2018年5月19日土曜日

シルクロードの旅(3)甘粛省の民俗的アイデンティティ


 中華航空機で羽田を発った。まるで日本の鉄道のように「定刻」を気にしていると感じた。いつであったかどこかへ旅をしたとき、コーディネートしてくれた旅達者が「飛行機の出発というのは、離陸した時刻、到着というのは着陸した時刻」と教えてくれた。そのとき、(そうかなあ、機体が動きはじめた時刻じゃないのか)と思ったことを思い出した。だが中華航空機はまるで、コーディネータの言のように定刻の10分前に動き出し、午前7時20分に離陸した。これは乗り換えた北京でもそうであったし、帰りのときの蘭州空港でもそうであった。中国人も「定刻主義者だ」。


 北京で乗り換えるとき、荷物をいったん受け取れという。そうだ、コスタリカからの帰りにダラスで乗り換えたとき、やはり荷物を受け取れと係員が口を酸っぱくして叫んでいたことを思い出した。国内に入る荷物チェックは、アメリカ並みに厳しい。中国も、政治大国になろうとしてからは、いろいろなテロに備えなければならないのかもしれない。でも帰国してラサ行の四川航空便の操縦席の窓が吹っ飛んだという事故をしったとき、テロよりも機体の劣化に備えた方がいいんじゃないかと思った。

 蘭州に着いたのは、現地時間で午後2時45分。一日のうち一番暑くなる時刻。明るい。乾燥している。外に出て一瞬、白内障になったのかと思った。空がどんよりし、遠景が霞んで見える。「いや眼のせいじゃないよ、黄砂だよ」とOさん。昨年大連の空港に降りた時に感じたような、大気が濁っているという臭いはしない。空港から蘭州の街までは高速道を走ったのに、1時間以上かかった。まるで成田だねと誰かが言う。街中は、車が多い。片側3、4車線をびっしりと車が埋める。歩道側車線は昔のミゼットのような荷台つき三輪車が走る。車体はすっかり錆びついているが、電気自動車だ。バイクのドライバーは(日本語のマスクというよりは)覆面をしている。ガイドが「青色のは電気自動車。半額政府から補助金が出ているから、急速に増えた」という。ヨーロッパ車、韓国車、トヨタやホンダ、日産もあるが、見たことのないエンブレムのは中国車だろうか。それほど無茶な割込みはない。信号もさほどないから、道路を渡る人々は横断歩道をゆっくり渡る。車は基本的に止まって待つ。「人の通行を優先。横断歩道で妨げると罰金を食らう」とガイド。交通ルール遵守も地に着いてきたようだ。

 甘粛省博物館に、まず案内してくれた。絲周の道の展示が、経路や交換されていた文物などのアニメ風動画を加えて詳しい。むかし(1980年頃であったか)、NHKの取材で「シルクロード」をやったとき、現地の人は「絲周の道なんて知らない」とやり取りしていたのを思い出す。文化大革命の余波が残り、古い世代が影を潜めていたころ。歴史や宗教のことなど、忌避すべきことと思って育った世代が社会の中堅どころだったせいかもしれない。それがすっかり様変わりだ。春秋戦国の諸子百家のことなどに触れているのは見かけなかったが、秦や漢、隋や唐のこと、玄奘三蔵のことなどには細かく展示して触れていた。歴史や仏教などの再評価がなされているようであった。

 つまり、こうも言えようか。回族や蒙古族など少数民族が多数暮らしている甘粛省の、「民族的アイデンティティ」として「シルクロード」を再構成しようとしている、と。そうでもしないと、漢族の進出による地方創成ばかりでは成り立ちゆかないと考えているのではなかろうか。そうして民俗的アイデンティティを打ち立ててからは、「一帯一路」という習近平政府の金看板を証明するように、道路や新幹線網を張り巡らし、何より人海戦術を駆使するように人々を雇用し、沿岸諸地域で儲けた金をつぎ込んで甘粛省から新疆ウイグル自治区への近代化を強力に推進しているようであった。

 もう一つ目に着いた「アイデンティティ」。甘粛省は(日本列島の本州ほどに)東西に長く、南北に狭い乾燥地帯。その南北に列をなす山々が、驚くべきことに、ほとんど一木も生えていない。赤色の強い赤茶けた山肌が剥き出しだ。ところが、道路沿いにはポプラやヤナギやシラカバのような木々が植えられている。植林している最中という様子も、そちこちに見受けられる。そう思ってみると、山肌が階段状に削られ、ぽつぽつと薄い緑色が居並ぶ。これも植林だそうだ。自然保護を合言葉に、ヒツジやヤギの放牧を制限し、七つの村を一カ所に移住させ、居宅を提供して、新しい「鎮(村よりは大きい行政区画)」をつくっているところもあった。つまり「アイデンティティ」として「自然保護」を打ち出し、乾燥地帯に感慨を施し、植林活動を大々的に進めているのだ。これは後に、新幹線に乗って移動するときの景観にも大いに関係するのだが、畑が整備され、保湿のための蒸発除けのビニールシートを張ったオアシス地帯が、やはり東西に延々と続く。

 まさに、習近平政府の恩恵を受けて、甘粛省はいま、開発途上にある。漢族であるガイドはいう。「中国のような大きな、多数の民族がいる国は、独裁政権でないとやっていけない」と。彼は日本に来て日本語を磨いたといい、「中国は社会主義だが、日本は共産主義になっている」と「お世辞」を言う。その心は、「中国は貧富の差がまだまだ絶大だが、日本では社会保障も公平に行き渡っている」と。そしてこう付け加えた。「中国は日本を追い越したと言っているが、ラクダは痩せても馬よりは大きい」と。彼の苦悩が伝わるようであった。

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