2019年6月29日土曜日
外に写す妄念を振り払うやり方
作家というのは、取り上げたいテーマを横糸に、物語りの展開を縦糸にして、作品を書き上げる。もしテーマが前面に出てしまうと、まとまりのないエッセイを読むようになって、下手な論文にも及ばなくなる。ストーリーが急ぎ足になると、骨組みの構図ばかりが浮き彫りになって、薄っぺらな粗筋のスケッチを読むようになる。その両者がうまくかみ合うと、登場人物たちが独り歩きするようになって、読むものの胸の裡に広がる情景が起ちあがり、ひとや社会に対する深い奥行きが感じられて、ずっしりと響く読後感が残響を残す。
2019年6月28日金曜日
2019年6月27日木曜日
納得できる矛盾――上州武尊山
昨日(6/26)、今週最後の晴日というので、上州武尊山へ行った。朝6時に東浦和駅で一人拾い、関越道の高坂SAでkwrさんたちと待ち合わせ。予定通りの時刻に落ちあい、1台の車に乗って水上ICを降り、大穴スキー場あたりで湯桧曽川を渡って武尊神社へ向かう。武尊神社というのが、沼田の川場の方にもあって、naviに出ない。kwrさんは事前にアナログ地図を調べてきてくれていて、kwmさんがnavi役を務める。
2019年6月25日火曜日
一つひとつの、つれづれ草の片づけ
5月に管理組合の理事長を解任してもらって、いそいそとモンゴルの旅へ出かけ、その旅の記録をやっと一昨日(6/23)書き終えた。その都度アップした連載9回をひとまとめにして、二段組みにしたら20ページ余になった。400字詰め原稿用紙にすると80枚を少し超える。それを印刷して校正している。ついでにカミサンに目を通してもらって意見を加えてもらおうとしたら、読んだ後、旅のコーディネートをしてくれたngsさんに送った? と聞くから、「いや、まだ」と応えただけ。手直しのことを訊ねると、いやこれはこれでいいよ(あなたのおしゃべりなんだから)と応じて、それっきり。今朝、白馬に向かった。
カミサンがそちらを読んでいる間に、私は、先月解任された管理組合理事長の合間に書き綴ったことごとを、ひとまとめにしようと考えた。ブログの素原稿のファイルから抜き出して、「団地というコミュニティ」と題してひと綴りにする。
するとこれが、81ページになる。400字詰めの原稿用紙に直すと、320枚余。2018年2月の初めから2019年5月の26日まで。おおよそ1年4カ月の記録である。
その期間に私がブログに書いたものの総量でいうと、どれくらいになるか。調べてみると、その期間に書いたブログのページ総数は535ページ。そのうちの81ページだから、15.1%にしかならない。むろんそれには、理事会に提示した「議案書」や「討議資料」は含まれない。あるいは、傍聴した「前理事会」などの理事向けの「報告」なども入っていない。
ブログに乗せる関係もあって、ちょっとステップアウトして、管理組合理事会とか理事長仕事とか、その相互の関わり合いなどを外から見て、社会学風にというか、文化人類学的にというか、醒めてみている視線で書き記している。そういうわけだから、これはこれで、ちょっとした新書版くらいの分量にはなる。これも、暇に任せて校正し、プリントアウトして一冊にまとめ、遺品の書架に飾っておこうか。
モンゴルへの旅は、今回で3回。これまでの分を全部まとめてみてもいいかもしれない。そんなことを考えながら、遺品棚を考えている。
だれが読むの? とカミサンは冷たい。
いいんだよ、私の自画像なんだから、私自身が描いていたってことで。
生きた証なんて気取ってみても、「証」がだれにとって何のために必要かというと、だれも必要としていないことは、すぐにわかる。私の生きた証なんてものは、もうとっくに子どもや孫という存在として伝わっている。いまさら、名を残そうなんて考えてはいないし、残せる名もない。
思えば古来稀になって、もう七年になろうとしている。人生百年などと恐ろしい話を、目下の政界は大まじめに言っているが、元気なうちにころりと逝くのが一番、世のため、人のため。何より自分のため。
あとに何も残さないようにするってのも、いわば、ひとつの意思だ。それさえも捨てて、すべてを成り行きに任せる。何ともちゃらんぽらんの、いい加減な男がいたんだねえ。それもそれで悪くなかったようだねえ、とみてもらうのが、本意ではあるが、そのように目に止まること自体が、人為的な匂いがして、いやらしい。いや、生きていること自体が、いやらしい。
自然体というと聞こえはいいが、自然体は臭い。放っておくと、腐るし、ハエがたかる。「わたし」自身は旅立った後だから、その見栄えがどうであるかさえ、どうでもいいように思う。
ははは。そんなことを想いうかべながら、つれづれ草の片づけをしているのであります。
2019年6月23日日曜日
探鳥の奥行きの深さ(3)政治とも絡まる鳥の奥義
フルフ川のキャンプ場を出発した私たちは、バンディングを見に行くというのに、それとは違う方向へ車はすすみ、珍しくある針葉樹の森の方を抜けて、小高い丘を迂回していきました。聞くと、このキャンプ場のオーナーの爺さんが、その先にノガンがいたと情報をもたらしてくれたのだとか。ツグソーさんの人脈は、この辺りでも生きているようでした。4羽、2組のノガンが、草原に降り立ち、飛び去るのをばっちり観ることができました。
毒を以て毒を制す
若竹七海『殺人鬼がもう一人』(光文社、2019年)を読む。図書館に予約していた本が届いた。なぜ予約したのかは、いつもながら、わからない。いや、面白かった。
舞台は、都会近くの錆びれた街。そういえば、判決が出て収監しようと保釈中の被告宅を訪ねた役人たちに刃物を向けて逃走した男が、つかまったと今朝のTVが報道している。なんでも、暴行、傷害、覚せい剤使用など、ずいぶんと乱暴な男だったようだが、その逃走中の推定経路を聞くと、いくつかの隠れ家を持っていたという。持っていたのか、単なる空き家を隠れ家にしたのかは触れていないが、都会近くの錆びれた街には、そういう男もまた、寄り集まってくる。
2019年6月22日土曜日
探鳥の奥行きの深さ(2)鳥と共感性をもつという秘密
もう一人、sshさんと違った達人のたたずまいを見せてくれた方がいました。thさん。ご夫妻で半世紀以上にわたって石川県で活躍なさってきた方。鳥を軸に自然保護活動に取り組み、石川動物園でのトキの保護生育にもたずさわり、啓蒙活動も手広く行っているそうです。
tkさんは珍しい鳥を観たいという次元を通り越しているように感じました。すでに見るべきほどのことは見つくしてしまったうえで、モンゴルには人文地誌的な関心を向けているようでした。
たいていはご自分の関心の趣くままに動いています。ガイドの案内などに同調していないようにみえて、気が付くと傍らにいるというふうに、全体の動きを気にかけていて、その佇まいが何とも絶妙な感触を持っていました。白髪の彼が、鳥について語るのを聞いていると、それだけで説得力を持っているように響きます。良い歳を重ねてきているなと感心しました。
2019年6月21日金曜日
探鳥の奥行きの深さ(1)動態視力と目の付け所
さて、モンゴルへは鳥を観に行ったのでした。門前の小僧の私にとっては、鳥を観るよりも地誌的な関心が強く、前2回のモンゴルの南ゴビと東北部と違う、モンゴル東部の特徴をみてくるということに傾いていました。そういうわけで、今回の記述もそちらの方が先んじてしまいました。ですが、鳥を観る方にも大きな収穫がありました。鳥を観る奥行きの深さを感じたことです。
2019年6月19日水曜日
広範な取材力に感心
ドン・ウィンズロウ『仏陀の鏡への道』(創元推理文庫、1997年)を読む。『犬の力』を読んで、どこまで「のびしろ」があるのか気になったから。読んでよかった。ただのハードボイルド好みの作家ではなかったと思ったから。しかし人の動きを前にすすめる推進力に関するこの作家の「動機」は単純明快。表題の仏陀の鏡への道というほどの、深い洞察はない。こけおどしといえばこけおどし、めくらましといえばめくらまし。だが、中国事情について、これだけアメリカの作家が知悉しているというのは、驚きであった。「犬の力」のCIAとメキシコや中南米諸国への介入というかかわりが、あれほど迫真力をもって書き込まれていたのも、なるほどと思わせる。作家というのは、たとえ推理作家であれ、世界の情勢について十分すぎるほどの取材をしていなくちゃならないんだと、感嘆してしまった。でも、それだけのことではありました。
飛び込みの、面白い山――赤久縄山
当初6/19に予定していたのは袈裟丸山。5時半に家を出て、8時にわたらせ渓谷鉄道の沢入駅で待ち合わせて登山口へ向かうというものだが、行程のコースタイムが7時間45分とあって、参加者は3人しかいなかった。当日の天気予報が良くなかったので前日実施に変更したが、三日前になってkwmさんが体調を崩したと報せがあった。鬼の霍乱だ。
2019年6月17日月曜日
資源の宝庫、ニンジャの盛衰
モンゴル人口の半数ほどが集中するウランバートルは盆地だとngsmさんは説明する。北に標高1950mのチンゲルテイ・ハイルハーン山、南に2268mのボグド・ハーン山、東に2834mのバヤンツルク山を抱えた標高1500mほどの盆地。
2019年6月16日日曜日
揮発する宗教性と復権を求める精神性
モンゴルへはチベット仏教が伝わったと、いつの間にか私の頭に刻まれていた。でもチベットって、モンゴルとずいぶん離れているのに、どうしてと疑問というほどでもなく、思っていた。
去年5月に中国の東西に細長い甘粛省横断の旅をしたとき、チベットとモンゴルが隣接していたのだと気づいた。
ひとつは、敦煌方面へ向かう新幹線の窓の外が雪の銀世界になったこと。標高をみると3500mに近かった。「甘粛省にこんな標高の高い所があるんだ」と言ったら、あとでガイドが「それは青海省を通過していたときでしょう」と話してくれたこと。青海省もチベット族の居住地であったとずいぶん昔になるが、山歩きのときに教えられたことがある。
もうひとつは、張棭の街から丹霞と名づけられた山々へむかっていたとき、「蒙古→」と分岐の道路表示がされているのを目にしたこと。そのとき表示の「モンゴル」は、じつは内モンゴルだったのだが、モンゴルがチベット仏教の伝播し広まった地であるという知識が、腑に落ちるように実感できるようであった。モンゴル族や回族が甘粛省には先住者のように、たくさん住まわっていた。
2019年6月15日土曜日
令和元年夏の敗戦
金融庁の審議会報告書をめぐって、政府の対応が焦点になっている。モンゴルから帰ってみると財務大臣が報告書の「受取りを拒否」していて、なんだこれは、と溜めおいた新聞を一覧した。
既視感があった。
2019年6月14日金曜日
少子高齢化時代の過疎地の過ごし方
今回の旅は全行程、4台の車が列を連ねて草原を走り回った。3台は三菱のデリカ。1台だけトヨタのハリアー(ハリアーってチュウヒだよと、後で教わった。ワシタカの仲間なのだ)。いずれも四輪駆動で右ハンドル。モンゴルは右側通行だから、いわば「外車」である。このデリカはロシア向けにつくられた仕様になっているらしく、排気管が車の前部左側部につけられて車体より上を向いている。きくと、これで川の中を走ったりする必要からだとそうだ。一番深かったときは車の半分まで水に浸かって走ったと、ドライバーの話をバヤラさんが通訳してくれた。ロシア向け仕様と思ったのは、これらの車のほとんどがロシアから輸入した中古車のように聞いたからだが、じつはモンゴル向けだったかもしれない。
うろつく「わたし」
昨日は午後から定例の会合が予定されていた。その例会毎に刊行している「通信誌」を作成した。いつもなら、早めのお昼を済ませて、12時ころには家を出て浦和駅まで歩き、図書館や本屋をのぞいたりアウトドアショップで買い物をする。だが、たまたま友人に渡すものがあって、それを手にもって歩くのはちょっと重いなあと思ったので、電車で行くことにした。とすると図書館などには寄らないからゆっくり家を出ればよいと、お昼をゆっくり済ませてTVを見ていたら、出かけていたカミサンから珍しく電話がかかってきた。
2019年6月13日木曜日
自然に身を浸す暮らし方
6/3成田空港を14時40分発。ウランバートル着20時少し前。ほぼ定刻に出発し40分ほど遅れてに着いた。旅のコーディネートをしてくれたモンゴル人ガイド・バヤラさんが迎えてくれる。日本語の達者なこの方と埼玉県の野鳥観察の達者であるngsさんが逐一相談して企画を立ててくれた。今回は石川県の野鳥グループも6人参加して、これまでにない大勢のモンゴルの旅となった。埼玉から参加した鳥観の人たちも6人。大半の人が4回から7回もモンゴルを訪問している。私は3回目。
2019年6月12日水曜日
農業国に変わるか、モンゴル東南部
モンゴルの旅は、私にとって三度目。3年前(2016年)に南ゴビ、2年前(2017年)に東北部のチョイバルサン周辺、そして今回(2019年)がモンゴル東部地方。いずれもウランバートルを起点にして移動しています。今回は東南部地方の最南端、内モンゴルと接するあたりにまで足を延ばしました。前に2回には、ウランバートルとその近辺の探鳥地も訪ねているが、今回は滞在のほんのちょっとの間に宿の近くをみただけでした。
2019年6月11日火曜日
乾燥帯から梅雨の日本へ
ご無沙汰しました。昨日8日間の旅を終え、モンゴルから梅雨の日本へ帰ってきました。モンゴルもこのところ雨が多く、降雨を恵みと受け取るモンゴルの人たちも、さすがに「天気が悪い」というようになったとガイドは話していました。それでも平均湿度は40%前後くらいと低く、しっかり水を補給しておかないと身体が乾いてしまうようでした。成田に着いたときは、しかし、雨。電車を降りた時にはタクシー乗り場までの20mほどで濡れそぼるほどの大雨でした。でも身体は、なんとなくホッとしたのか、9時間以上も熟睡してしまいました。
2019年6月3日月曜日
職務遂行の力から解き放ちたまえ
久々に活劇物を読んだ。ドン・ウィンズロウ『犬の力(上)(下)』(角川文庫、2005年)、ハードボイルド・サスペンスとでも言おうか。でも、素材が大掛かりで生々しい。1970年代から2000年代前半までの30年余にわたる合衆国と中南米諸国の麻薬をめぐるマフィアと麻薬カルテルと取締当局と関係各地の警察や公安当局の絡んだ抗争。それに、米国の政治的・経済的中南米への介入政策とCIAの秘密工作や各国政府の思惑がまとわりつく。今ちょうど壁をつくることでクローズアップされているアメリカとメキシコの争っている現場。その両者の関係の、利害のかかわるいろいろなモメントがもつれて展開する。ちょうどその間、合衆国が中南米諸国に手を下していた左翼制圧の政治工作や破壊工作が(いかにもそれらしく)麻薬栽培に絡めて登場し、どこまでが本当でどこにフィクションが盛り込まれているのかが混沌としている、と感じられる。作劇の結構がきっちりしているとでも言おうか。ベトナム戦争の手練手管が、コロンビアやグアテマラ、ニカラグアなどを舞台に繰り広げられると、イラン・コントラ事件などが想い起こされ、ふむふむそういうこともあったなと心裡が落ち着かない。
2019年6月2日日曜日
行列のできる「自己承認」
昨日この欄で「何という冒険!」とエベレスト山頂の渋滞待ちを揶揄った。命がけの人たちを揶揄うなんて何と失礼な、とお叱りを受けるなと思った。まったく他人事、そんな行列のできる山にどうしていくのかねと人の不思議を呈することに留めて置くことにする。あの人たちは無事に下山できたのだろうか。続報は、ない。
2019年6月1日土曜日
何という冒険!
ニュースを見ていて、驚いた。エベレストの山頂付近で何百人もが列をなして、順番待ちをしている映像が流されている。まるでディズニーランドの人気催し並みだ。だがたぶん、(こりゃあ駄目だ、やめよう)と気軽に離脱することが出来る場所ではない。行くも地獄、帰るも地獄。待っているのが一番の地獄だ。
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