昨日のこの欄の末尾で「仕切り直し」と記した。今朝になってみた1年前(2022-03-27)の本欄の記事「定期観測の老人会」が、同じseminarの感懐を綴っている。そこに、「仕切り直し」の必要な要点が示されていると思った。
(1)取材者という観点を、今回の私はなぜもたなかったのか。
(2)みえないものをみるというとき、一番みえないのは、じつは「自分」だ。
昨年の記事では、seminarを見ている目とseminarの参加者とを取材者と当事者として対照させ、《取材するされるという関係が非対称的なのは、取材を受ける方は当事者であり、取材する方は超越的傍観者である》と記している。去年、講師を務めた私は2020年に刊行した『うちらぁの人生 わいらぁの時代』とネタにseminarの7年を振り返ろうというものであった。皆さんのおしゃべりを聞きながら、私の苦手な「世間話」を眺めている。
つまり《取材記者の方はたぶん、「傍観者」という言葉に文句を言うであろう。そうじゃないから取材しているんだと。だが、客観報道とマス・メディアという記者の立場を考えると、「傍観者」という立ち位置がもっとも相応しい》と、突き放している。自分の著書が素材になっていることを(恥ずかしげに)突き放して、「傍観者」という立場に身を擬している。ところが今年は、司会進行担当者として、BBC東京特派員氏に罵声を浴びせたトキくんやマンちゃんと、特派員氏との30年間の同時代を生きた共有体験を振り返って、日本社会の盛衰の謎を解いてみようというkeiさんやオオガさんらとの、共通の遣り取りをする舞台を設営しようとしていたから、「傍観者」のようには振る舞えなかったとも言える。つまり私も「当事者」として加わり、視座を提示して臨んだわけだった。それが(1)のようにみることを妨げた。
もし(1)のようにみることができれば、「そんな統治的な視点とか何とか難しいことを考えてやしないよ。その時に思いついたことを書いただけ」というトキくんの言葉も、「わたしの住んでる団地では自治会活動に非協力的なんてないわよ」というTさんの「反論」も、じつは特派員氏の「不思議」や「池田暮らしの七ヶ条」がいう「都会風を吹かすな」に対して、実に当事者として向き合っていると見て取ることができたはずだ。彼等の身の反応のベースには、日本人とか、日本社会で起こっていることというのを我がこととして感じている身の共通感覚が流れている。そこから、特派員氏の不思議とか池田町の協働感覚というのとを対照させて、踏み込むと話はもっと楽に展開したのではないか。
それを、傘寿ってこういうことなんだと受け止めるってことが、そもそも言葉の接ぎ穂を失わせてしまうバカの壁ではなかったか。司会進行役というのは、当事者でありつつ、かつ、座談に参加している人たちの立ち位置を超越的に見て、言葉を噛み合わせる技を駆使しなければならないのだ。そういう自覚が、身に染みていないことが私の失敗の本質だったと気づいた。
去年の記事では、seminarの《それ(おしゃべり)が世間話的に展開したのが、面白かった。講師を務めた私からすると、やっと世間話の入口にたどり着けたという感じ》と、苦手な世間話に持ち込んで記していたのに、今年は、世間話的に展開したことを「失敗」と感じている。この対象もまた、私の非力を示しているようにみえる。
さらに、keiさんから「GDPが増えたら私たちの暮らしにどういう変化が生まれるの?」という疑問を提示し、特派員氏の取り上げた日本の経済的停滞をもっときっちり考えてみようという提案もあった。これも30年史を振り返るときに、いきなり社会的な当事者問題に飛び込む前に共通認識としておくべき客観的事態であるように思った。つまり、【返信4】と【返信6】にあったオオガくんの指摘する日本社会の当面している事態を、事実関係だけでいいから押さえてすすめる必要があった。
みえないことをみるというのは、とどのつまり「自分を対象としてみる」ことを意味する(2)。その時、皆さんがそうすることを策動するのではない。ジブンがそうであろうとすることを、ほかの人たちに押しつけてはいけない。ほかの方々がどうするかはその人たちの当事者研究のもたらす結果であって、それは会の進行を担当するお前さんの意図することでも策定することでもない。にもかかわらずワタシは、学校の教師のように皆さんにもそうなることを期待し、そうするように啓蒙的に振る舞ってはいなかったか。
いま、そんな反省をしている。
0 件のコメント:
コメントを投稿