2017年8月13日日曜日

別荘のようなところでの静養?

 と言って私が「別荘」を持っているわけではない。「別荘のように使える馴染のペンションがある」だけだ。息子の知り合い。南極料理人のご主人がつくってくれるフランス料理に舌鼓を打ち、信州ワインを味わい、近くの八島湿原や車山などを散策して、のんびり過ごす。年に一回は出かける。もう十何年通い続けている。息子一家と合流する。ときに娘の家族が加わる。つまり、我が家の一族が顔を合わせる機会になる。


 思えば私たちは、結婚してから何十年もよく、盆と暮れには実家に帰ったものだ。「そりゃあ、親がいたからよ」とカミサンは言う。だが、私らが「規制」していたころの実家は、抜け出してきた「ふるさと」であった。遠くから見ているから、盆と暮れには帰る。実家で親の世話をしている兄弟とその嫁さんたちにはたまらない苦痛であったかもしれないと、はるか昔を振り返って思う。わるかったね。わずかの手土産で姪甥まで連れてやってきて、何日も滞在する。しかも父母は、日ごろ顔を突き合わせている息子や嫁よりも、遠くにありて思う「かんけい」の息子や嫁の方が、なんとなくよく見える。丁重にもてなす。翻って、日頃の愚痴もこぼれて、同居の嫁を悪くいう。いくつもの小説の材料になったように、親の心もちというのは、あまり変わりがない。ほんとうに悪かったね。とっくに親はなくなっているが、想い起すたびに、兄弟や嫁さんに詫びねばならない気分になる。

 さてわが身が老親になってみると、やはり遠くにいる子供たちが孫を連れて帰ってきたり、孫が一人で訪ねてきたりするのが、夏休みや冬休みの季節だよりになった。孫たちも、小学生のあいだは爺婆とつきあってくれる。同居している子どもがいるわけではないから、食事や遊びの世話はもっぱら婆であるカミサンの担当になる。むろん私が、何もしないわけではないが、カミサン婆の指示に従って、現場の付き添い担当である。だがこうしてみると、子どもが親を気遣うということがないと、つくづく思う。育て方が悪かったのか、そういうものなのか、断定もできない。私自身がどう振る舞っていたかを思い起こすと、親のことを気遣って立ち居振る舞いをした覚えがないのだ。やはりもう彼岸にいる両親に、わるかったなあと詫びるような気持になる。今さら詫びても取り返しはつかないから、代わりに、わが子にも何も言わない。

 そうこうするうちに、別荘のようなところで過ごすことが恒例になった。孫の一番上は、もう大学生になったから、もっぱらそちらの方で懸命である。かろうじて中学生の孫が付き合って顔を出す。あとの三人は小学生だから、親も同伴でホクホクしている。こうして、彼らも遠くに離れて暮らしているいとこ同士が、顔を合わせて一緒に過ごすのも、爺婆の介錯がなくては実現しないから、彼らが足を運んでくる間は、そして、こちらが脚を運んで行ける間は、年中行事にしておこうというわけである。

 「静養」と言った。二家族の孫たちが大きくなると、爺婆はいてもいなくても「場」が盛り上がる。つまり「介錯」と言っても、別荘のようなところに足を運ぶ「大義名分」だから、中身は何もない方が、孫たちにはよい。近くにいて、みているだけ。湿原や山もあるが、山歩きというほどは歩かない。せいぜい子ども脚で4時間程度だから、「静養」といったのだ。さて本が読めたり、PCをいじったりできるかどうか。

 明日から二泊三日で「静養」に出かけてきます。しばらく、また、このブログ、お休みです。ではでは。

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