マル激トーク・オン・ディマンドの2021/4/10号で、表題の件が論じられている。ミャンマー国軍の暴力的支配を、日本政府はやめさせる責任があるという。
「(日本は)ODAの供与国として世界最大であるばかりか、ミャンマーの民主化の進捗をしっかりと監視することを条件に、2000億円もの債務帳消しにも応じてきた」
しかもそれは、日本国民の税金を投入しているのだから、国民に対しても説明責任を負っているぞと、NPO「メコンウオッチ」の元代表理事で東南アジア地域の開発問題に詳しい松本悟・法政大学教授を招いて、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司とが議論している。
そうか、そういうことをほとんど気にも留めないで、ミャンマーの国軍クーデターを「武家政権」と(まるで対岸の火事のように)評していたのは申し訳なかったと、振り返ってお詫びしなくてはならない。主張の論旨が間違っているというのではない。他人事のように見ていた自分を恥じて、お詫びしている。
じつは少し前に、高橋昭雄『ミャンマーの国と民――日緬比較村落社会論の試み』(明石書店、2012年)を読んで考えるところがあった。ミャンマー研究者の高橋昭雄が1986年ころから30年以上にわたってミャンマー現地に研究調査に入り、村落に住み着き、ミャンマーの人々の結びつきと村落の共同性の在り様を考察して、彼の育った日本の村落のそれと比較しながら「共同体と人々のつながり」を論じている面白い本だ。「調査」が、社会主義時代から国軍の軍政時代、そしてとりあえず民主化へ舵を切り始めたころに亘るから、彼の実体験が、まるでドキュメンタリーのリポートのように伝わってくる。そうして、ミャンマーの人々の「村落」との結びつきが日本のそれと極めて異なり、それゆえに、軍政という強権的な締め付けにさほど影響されず、自在な心持ちを以って暮らしているという。
それは、逆にいうと(この本の中では触れていないが)、村落ではなく(その村落の心性を残して受け継いできた)町場では軍政の締め付けに強く反発する思いが募り、十年余のとりあえず民主化に踏み出したことが、ますますその思いを定着させて来たことを、容易に想定させる。国軍が議席の三分の一を保障されている現行憲法そのものを、民主派と呼ばれる抵抗者の民を代表する「議員たち」が廃棄しようとしているのも、理の当然だと納得できる。
まるで、明治維新後の四民平等(の理念)に元気づけられた民が、すでにそれまで経済的にも社会的にも力を得ていたことに根拠を得て、発言し始めたようである。それと逆に、維新後の欧風万民平等思想によって、特権的身分を失い生活の基盤をあらためて作り出さなければならなかった武士たちが、うろたえた果てに西南戦争や「不平士族の反乱」に突入していったのと同じ道を、いまの国軍がとっていると思わせるものであった。もっとも(それを制圧する)「官軍」がいませんがね。
高橋昭雄が「共同体の失敗」という表現で提起している、村落への帰属性の希薄さと逆に個々の民の自由や独立性の高さに相互に関係しながら、しかし、そこにコミュニティ・フォレストリーが入ってきたり、NGOのマイクロ・ファイナンスが行われるようになって、(利得関係を明快にした自主管理的結びつきが生まれ)「共同体の失敗」と言われてきた(日本の場合のような)人格的拘束や倫理的束縛を抜きにして、村落の民の関係が安定的に構築されてくると、(日本の場合と比較してみると)いわば、固定電話のインフラもなかった地域に携帯電話が一挙に広がり、後進的通信状況がひと段階先行するようになっているような、そんな印象を持つ。
高橋昭雄のリポートが面白いのは、つねに日本の場合と比較することによって、どちらがより進んでいるか遅れているかという価値軸が消えてなくなり、それぞれがもっている特長をみてとることが出来るということだ。しかも「共同性」に関する視線が細やかに分節化して深まりを持っていることに気付かされる。こんな双方向的な批評性を持った問題提起を明示的に記したドキュメンタリーを目にしたことがあったろうか。そんな気がして、わが身を振り返るような心持で、ミャンマーの事態を見つめていた。
そんなところへ、「ミャンマーに対する日本の責任」が問われた。つまり、日本の民の税金を使って(結果的に)国軍を増長させてきた日本の責任とは、他の自由主義的な国々が民主派への共感と同情を寄せるというのとは違った、具体的な「応答責任/リスポンス」が求められているのだと言える。日本政府が、国軍に遠慮して遠まわしに言及したり、民主化への過程を検証することを求めなかったりするのは、「応答責任」を放棄したものだ。それは、日本国民に対する「裏切り」であり、為政者が日本という国を私物化していることを示している。これはミャンマーのモンダイではなく、まさしく、日本のモンダイである。
黙っていていいのか。
おおっ、お前さんは、では何をしているのか?
う~ん、いや、そうは言っても私などが・・・とは思うが、せめて非力な私ができる小さなこと、こうやってわが身を振り返って発言するくらいのことしかできないが・・・、ごにょごにょ。
ごめん、ミャンマーの人たち。ごめんよ。
同様に、ごめん、「わたし」よ。この程度にしかわが身のことをつかんでいないってことを。ごめん。
0 件のコメント:
コメントを投稿