2018年5月17日木曜日
シルクロードの旅(1)あなたの小一歩は文明の大一歩
中国シルクロードの旅から帰ってきました。訪ねたのは、甘粛省の省都・蘭州から、西の端・敦煌の先、新疆ウイグル自治区との境界辺りまでです。といっても、中国の省の位置なんかわかりませんよね。私もそうでした。大雑把に言うと、中国の北にモンゴルがあります。そのモンゴルの東の方は中国東北部、モンゴルの東南の方は、中国の内モンゴル自治区。モンゴルの中央部ゴビ砂漠と境を接しているのが甘粛省です。甘粛省の西側には新疆ウイグル自治区という広大な「西域」があります。その広さはヨーロッパと同じ面積というのですから、ちょっと私などの空間認識では計り知れません。
甘粛省の東の方に位置する蘭州から端っこに近い敦煌まで、ほぼ1300km。目見当でいうのですが、日本の本州がすっぽりと入るくらいの長さと広さでしょうか。羽田から北京経由で蘭州に降り立ち一泊。翌日650kmほど離れた張棭まで新幹線にのり二泊。山歩きをしたのちに再び新幹線に乗り、650kmほど西の敦煌で二泊。ウイグル自治区との境、昔西域への門戸と言われた陽関や玉門関、漢代の長城跡まで足を延ばし、タクラマカン砂漠もかくなる様子かと遠望し、敦煌に近い莫高窟を覗いて帰ってきました。
本命は、張棭の「丹霞地貌」と呼ばれる独特の地形と山の色合いとをみて歩いてくるものでしたが、どうせならついでに古いシルクロードのここかしこをみて来ようというものでした。むろんそれらはそれなりに感慨深いものがありましたが、なによりも私が驚いたのは、中国の人びとの変貌でした。十数年の間に、こんなにも変わるものか。これは、習近平政権にこの地の方々が信頼を寄せ、期待をするのも当然だ、との思いを強くしました。
十年ほど前に、四川省の多姑娘山に登ろうと中国を訪れたときの町や村の(人びとの)情景は、貧困に身を馴染ませてつつましく生きる姿でした。山の帰りに九塞溝や黄龍という観光地に立ち寄ったときにも、人びとの振る舞いやトイレの様子に辟易して、いやな文化だなあと強く思ったものでした。それが今回、まるで別世界に来たようです。四川省の北隣に青海省があり、その北側に甘粛省があります。まあ、いわば山間僻地の代表格のように思っていました。トイレは蘭州の空港ばかりか、張棭市でも、敦煌にほど近い柳園南駅でも、もちろん敦煌駅でも、あるいは訪ねた観光地に設置された公衆トイレでも、みごとに整備され清潔に保たれていました。二十年ほど前に広東の空港のトイレに入って、広いトイレの足の置き場にしゃがんで用を足してるのを見た時の驚きが、嘘のように思えるほどです。えっ、ここもTOTOとおもったら、YOYOとトイレのブランド名が書き込まれていて、笑ってしまいましたが。その、男性用トイレ便器の前にあった標語が「あなたの小一歩は文明の大一歩」です。まさに、言い得て妙。
昨年秋に大連で乗った新幹線の様子とも違っていました。柔らかい色合いのスーツをまとった車掌が検札にきて手際よく手帳に書き留め、チケットに下車時刻を書き込み、下車駅に近くなるとやってきて声をかけるというサービスもしています。人々も指定席に落ち着き、東北部の新幹線のように勝手に座って、その指定席の人が来ると場所を代わるという景色も、まったく見掛けませんでした。相変わらず、大声で言葉を交わす傍若無人ぶりはそのままですが、危険を感じるということはまったくありませんでした。敦煌から蘭州にもどるとき、夜行寝台列車に乗りました。四人一室の二段ベッドです。私は中国の旅行客三人と一緒になりました。言葉を交わすことはありませんでしたが、場所を譲り合い、静かに夜を過ごすことができ、しかも朝になると、車掌がやってきて言葉をかけて起こしてくれ、そろそろ到着ですよと声をかけてくれるのです。すっかり、文明化されていたと思いました。
いろいろと感じたことはあるのですが、この後、今日の午後から十日間ほどは、たくさんの予定が目白押しです。とても「旅雑感」を綴る余裕もありません。まあ、暇を見てはちょぼちょぼと認めていきましょう。とりあえず、無事帰還したというご報告まで。
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