どうしたのだろう、いくらでも寝られる。春眠はとっくに過ぎて、もう夏日になったりしているのに、8時間も9時間も目が覚めない。6時には起こしてほしいとカミサンに頼んでいるのに、たっぷり9時間寝て声を掛けられても、目を開くのに、両手を借りてまぶたを押し下げなければならない。どうしたのだろう?
思えば、山の事故があって1年余、この1年間山らしい山に入っていない。ハイキング程度。歩く力だけは落とすまいと、出来るだけ歩いてきた。片道5㌔、往復10㌔のリハビリも歩いて通う。毎日2時間程度なら歩き続けられる。4時間から6時間程度のハイキングは、草臥れずに行ってくることが出来る。では、何日か続く縦走登山となると、どうだろう。
そう思って、体力チェックをすることにした。四国のお遍路旅を歩いてみようというのである。いつかも書いたが、信仰心はない。だから「同行二人」の「行」は「ぎょう」ではなく、「こう」。もうひとりの「わたし」と一緒に、行けるところまで行ってみる。急がない。草臥れたら停滞する。道に迷わず、宿さえ確保できたら、心配はない。
山と溪谷社発行の『四国八十八カ所05』を、私は持っている。じつは、2005年の1月下旬に一番札所から19番札所まで5日間ほど歩いたことがある。お遍路の謂れでは、「発心」といわれて、遍路旅を続けることへの心準備が整えられるとされている。だがなぜか、5日間ほど出切りあげてしまった。「発心」に縁がなかったのか、退職して二年が終わろうとして、編輯を手がけていた自然観察ガイドの本がいよいよ出版されることが決まって取りかかることになったためか、カルチャーセンターの山ガイドが、その春から始まっているからその準備のためであったか、すっかり忘れている。そのときの菅笠が取ってあったのでその荷をほどいてみると、「御朱印帳」が出てきて、19番札所の御朱印までちゃんと記し残されている。何だ、こんなことまでしていたんだと、あらためて想い出したというわけ。なら、つづきに取りかかればいい。
そのことを知ったご近所の知り合いが「最新の地図を手に入れた方がいい」という。私より十ほど若い彼が歩いたとき、道が分からず、宿なども行きすぎたりして探すのに骨を折ったらしい。そこで、四国88カ所の寺から寺へ一つひとつの寺紹介と経路地図を描いた案内サイトを見つけてダウンロードした。
さて何を思って、どの程度のペースで何処まで行けるかを想定した。30㌔平均歩けるというのが、元気な人のペース。4月下旬に出発して5月下旬で、残りの千㌔余を歩き通して、5月28日に予定されている岡山県の高校の同窓会にドンピシャリで顔を出せる。行こ行こと、わが身の裡が元気な声を掛けた。17年前は夜行バスで徳島駅まで行った。だが今回は、コロナ禍で、ここ3年ほど逢うことが適わなかった兄にも会って、それから徳島へ向かおうと行程を決めた。
出発の一週間前から、思いつく毎に必要な品を用意して、そろえ始める。とともに、雨だったらどうしたものか、トンネルを抜けるとなると懐中電灯も必要になる。軽登山靴がいいだろうか、ウォーキングシューズがいいだろうかと、湧き上がってくる。そうして行き着いた一つが、果たして体力が一人前にあるかと思案するところ。30㌔ペースを25㌔ペースに落とすと、宿がなくて38㌔歩くところを、12㌔と26㌔に分けることも出来る。そうやって変えると、5日ほど行程日数が増える。
いや、ひとまずそうやって想定しておいて、身の疲れ具合と相談しながら、翌日の宿を決めて歩くようにしよう。修行じゃないんだ、お四国トレッキングだと自分に言い聞かせる。お寺さんは、いわばそのエモーショナル・キャリアー、気分の運び役を務める媒介項だ。山でいえば、通過するピーク。宿の予約も、スマホを使えば簡単にできるはず。迷子にならないようにすることが、まず第一。そう考えたら、スマホがちゃんと使えないことにも気づいた。行きたい先を住所で打ち込んで現在地から案内する機能が、Googlemapにあると教えて貰った。果たして使えるかどうか、まずこちらでやってみなければならない。
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