2017年8月11日金曜日
「山の日」という非日常に思う
今日は「山の日」。去年から祝日になった。だから私は、お休み。若い人たちの邪魔をしたくない。国の施策に踊らされたくもない。加えてこれ以上、非日常を増やしたくない。海の日もあるから山の日もというのなら、空の日も水の日も設けなくてはならない。つまり、天然自然に思いをはせその恵みに感謝するのなら、というほどの意味で私はそう考える。もちろん山の日を設けた方は、お盆とつなげて皆さんが遊びに出ることを奨励し、少しでも景気浮揚に貢献したいという「ねらい」であろうから、自然への感謝も何もあったものじゃない。幸いにも今日は朝から低い雲がかかり、涼しい。昨日までの暑さがちょっと治まって、家でゴロゴロしているのにちょうど良い。静かな日常が戻って来たみたいだ。
毎日がお祭りというような高度消費社会において、私たちは日常を忘れている。日常というのは、日々一つひとつ丹念にわが身を保つことに必要な営みを執り行うこと。振り返ってみると、ここへ来るまでにずいぶんといろいろなことを、他人に預け、やってもらい、その扶けを借りてこなしてきた。そうしていまや、自分で行えることがほとんどなくなってしまっている。そのことに最初に気づいたのは、定年退職したときだった。さてどう生きようか。そう考えたとき、ある先輩が「結局、得意技で生きるしかない」とサジェストしてくれた。そうか得意技かと我が身を振り返ってみたとき、私が四十年ちかく続けてきた仕事の技(おしゃべり)は、「場」を離れてしまえばほとんど無用の長物であった。おしゃべりが技になるのは「場」が保証していたのだ。つまり私が「得意」としてきた技は、「場」の変換に連れて変換されなくては役に立たなかった。結局おしゃべりは、「ひぐらしパソコンにむかひいて、こころにうかびくるよしなしごとを」つづるブログになり、月一回の「ささらほうさら」とふた月に一回の「aAg seminar」になっている。いずれも老人会といわれてもしかたがない「場」である。
あるいはこうも言えようか。長年仕事と並行して(時には仕事の中で)山歩きをつづけてきた。これも私の得意技と言えば言えた。だが、山仲間はそれぞれに仕事をもって彼らのペースで歩いている。私より高齢の、すでに退職した山仲間から声をかけられて、海外の山へいくことを十年ほど続けた。あるいは依頼されてあるカルチャーセンターの「山案内」を主宰するのも70歳まで続いた。これは自分で「場」を設けたわけではないが、ネットワークが作動して得意技を活かすことができた。だが、そこまで。山仲間は歳をとる。だんだん同行することができなくなる。今度は自前でネットワークを作らねばならなくなった。
幸い、カルチャーセンターに参加していた人たちの希望もあって、「山の会」をつくった。それ以来、私の企画で月に一回、会員それぞれの企画で月に一回、都合、月に二回の山行をつづけてきている。そういう意味では、私の単独行は、他に月二回程度になり、若い人たちを騒がせなくてよいように、週日に歩くようにしている。それが五年も続くと、そのような日常が身についてくる。
考えてみると、いずれも「外交活動」として「かたち」をとることで、「何をしている」という表現におさまる。もしこれが形を成さなければ、企画倒れの商品計画のようになって、宙に舞うであろう。そうか、そういう意味では、私にとってはネットワークが、もののかたちではないが「かたち」なのだ。お百姓さんが作物を育ててご近所に配るように、私はネットワークを育てる、あるいは育てられる。その相互依存関係は、必ずしも(商品交換というかたちに)金銭を介在させて相互(依存)関係を構成するというのではないが、自分の、おしゃべりとか山歩きという「作物」を相互にやり取りしている「かんけい」だということができる。
定年後の、はてどう生きようかと思案していたことが、十五年経ってみると、こんな「かたち」になっている。得意技でやって来たというよりも、こうやって来たことを振り返ると、これが得意技であったとみてとることができる。「日常」って、そのようにわが身の評価を見定める、今の瞬間のことなのかもしれない。「山の日」にそんなことを思う。
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