東洋経済omlineで野村 明弘(解説部コラムニスト)がとりあげている問題が目を惹いた。4/7に「SNSがトランプ危機を引き起こしたカラクリ」、4/9「レッシグ教授が考える「AIと中国」本当の脅威」」の前後編2編。いずれも、ローレンス・レッシグ(アメリカ・ハーバード大学ロースクール教授)へのインタビュー。
前編は、SNSの広告ビジネスモデルが、1月初めの議会襲撃事件(「トランプ危機」)を引き起こした「諸悪の根源」という指摘。後編は、その延長上に生じているAIを用いたこれからの世界がぶつかる問題を考えている。
SNSの広告ビジネスモデルが諸悪の根源とは、どういうことか。グーグルとかファイスブックとかツウィッターという、人々が自由に投稿し、お喋りをしているSNSのプラットフォームの、収入源となる広告は、「投稿されるお喋り」が向けた関心や話題を収集し解析し、より多く人々の関心を引くための話題を提供できるように、アルゴリズムが構成されている。ここでいうアルゴリズムとは、いわば、広告収益を最大値化するように設計された「文法」のようなものだ。人々の関心が何に傾いているかを拾って、その人たちが「検索」する「言葉」に見合った「サイト」が上位にランクされる。
ローレンス・レッシグの指摘はこうだ。ネット検索をする人たちの好みをAIが読み取り、そればかりを「検索上位」においてみせるようになるから、ますますその人たちの傾きは過激化し、「それ以外の情報」は、目に留まらなくなる。グーグルやフェイスブック、ツウィッターの経営者が意図したことではなく、ただ単に人々の関心にこたえる「検索結果」を優先する設計思想が、広告のビジネスモデルに組みこまれて、人々の情報を、あたかも操作しているかのような結果をもたらす。
そうしたSNSがトランプの演説によって人々の関心が「選挙の不正」「Qアノン」「陰謀論」「議会へ行こう」という「話題」に集中し、するとそれを批判する「話題」はずうっと後景に追いやられ、むしろますます過激に煽る「話題」がどんどん広まり、人々の関心も過激に傾いていく。その結果が、「トランプ危機」を招いたと解説する。集団的無意識がAIの処理によって「自動増殖再生」されて、大事になっていく。「情報化社会」がそういうものだと私は考えてはいなかったなあ。
アメリカ議会でも、SNSの経営責任者を呼んで公聴会を催し、そこで、「言論の自由」と上記のような社会的扇動につながる「責任関係」をふくめてやりとりがなされたと、これは「NHK特集」が報道していた。もちろんトランプと議会に殴り込んだ人たちの「行為責任」はあるものの、彼らの「行為」の根幹にある「情報の傾きの社会的増殖再生」をこそモンダイにしないと、ただ単にナチスが民主制の頂点で誕生したとか、嘘も百回繰り返せば本当になるという俚諺の次元にとどまって、人間の本性に踏み込まないままとなる。ここでいう「人間の本性」とは無意識のことだ。
「トランプ危機」を「我が闘争」の再来のように見立てて私もとりあげてきたが、さすがアメリカ議会。もう一歩踏み込んで事態を考察し、社会的事象として解明しようとしている。それは、ネット社会の最先端を築いて、グローバルに主導してきたアメリカ社会が抱える、やはり最先端の事象だと認識しているからであろう。台湾の「オープン・ガバメント」も、こうしたモンダイを勘案して進める櫃譽ぐああるのだろうか。
「トランプ危機」を、そこに参加した人たちの個人責任として考えてしまうと、彼らの「情報リテラシー」の能力問題に還元されてしまう。つまり、倫理的道徳的にふさわしいリテラシーを身につけようというお題目になって、とどのつまり雲散霧消してしまう。この東洋経済onlineの記事は、それをネット時代の情報システムとその設計思想と表現の自由と法的規制という社会問題として将来的な解決策を探る方向へ道を開いているところが、新鮮、かつ意味多い所だ。
もちろん市井の私としては、わが身の「無意識」に傾く無茶ぶりと外的に影響を受けやすい点に心しなくてはならないと思っている。それには、自らの好みをふくめた「選択の傾き」の根拠が何であるか、それが及ぼす社会的な影響はどうなのか。わが言葉だけでなく、立ち居振る舞いを対象化し、つねづね「かんけい」に気を向けて、その意味するところを意識すること。つまり、言葉にして対象化することをつづけることかなあ。ただひとつ救いとなるのは、ネットのアルゴリズムに影響されるほどネット検索をして情報収集をしているわけではないこと。ただ、山の情報や旅に宿の検索などをすると、その後なぜか、そうした宿や山やキャンプに関する「広告」がネット画面にあふれ出してくる。ま、無料で使っているんだから、こんなものさと思ってきてはいた。だが、そうか、そうやってだんだん私の脳も、アウトドア脳になって行き、旅モードに傾いているのかもしれない。個人的には用心するしかない。とすると、これも、新型コロナウィルスと同じで、自己防衛して、せいぜい社会的に迷惑を掛けない程度に振る舞いなさいということか。
いや、東洋経済の記事に触発されて書こうと思っていたことと、ズレてしまった。また機会を改めて、考えなおしてみようか。
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