2019年6月14日金曜日

少子高齢化時代の過疎地の過ごし方


 今回の旅は全行程、4台の車が列を連ねて草原を走り回った。3台は三菱のデリカ。1台だけトヨタのハリアー(ハリアーってチュウヒだよと、後で教わった。ワシタカの仲間なのだ)。いずれも四輪駆動で右ハンドル。モンゴルは右側通行だから、いわば「外車」である。このデリカはロシア向けにつくられた仕様になっているらしく、排気管が車の前部左側部につけられて車体より上を向いている。きくと、これで川の中を走ったりする必要からだとそうだ。一番深かったときは車の半分まで水に浸かって走ったと、ドライバーの話をバヤラさんが通訳してくれた。ロシア向け仕様と思ったのは、これらの車のほとんどがロシアから輸入した中古車のように聞いたからだが、じつはモンゴル向けだったかもしれない。


 ちなみに、日本車が多い。3日目の宿泊地ヘンテイ県ビンデル村のフルフ川キャンプ場に、私たちがついた後に50人ほどの観光客の団体が押し寄せてきた。何でも台湾から来た人たちらしく、僧衣を身にまとった人も何人か見かけた。朝散歩をしていて駐車場に止まった車を見て驚いた。私たちの中の一台のハリヤーを除いて、あとは全て三菱のデリカであった。なぜ日本車が多いのかはわからないが、早くから新車に買い替える日本車をロシア人バイヤーが運び、改造してモンゴルで売り出すってことかもしれない。

 モンゴルの東部地方の草原は丘陵地帯。高い所との標高差はたぶん100mほどだが、大地は削られてなだらかな傾斜になっている。当然低地に水が溜まり、川の流れをつくる。その周囲から緑が広がり、流れがとどまる処には水溜りや池や湖が出現している。その周りは湿地になっている。車は、上手にぬかるむところを避けて川を渡り、走る。どこであったか途中で、ぬかるみにはまり込んで放棄されたようにみえる車が1台あった。先頭を走る運転手は、草原の足元を見極めて走路をとる。後続車は、かなり忠実にその走路後を踏みつつ走っていた。

 石川県から来た鳥達者な方の一人が、私の車の同乗者であった。彼は(今後も)モンゴルに足を運びたいと思ってか、これまでのモンゴル経験から、どこへ行ったら、どんな鳥が見えるかと私たちに訊ね、ガイドにもいろいろと聞いていた。そこで「あなたが、ガイドさんと相談してモンゴルツアーをコーディネートしたらいいんじゃないか」と持ち掛け、「モンゴルでレンタカーを借りてひと月でもふた月でも、駆けまわったらいいんじゃないの」と話したが、その話が転がっていった先は、もし旅の途中で車がエンコしたらどうするんだろうということであった。もちろんスマホは使っているし、草原の中でも、ところどころの高い地点に電波塔と思える塔が立っている。あるいは衛星通信を採用しているのかもしれないが、ドライバーもガイドも、しばしばスマホでやりとりをしていた。だが修理業者が到着するのを待つことは、たぶん、できない(と私は思った。来てはくれまい)。結局自分で応急の手当を施し修理工場に持ち込むまで自力でやり通さなくては、モンゴルではやっていけないのだろう。それでも2台以上で草原に分け入るのが賢明と思うのは、山歩きと同じだ。単独行は、万一の時に対応できない。

 そう言えば私たちのドライブ中にも先頭車両がオーバーヒートを起こして、水を補給したり、しばらく冷却時間をとることが、二、三度あった。ラジエータが壊れたのかどうかはわからないが、くたびれてきているのは間違いない。パンクもした。ドライバーさんたちが集まって直している間、ちょうど向こうの草原にオオチドリを発見して、探鳥家たちはしばし大騒ぎをしていたから、苦にならなかった。パンクは(たぶん)石を踏みたがえて、タイヤの側面が避けてしまったためであった(ろう)。新しいタイヤを買い求めなければなるまいと思った。治している方はたいへんであったろうが、乗せてもらっている方は、あっ、もう治ったの、と思うほどであった。舗装路を走っている時にも、何台かパンク修理をしている現場を通過した。かつてインドヒマラヤへ行ったときもそうであった。古い自動車を使う方は、直し治し、それもことごとく自分で修理するようにして、使い尽くしていた。そう言えば私たちが免許をとったとき、教習所では「構造」を教えていた。しかし私たちはいつのまにか、自分で修理することを忘れ、後期高齢者となった今では、冬用のタイヤ交換まで、業者に頼むようになってしまっている。これじゃあ、モンゴルでは車の単独行もできない。

 舗装路になると、車はけっこうなスピードを出せる。私たちの車は鳥を見ながら走るし、これという鳥を見つけると車を止めて降りるから、それほどのスピードは出さない。平均時速40km、舗装路は60kmというところか。だから舗装路に入ると、後ろから来る車がすごいスピードで追い越してくる。ことに帰途のウランバートルへ向かう国道は、往き来の車が多くなって、追い越すときも、(あぶないなあ)と思ってしまうような、かなり際どいすれ違い方をしていた。

 珍しく一件だけ交通事故の直後を目撃した。両車線とも通行止めだ。道路の右わきに乗用車が横転している。舗装路といっても、草原の中の一部を盛り上げて舗装しているだけの片側一車線の道。側溝は浅く広い溝を掘った程度の土面である。その側溝部分にあおむけに車がひっくり返り、すでに、スポーツゲームで身に着けるような蛍光色のジャケットを着こんだ警察官らしき人が二人いて指揮を執っている。よくみると、一台の道路を塞いでいるのがレッカー車だろうか、ワイアーで横転車を結んで引っ張っている。引っ張られるにつれ、事故車が側溝の斜面に乗ってぐるりとゆるやかに回転し、ど~んと真っ当な位置に戻る。後輪がへしゃげて90度まがっている。ふと気づくと、少し離れたあたりにあおむけに倒れた男がいて、その脇に介護をしているのか二人の年の違う女性が寄り添っている。もしこの人たちも同乗者だったのだとすると、運転者だけが身体を強く打ったのであろうか。あとで聞いたが、羊が飛び出してきて、それを避けようとして横転したのだという。スピードを出し過ぎていたのだね、きっと。事故後すぐに警察官が来たのだろうか。救急車は呼んでいるのだろうか。「ドクターヘリが必要だね、ここでは」と私の車の中では言葉が交わされたが、パトカーが来るのでさえ1時間はかかるのじゃなかろうかと思うほど、ド田舎なのだ。ま、事故となると自力更生というわけにはいくまいが、少子高齢社会での過ごし方はモンゴルに学んでもいいなじゃかろうか。

 この草原で暮らす人たちは、どうしているのだろうか。何キロか毎に目に入るゲルの傍らには、車が止まっていたり、バイクが止まっていたりする。遊牧暮らしの人たちのアシなのだろう。だが移動中に見たひとつの光景が、印象的であった。遠方の、草原以外なにもないところを、人の乗った二頭の馬が、ゆっくりとした足取りで、さらに何もないところへ向かって歩んでいる。乗っている人の姿は、背丈から親子かと思える。空を覆う雲の影が通り過ぎて、明るい陽ざしが、その親子に降り注ぐ。いいなあ、こういうのって。

 「tourist canp STEPPE NOMADOS」と銘打ったキャンプ地にたくさんの外国人が訪れていた。ヨーロッパ人が多いというが、この人たちは鳥を見に来るわけではないらしい。何をしに来るのだろう。ハイキングもできる、乗馬もできるとキャンプの人は話していた。たしかに馬を用意して、近所のコースを半日間散歩してまわるというのは、観光客にはウケるに違いない。

 馬に乗るのをいいなあって思うのは単なる私の感懐。モンゴルの人たちにとっては、生活の必需品。そう言えば、馬で駆けて西欧のゲルマンの地にまで攻め入ったのだから、乗馬は彼らの暮らしそのものであった。ガイドのバヤラさんは、もうすぐナーダムというお祭りがある、と話していた。その中でもことに人気なのが、競馬。20㎞をかける競争に備えて、馬に乗って草原を走っている子どもたちの姿も何度か見た。この、体に沁みこんだ馬との暮らしこそ、彼らのアイデンティティをなしているとみると、農耕を主として生きてきた私たちが(少子高齢社会の暮らしの技術を)彼らの暮らしから学ぶと言っても、なかなか身がいうことを利くまいと、思う。

 せめて質素に暮らす、あとはなるようになる、なるようにしかならない、ケセラセラ、ということくらいか。

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