2023年3月23日木曜日

私には信仰心がない

 去年4月から5月にかけての「ぶらり遍路の旅」は、15日間で飽きてしまって切り上げてしまった。お遍路馴れしていなかった為に無用な物を持ちすぎていて、途中で荷物を送り返したりもした。計画も一日20km~25kmで立案し、終わってみると一日平均26kmほどを歩いていた。今回も立案の時には25km程度を考えていたが、後に述べるいろいろな事情もあって、一日平均30kmを歩いていた。これはちょっとした驚きであったが、同時に、ある種の悟りの境地を得たことが大きかったと思っている。

 それは、私には信仰心がないということに思い至ったのだ。去年「飽きてしまった」ひとつに、札所を巡って御朱印を貰って歩くのがスタンプラリーみたいだと思ったことであった。馬鹿だなあ、何でこんなコトをしてるんだオレは。そういう思いがつのった.それは疲れになってじわりじわりと身に溜まり、切り上げて帰る時には、やれやれと肩の荷を降ろしたような気分でもあった。

 ところが今回、札所を巡っている間に出逢った経巡っている人たちの中に、本当に札所を巡って何やらを訴え、何かを願い、あるいはそうした趣を携えてお詣りしていると思われる佇まいを見掛けた。その真摯さに圧倒され、つくづく私には信仰心がないという悟りを得た。

 札所の中に入ってきたアラサーと思われる若い男性。上下に作務衣を着し、金剛杖も丈夫に金物の装飾をつけた風格のあるものを手にし、被っている菅笠も渋い漆塗りのような趣の威厳を湛えている。私はちょうどベンチに座ってお昼にしていたから子細に観察することになったのだが、その青年は入り口のお大師像ばかりか、小さな地蔵様にもむかって手を合わせ、何やらを唱え、祈りを献げて本堂やお大師堂へ向かう。線香や蝋燭を入れる小さな肩掛けしかもっていなかったから、たぶん車で回っているのだろうと思ったが、なるほどこのように丁寧に礼拝して回っているのかと、我がスタンプラリーを恥ずかしく思ったほどである。

 あるいは途中で出逢った、やはりアラサーの歩き遍路青年。途中のお接待所で一緒になったのだが、お接待をしている人たちとは顔見知りのよう、8回目のお遍路だという。荷物が大きいので「野宿か」と聞くと、その通りだという。その都度頭を丸めて歩いているそうだ。何があったか知らないが、齢三十にして8度も歩き遍路をするというのは、余程の魅入られ方である。去年は50回以上経巡った人がもつ金色の札をもって歩いている、私と同年齢の方を見たが、そうした神仏への傾倒の仕方は、私がまだ出逢っていない世界である。

 あるいは、私の前にいて本堂に祈りを捧げている古希世代の女性は、般若心経を唱えるばかりか、真言をも口にし、さらに何やらお経をあげているようであった。それが終わるのを待って私は般若心経を唱えるのだが、本堂に続いてお大師堂でも同様にするばかりか、別棟の行動でも、あるいは小さな御堂でもそうしていた。なにをねがうのだろう。

 どこであったか、何を願っているのかと聞かれたことがあった。いや、何も願うことがなく、ただ、いまここにこうしていられる幸運を感謝しているだけですと私はわらって応えるしかなかったが、本当に私は不信心だなあとわが身を振り返って慨嘆したものであった。

 では、なにが私にとってのお遍路なのか。歩いているうちにわが胸の内に去来したのは、私は歩くのが、言わば特技というか、取り柄のようなもの、私にとっては歩くことが人生。その時々に行き着く札所はただ単なる目安。札所は空海さんが設えてくれた歩き遍路の目安のようなものという「達観」であった。

 こうも言えようかと、歩きながら考えた。札所は人生の中の、その時土器のデキゴト。イベントのようなもの。小学校の入学、卒業、中学校や高校、大学の入学や卒業、あるいは就職や結婚、子どもの誕生などなどといった諸種のデキゴトだ。それは、人生を歩んでいる目安にはなるが、その間をひたすら歩くことが人生である。むろんデキゴトを言祝ぎ、イベントを心地良くクリアする為に懸命に歩くことも必要ではあるが、メルクマールは、しかし、人生そのものではない。そう考えたら、札所の御朱印を貰いながらスタンプラリーをしているというので、いいではないか。空海さんやお寺さんには失礼だが、信仰心がないのは、この歳になって、いまさらどうしようもない。それよりは、ひたすら歩くことがどこまでできるか、それにわが身がどのように適応し、どう変化を受け、どこまでつづけることができるか。それを味わってみようではないかと考えるようになった。

 こうして19日間に歩いた総距離が、約570km、一日平均30km。最少が21km、最高は41km。当初の計画は25km平均とみていたが、Googlemapの示す距離より実際に歩く距離は、なぜか2割ほど多い。中には歩き遍路道の子細を調べずに行った為に、事前に予約が必要という「下田の渡し」を使って、四万十川の河口を渡ることができず、上流の「大橋」をぎるりと7km余も回り込んでいかねばならなかったというヘマも含まれている。

 それと同時に、歩くことに関して私は、かなり能力があるのだと自己確認することもできた。それについてはまた、折を見て記していこう。

0 件のコメント:

コメントを投稿