2021年4月3日土曜日

彼岸からの便り

 昨日(4/2)、「郵便が来てるわよ」とカミサンが2通の郵便物をもってきた。表書きを見て驚いた。

 先日(3/7)のこの欄で「いたるところに青山あり、か?」と記した、タイで逝去した私の古い友人の手になる、あて名書きだ。

(いつ投函されたのか?)と思って、日付をみると「27/03/2564 09:25:46」と、分秒まで記載されている。2564というのは、(たぶん)タイの「元号」だろう。日本の「起源2600年」というのと同じと見た。でも、彼が火葬されたと知ったのは3/7。まさしく「彼岸からの便り」。

(どうしたことだろう)と思いつつ、封を解く。記録の意味もあるから、全文を記し置く。


《突然お手紙を差し上げ、驚かれたことと存じます。

 さてこの度、私は。死亡もしくは脳関係の病気などに見舞われ、意思の疎通が不可能となりましたので、この事をご報告いたします。併せて、今迄のご厚誼を厚く感謝申し上げます。

 私の妻は外国人で日本語に疎いですし、タイに住んでおります。従いまして彼女から皆様に斯様な事をお伝えすることが出来ませんので、こういう事態の前に、私が事前に文をしたため、何かあったら郵送するように依頼しておいたものです。なお死亡せず、回復するようなことがあったら、ご連絡させて頂きます。但し、まずそういうことがないと思っておいて頂けると助かります。

 それでは皆様方の今後のご健勝を切にお祈りし、併せて繰り返しになりますが、今迄の御厚誼に深く感謝を申し上げます。

 2010/4/19              * * * 記す。

追伸 振り返って自分の人生、有りすぎる程色々な事がありましたが、「まあまあ」かと思います。そしてこれから永遠に回帰します。》


 2010/4/19 とは何か? 

 思い当たるのは、2020年の4月19日ということ。ちょうど一年前(2020年)に彼は、医者から十二指腸辺りに「異変」があると告げられている。ひとりの医者は「すぐにでも手術をしないと手遅れになる」と言い、セカンド・オピニオンを別の医者に求めたところ「急ぐことではないが、精密検査をしてみましょう」と意見が分かれ、どうしたものだろうと、私とe-mailでのやりとりがつづいていた。そして5/2に検査入院することまでは当方に伝わっていたが、その後音信が途絶え、こちらのメールに返信もなく、ナニカがあって彼は死亡したのだと私は思っていた。

 つまり、医師とのやりとりで何がしかの重篤な病に冒されていると感じた彼が、「遺書」のつもりで私宛の「手紙」をしたため、もし万一何かあったら、「投函するよう」奥さまに依頼していたのもが届けられたと思った。

「追伸」で、「まあまあ」の人生だったとみているのが、(私にとっては)天啓のように聞こえる。彼がどのような出自で、何に思い悩んでいたのかを、じつは私はほとんど知らない。家族関係に関して、ひどく重い鬱屈を抱えているとは感じていたが、踏み込んで聞いてみようと思ったことがなかったからだ。そこはかとなく知っていることと言えば、彼の仕事中のことやリタイヤしてからの、年に1,2回会うかどうかに口にした話くらい。どのようにしてタイの方と知り合い、結婚し、向こうに住むようになったかも、日本に来たときに奥さまに会って、紹介されたことがあった程度。深く踏み込んで詮索したわけではないから、「知っている」とさえ言えないように感じてはいた。薄情なのかな、私って。

 先月の24日に、この古い友人*の(兄嫁に当たるのであろう)「義姉」さんから、「*が3月3日に膵臓癌で亡くなったこと」を知らせる手紙が届いた。(遺品のなかに)私からの郵便物があり、奥さまが日本語を書くことが出来ないので、代わって知らせることとなったと断り書きがあった。すぐに私は「お悔みとお知らせを感謝する」返信を書き、昨年来の「憶測」と今年に入ってから、*と共通の友人y105とのやりとり、その後の国際郵便でのいきさつを記して送った。その義姉さんからの「お礼状」が、上記の*からの国際郵便とともに着いた、もう一通の郵便物であった。これも、*がわだかまっていたのとは異なる「家族」との関係を思わせる上質さが伺われるので、紹介しておく。


《芽吹きの季節を迎えました。この度は、心暖まるお返事を頂戴いたしまして、ありがとうございました。/*さんは日本への帰国をとても楽しみにしていましたが、素敵なお友達との再会をなさっていたのですね。/心を開いて、母国語で語り合い、飲んだ日本酒はどんなに美味しかったことでしょう。/お世話になりました。/40数年来のお友達にめぐり会えた裕さんは本当に幸せ者です。重ね重ね御礼申し上げます。/y105様にお目にかかりました際には、どうぞよろしくお伝えいただきたくお願い申し上げます。/コロナ禍にあって不安な日々が続いております。あなた様の御健康をお祈り致しております。/感謝のうちに かしこ》


 毎年帰国したときに会って話をしたとき、*は、父とも母とも「和解」することが出来たこと、お二人の葬儀に立ち会うことが出来たことを話していて、最後に話したときに(それが)「良かった」と思いを込めて漏らしたのが印象的であった。

 その「良かった」思いと、義姉さんのお便りと*自身の「遺書」にある「まあまあ」の人生という感懐とが、人の行きつく自然の到達点のように(私の胸中に)響いている。まさしく「彼岸からの便り」である。

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