1年前の記事は、再三延期となった、卒業以来60年ぶりとなる「高校同期会」のこと。今年に延期された5月の実施をどうするかは、まだ知らせがない。
コロナウィルスは、どんどん変移して、まだ頑張っている。第六波がぼちぼち終わるかと計算していたのだが、さほど下がらないまま、第七波に突入するのじゃないかと、政府系専門家も口にし始めた。「同期会」開催の世話役の方々は、本当にどうしようかと思案投げ首かも知れない。
もちろん在首都圏組の私たちは、5月のseminarは「同期会」に代えると決めて、予定を開けている。首都圏の感染拡大は相変わらずの趨勢だが、オミクロンやそのステルス版との雑居も、日常になってきた。年寄りは罹ると大変ということは、最初の頃から変わらないから、何かと用心している。用心していても、またコロナならずとも、そろそろ寿命が近いから、観念はしている。近親や身辺の友人たちの訃報もよく目にするようになった。
今年、傘寿。昔風に言うと、すでに数えの80となる。つい先日のseminarでも、80以上の歳の数え方は、中国伝来でなくなっている。「古来稀なり」を最後に、喜寿以降は、表意文字のパロディで年齢表現をする。つまり、稀を通り越して、象徴界、天上界の様相を呈しているというわけだ。目出度いを通り越して、存在自体を言祝ぐ気配はすでに彼岸のものと言えるかも知れない。
となると、彼岸と此岸を往き来しながら存在する作法があるんじゃないか。そう考えた。それで一つ思いついたのが、四国のお遍路。わが生まれは讃岐の高松。わが育ちは、海を挟んだ向かいの岡山県玉野市。ずいずいと歩いて、5月末の同期会予定の日に打ち上げっていうのも、悪くない。そう考えた。もし回りきらなければ、途中で切り上げて、同期会に顔を出せばいいじゃないか。しかも私の山歩きは、1年前から頓挫して未だリハビリという名の、回復途上。どの程度恢復したかを、お遍路具合で確かめてみるのも一興。そう思って、40日間1200㌔の旅に出ることにして、目下準備をしている。もちろん毎日2,3時間歩くことはしている。
雨の日も風の日も、歩くかどうかも、思案の内。一カ所にとどまって日を過ごす算段もしている。四国お遍路というのを、「同行二人」といっている。「同行」を「どうぎょう」と読んで、弘法大師さんと一緒ですよという意味らしい。だが、どう考えてみても、不信心ものの私如きが弘法大師さんとご一緒に歩けるわけがない。私としては「同行/どうこう/二人」と考えて歩こう。えっ? もう一人は誰ってか。もちろん毎日自問自答している「もうひとりのわたし」ですよ。
出かけたら、帰ってくるまでブログをおしまいにするかどうかも、懸念材料。今の私のデジタル能力では、40日間お休みとなる公算だが、ひょっとして抜け道が見つかるかも知れないと、探りを入れている。考えてみると去年も、山の遭難事故で、20日ほどの間、ブログをお休みした。一人、「何かあったのか」と心配したメールが来たが、他の方々はあってもなくても大して気にしてないのが分かって、ちょっと気持ちは楽になった。今年もその手で行こうとおもっている。いずれ死ぬ身のちょっと一踊り、のお遍路舞台はご覧いただけないが、後日のご報告にまで至れば上出来と思っている。
もっとも出発まで、まだ2週間ほどある。それまで、おつきあいください。
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