみながら去来する思いを一つひとつ吟味して、私の分とカミサンの分をやり終えた。
2017年12月25日月曜日
司法の独立性を担保する「権威」とは
このブログの一年前の掲載記事が、自動送信されてきます。昨年の12/24には《市民社会の「法」の精神の原型》と題して、フェルディナント・フォン・シーラッハ『テロ』(酒寄進一訳、東京創元社、2016年)に関する追記を記しています。詳細は省きますが、ドイツの市民も参加する「参審制」が、法制自体を疑う精神を持っていることに(私が)感嘆したことを述べています。
2017年12月24日日曜日
人の昏(く)れ方
中原清一郎『人の昏れ方』(河出書房新社、2017年)を読む。図書館の「新刊書の棚」におかれていたのを手に取った。表題が気にとまったからではあるが、「2017年11月30日初版発行」とある。こんなかたちで読むのを出版社は嫌がるだろうが、そんな機会でもなければ、たぶん手に取ることもなかったと思う。
2017年12月23日土曜日
自身との交信が途絶える原罪からの解放
20日に山を歩いた。ほとんど疲れは残っていない(ように思えた)。昨日(22日)、ストレッチをやっていて気づいたこと。リンパの流れをすすめるために脚の太ももを押さえたとき、奥の方に軽い痛みが走る。ああ、これは疲れがたまってる。ふくらはぎのリンパの流れもやったときに、奥の筋の方に疲れが残っていると思った。そうなのだ。疲れを感じるのは恢復するときと思って来たのは間違いないが、こんな形で奥の方に溜め込んでしまっているとは思いもしなかった。
2017年12月21日木曜日
けっこうスリリングな下山の九鬼山縦走
晴天が続く昨日(12/20)、山の会の月例会。富士急行線禾生駅から九鬼山を経て馬立山への縦走路をたどり、菊花山を通って大月へ下るルートを歩いた。朝9時15分ころに歩きはじめ、午後3時10分ころに大月駅に到着したから、行動時間は5時間55分。お昼に35分とったので、歩行は5時間20分。ほぼコースタイムで歩いている。平均すると70歳を超える面々だから、これは立派である。
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