2017年8月10日木曜日
スウィングする苦悩
ドロシー・ベイカー『Young Man with a Horn――あるジャズエイジの伝説』(諸岡敏行訳、青土社、2001年)を手に取った。図書館の「新着図書」の棚にあった小説。後で発行年を知って、どうしてこんなに年数を経て? と思ったもの。しかも、初版本だ。原作は1938年に発行されている。
時代は1920年から1930年、禁酒法時代のアメリカ。狂騒の時代とかフォードの大衆車生産が勢いを持った時代でした。ある種の伝統破壊が流行したこともあって、音楽の世界ではルイ・アームストロングなど、黒人の即興の、コールアンドレスポンスとも言われるモダンジャズのはしりが盛んになって、のちにジャズエイジと呼ばれた時代でした。
この小説の主人公、リック・マーティンは、誕生と引き換えに母を失い、その直後に父親が(生まれたばかりの乳児を従弟妹に預けて)消えてしまうという運命を背負って成長した白人の少年。まだ人種差別的な視線が社会的に厳しいなかで、教会に潜り込んでピアノを独習し、(黒人たちが主流の)ジャズに魅せられて、ピアノを本格的に教わり、この本でHornと称されるトランペットを演奏するようになって、ミューズの神との触れ合いに心を奪われていき、30歳前に人生が終わる青年の物語である。
一昨日とりあげた映画『静かなる情熱』の詩人、エミリ・ディキンスンと同じく、芸術的衝動に囚われ、己の内奥の趣くままに己のすべてを投入する姿は感動的である。だが、ディキンスンとは百八十度違う世界とのかかわり方をしている。上流階級の出身どころか下層市民としての家族ももたない。したがって友人たるものが黒人の、バイトの同僚。楽器はもちろん買えないから、人気のないときの教会に密かに入り込んでピアノを弾く。ある切っ掛けから(禁酒法時代の)溜まり場のジャズバンドと出逢って、彼らに才能を見出され、かつ、教わってはじけていくリックの内奥の衝動は、まさにミューズの神にみそめられて囚われていくように見事に描き出されている。たぶん、この諸岡敏行という訳者の腕がいいのであろう。今からいえば90年も前の時代を描いているにもかかわらず、現代のモダンジャズのスウィングが行間に浮かび上がる。まさにリックが、状況と、仲間内と、時代とスウィングするように殻が取り払われ、スウィングそのものがリックだと言えるほどに、彼を満たす。しかも彼は、自分の関わるバンドやそのリーダーとの誠実な関係を崩そうとしない。ことばにはなっていないけれども、リック自身の、自らの生い立ちに対する社会的な寄与の多大さに畏敬の念を持っているがゆえに、いつも控えめに応対する。けっして、意のままにならない「環境」を謗るようなことはしない。
その短命な暗転は、読んでいただくのがいいと思うが、一昨日観た映画の、昔懐かしい「オマージュ」という魂の古くささく比べたら、まさにリックの魂が「永遠」を手に入れてわが身に戻ってきたような錯覚を味わうことができた。面白かった。
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