2017年8月7日月曜日

変化に富む薬師岳の縦走ルート(3)マイペースで歩く心地よさ


 薬師岳の山頂で30分近くも過ごし、下山にかかる。少し進むと岩室がある。最初、これが山頂かと思っていた。「ニセ薬師」と若い二人連れは言う。彼女たちは太郎平の方からも来たことがあるらしい。そのときに山頂だと思ってがっかりしたんだよねと笑っている。彼女たちに先行してもらう。下りは砂地の斜面。富士山の砂走りより少し大きい瓦礫がつづく。バランスの良い若い人は、さかさかと降ってゆく。雲は3000m辺りを覆い、その下の山々はくっきりと見える。薬師岳山荘2071mで先行した二人は休んでいた。32分できている。私は構わず先行する。やがて瓦礫の道はハイマツ帯になる。と、5mほど道の先にライチョウがいる。これで3日間連続でライチョウに出逢った。カメラを出して撮影する。ライチョウは砂浴びでもしていたのだろうか。足元の土が少し掘られて色が変わっている。どうしたものか思案しているように立ち止まったまま。私も動きを止める。と、うしろから件の若い女たちがやってくる。ライチョウがいると声を出さずに言うと、伝わったらしく、先頭の彼女は後ろのカメラウーマンに何かを言う。二人がそうっと近づいてくる。


 ライチョウはやはり、動けない。一眼レフを構えてシャッターの音が聞こえる。と、別の若い男が上から降りてくる。私が指さすと動きを止め、あっ、ライチョウだと、声を出す。しばらく見ていたがライチョウが動かないので、ザレた下の道へこちらが歩を進めると、ライチョウはようやく上の草地の方へそろそろと移動する。草地にたどり着くと、急ぎ足でハイマツ帯のなかへ姿を消した。まだ若い個体のようだった。

 振り返ると、これまで歩いて来た稜線の斜面が一望でき、黄色い花をたくさんつけたお花畑がその向こうに雪渓をおいて瑞々しい。やがて広々とした湿原の木道になる。薬師平の標識。山頂から1時間。遠方の山の上に入道雲が大きく伸びあがる。大きなケルンと雪渓のある地点にくる。山頂から1時間10分。コースタイムより20分早い。つまり8割ペースに戻っている。この先が沢伝いに下る。沢の両側には樹林が覆いかぶさるように茂っている。25分で薬師峠と表示のある、キャンプ場に着く。たくさんのテントが張られ、若い人たちが屯している。合宿なのであろう。一休みしようと平たい大岩に腰掛けて、野菜ジュースを出す。と、先行していた若い女性が「また一緒になりましたね」と声をかけてくる。彼女たちも、ここで一息ついているのだ。「折立に下るのなら、14時のバスに間に合わせなければならないね」というと、車をおいてある、という。もう一台を室堂において二人でやって来たのだと余裕綽々の顔をする。なるほど、いい山友だ。「太郎平でお昼をとるから、またお会いしますね」と言って先だって行った。

 キャンプ場の上へあがると木道になり、広いお花畑になっていて、その向こうに太郎平小屋が見える。驚いたことに、小屋前の広場は、まるで繁華街の雑踏のようであった。ちょうど時間が11時半という時間帯もあったろうか。広場を取り囲むベンチにはたくさんの人が座ってお昼にしている。ここは、黒部五郎の方から来る人も雲の平から来る人も薬師岳から来る人も、あるいはそちら方面へ行く人も立ち寄る交差点。若い人たちも多い。中高年がいちばん多いが、これから山へ入ろうという人たちは顔つきが引き締まっている。それに対して、ここから下山しようという人たちは、すでに山中で過ごした何日間かの山中の疲労を顔に浮かばせて、満足げにショボい。どちらが多いか。今日は金曜日。言うまでもなく、今日から入山する人の方が多い。大きな笑い声が響く。

 宿泊手続きをする。大部屋では私がいちばん早い到着だったようだ。二階の大部屋は布団ひとつを割り当てられた。だが下の部屋では布団二枚に3人という混雑。違いは「予約」をしていたかどうかのようだ。着替えてから乾燥室で干し、持ってきたインスタントラーメンとビスケットを食べよう外のベンチへ向かうと、太郎平小屋でお昼を注文して食べ終えた件のカメラウーマンともう一人の若い女性と顔を合わせた。これから折立に下る。3時間。若いころは一日十時間程度の行程は普通であった。地図上のコースタイムでいうと12,3時間を歩いたなあと、昔日を思い出す。室堂に当日朝つくようにすると4泊5日の行程が2泊3日になる。若くて力のあるうちは、そうでなくちゃならんよ。私はもう年寄りだから、これでいいのだと思う。スゴ小屋からの後続者たちも、60歳半ばの二人組は1時間遅れ、川崎と大阪からの二人組は2時間遅れであった。アラフィフの大阪男は薬師近くの岩場で転倒し、岩で胸を打ったのが痛むと顔をしかめている。膝も不安定だと訴えている。聞くと、明日9時40分の一番のバスに乗るには4時に出ることにしたという。私は5時の朝食を済ませて出れば十分と考えていたので、折立で会いましょうと再会を約した。下山してから彼らが知っている(富山駅近くの)温泉に一緒に行こうと考えていたのだ。
 
 5日目、朝食を済ませて出発したのは、5時半ちょうど。富山側から吹いてきた風が山にぶつかって雲がかかる。だが上空は晴れている。朝陽が出てきた。すでにあちらこちらに出発する人たちが準備をしている。下山は気分がいい。やはり寒くない。快調に下る。と、前方から若い人が来る。「早いですねえ」というと、「2時に折立を出ました」という。山荘まで5時間の行程を3時間半でやって来たことになる。すごいねえ。30分ほど下った五光岩ベンチのあたりで上って来た人は、4時半にでたそうだ。「トレイルランニングですね」と返すと、笑っている。百メートルほど私に先行する単独行の若い人がいる。この人がペースメーカーのように歩いてくれる。空に爆音が響き、ヘリコプターが荷物を運んで何度も往復している。そのうち下界に大きな湖が見えてきた。有峰湖だ。今日降る標高差は約千メートル。ところどころに標高も記した表示板があり、気分がいい。

 標高1934mの三角点から下りは急になる。そのあたりから、登ってくる人たちと頻繁に行き交うようになった。狭い登山道。なかには30人ものパーティもあって、待っている方はイライラしてくる。ずいぶん折立に近づいたところで、件の60歳半ばの二人連れに追いついた。彼らは4時45分に出た、アラフィフの二人連れは4時に出たからもう着いているだろうと言って、道を譲ってくれる。その先で、大学生らしき三人パーティが、登ってくる人に道を譲って待っている。私は後ろに着く。ところが、上ってくる人たちは、降る人たちが上で待っていると思わないから、少々間が空いても、マイペースで上ってくる。後ろから学生さんに私は声をかける。「間が空いたら割り込んで、降りようよ」と。そこから彼らの機敏な動作がはじまり、私は快適に彼らについてどんどんと降っていった。折立には、8時着。ちょうどベンチにいた、件のアラフィフたちが「やっぱり早かったですね。私たちはついさっき着いたばかりですよ」と笑う。9時40分発のバスの前に8時半発の有峰口行きのバスがあるという。この時間に降りてきたからいいようなものの、もし初めからその時間を聞いていたら、私はもっと早く降ることを考えて焦ったかもしれない。ストックの土を落とし、携帯電話を出して無事下山のメールをしようとしたが、「圏外」。バスが出発し山間の道を走っていると思っていたが、気がついたら終点の近く。ケイタイを出してカミサンにメールを打つ。「ゆっくりお帰りなさい」と返信が来て、さあ、これから下界の風呂に入ってビールでも飲もうと、田舎の鉄道のホームに立って、縦走の五日間を振り返っていたのでした。(終わり)

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