昨日の話につづける。「トランプ危機」と命名された今年1月初めの、トランプ支持者たちによる議会襲撃事件が、集団的無意識のSNSを通じた増幅機能によって「自動再生」されたものだと昨日とりあげた。Qanonなどの「陰謀論」が信じられ広まる背景には、絶対神信仰が根づいている素地も強く影響しているといえるが、同時に、(絶対神信仰を持たない地域においても)善悪二元論的なものの考え方が世の中のすべてに行きわたる様相が作用していると思える。
善悪二元論は、さまざまな事象を(立ち位置をベースにして)二つに分かち、その原因を探ろうとする志向性を持つ。つまり、二元のどちらに付くかを、まず明確にして「因」を探るから、腑に落ちる方向への傾きに導かれるのは、論理的に考えても至極当然のこと。「腑に落ちる」というのは、説明が最もわかりやすいこと。つまり単純明快であることだ。陰謀論は、もっとも単純明確にそれを指摘し、しかもそのトリック(陰謀)のネタは隠されている(だからこそ陰謀なのだが)。ネタが隠されていることが「根拠」であるから、「陰謀論」の想像は、いかようにも広がり深まる。昨日も記したことだが、SNSの広告ビジネスモデルに引きずられて、過激に増幅され再生される。広告ビジネスとしては、ますます儲かるから、そのSNSの設計思想は歓迎され、さらに促進される。
じつは、中国の専制的統治センスも、絶対神信仰と同根である。共産党が民意を最もよく理解し、体現しているという前衛神話は、まさしく共産党が「神」であり、民はイデオロギーに惑わされて真理を手に入れることが出来ず、「神」によって導かれることを通じて、平安を手にすることが出来る。キリスト教は、やっと近代になって聖俗・政教分離を理念に取り込むことになったが、土台の、つまり身に沁みついた心の習慣としてのセンスは、変わらず絶対神信仰に浸ってきた。分離された「俗・政」の方は、単純化して言えば、「奴は敵だ、敵を殺せ」という二元論として、じつは、善悪二元論を増幅させるように純化してきたとさえ、言える。共産主義思想の「前衛理論」は、ヨーロッパ近代の生み出した民主思想の双生児である。だから、最も民主的な憲法下でナチスも誕生したし、資本主義思想も、倫理的なベースを忘れて、利益最大化の効率を求めて、ここまで暴走してきたのであった。トランプは、そのひとつの現象形態である。
その、SNSの作用で気になるトピックを耳にした。「町山智弘のアメリカの今を知るTV」で、AIがその人の用いる言葉を解析して「信用調査」の判断をする機能を持つようになった。さらにAIは、人の顔の表情をみて、その人の感情を読み解く機能ももつに至ったというのである。前者の「信用調査」は、その人の書いた文章を読んで認知症状などを診断して、社会的な取引の「信用」の可否を保障するらしいのだが、そうなると、「わたし」の意識に関係なく突然預金が引き出せなくなったり、送金や受取りが拒否されたりするかもしれない。まして、後者のように表情を読み取って、社会的な秩序維持に用いられるようになると(中国社会を想いうかべているのだが)、たとえば「愛国者じゃない」と判断されて、たちまち「予防拘禁」されたり「逮捕」されたりするようになるんじゃないかしら。
というのが、単なる過剰な想像というのではないと思われるほど、SNSによる「無意識の自動増幅・再生」は真に迫って、わが身に迫っていると感じられる。参ったなあ。
町山智弘の番組では、ネットのその作用に関しては、ネット経営者も策を講じる手立てがなく、後は法的な規制を強固にやるだけなのだそうだ。もちろんまだ、その「法的規制」がどのようなものである必要があるかもわかっていない。でも、そうなると、中国のように国家機関が専制的にそれらを駆使して社会を設計して行こうとすると(いや、実はすでにそうしているのだが)、まさしく世界は陰謀論に満ち溢れる「神々」の横行する世界となる。アメリカのような「自由人権社会」が敵う相手ではない。
もうとても、参ったなあと慨嘆しているだけじゃすまないなあ。どうしよう。
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