2019年6月11日火曜日
乾燥帯から梅雨の日本へ
ご無沙汰しました。昨日8日間の旅を終え、モンゴルから梅雨の日本へ帰ってきました。モンゴルもこのところ雨が多く、降雨を恵みと受け取るモンゴルの人たちも、さすがに「天気が悪い」というようになったとガイドは話していました。それでも平均湿度は40%前後くらいと低く、しっかり水を補給しておかないと身体が乾いてしまうようでした。成田に着いたときは、しかし、雨。電車を降りた時にはタクシー乗り場までの20mほどで濡れそぼるほどの大雨でした。でも身体は、なんとなくホッとしたのか、9時間以上も熟睡してしまいました。
今回は東モンゴルを訪ねました。降り立ったウランバートルの気温は17℃、日本を出るときとあまり変わりません。空は一面どんよりとした雲が覆っています。宿の周りの樹林の芝地はお湿りがあり、いつもの埃っぽさを感じません。ガイドも、今年は雨が良く降ると話していました。翌朝の気温は2℃、手袋をしていても指先が冷たくなるようでした。青空からの陽ざしがまぶしい、きりりとした朝でした。
気温はこの後、暖かくなり、最高気温20℃前後、最低気温が5℃前後で過ごすことが出来ました。ただ、風が吹くと急激に気温が下がります。ほぼ毎日、夜には雨が降り、5泊目は夜中に激しい雨の音に目が覚めるほど。トイレに行くのに雨具を身に着けて外へ出なればなりませんでした。何より、雨水が溜まって草原の道はぬかるみ、車は道の凸凹に大きく揺さぶられ、泥を跳ね飛ばしながら走ることが何度かありました。
そうそう、4日目の午後、草原でお昼を済ませて出発したころから雨雲が湧き起り、車の後方で雨が降り出したことが分かった。黒っぽいカーテンがかかってゆれうごいているようになり、夕方近くになってとうとう追いつかれてしまった。強い風も吹きつける。砂嵐というのであろうか、前を走る車がテールランプをつけるが、それも見えなくなったりする。風に飛ばされた枯れ草や翁草の穂が車の脇を追い越してゆく。車は凸凹の道をたぶん時速35㎞ほどで走っているから、風速は秒速15mくらいになっているのかもしれない。雨が烈しく窓を叩く。
ゴミ捨て場であろうか、紙やビニールが散乱している。風に吹かれて舞い上がり、砂とともに吹き飛ばされている。街が近いのかと思っていたら、案の定、砂のカーテンの遠方に背の高いビルが見える隠れする。車は舗装道路に乗ったが、強い砂と風は止まない。街並みに入るが前方もしかとは見えない。この日はこうしてホテルに着き、顔を洗おうとしたら、水が出ない。フロントに掛け合うが、両手を上に向けて軽く持ち上げ、お手上げだとジェスチャーをする。町全体が停電で断水しているとガイドが説明をする。うん、とひとまず思ったが、じゃあなんで部屋の電灯がついてるんだと疑問が湧く。今ここは自家発電でやっているとガイドの説明が加わって、とりあえず腑に落ちはしたが、ざらざらした顔の感触はぬぐえない。ホテルからだろうか、500ccのペットボトルを1本ずつ支給される。口をゆすぐ程度で水が出るのを待った。
部屋の水は夕食後にやっと出ることになった。3人部屋の私たちは順番にシャワーを浴びる。ところが、1.5人が浴びたところで、また水が止まった。一人が浴び、二人目が石鹸をつけたところで水がまた止まったのだ。二人目はどうしたのだろうか。タオルで拭きとるようにして、ひと先ず終えた。二度目に水が出たのは、さらに1時間たってから。10時を過ぎていた。私もシャワーを浴び、二人目の方がもう一度シャワーを浴びたのだが、砂嵐もさることながら、翌5日目の宿泊地はシャワーのない東部最南端の村にある研究施設のゲルであったため、ぜひとも今日はシャワーを浴びておかねばと思っていたから、余計に断水は身に堪えたというわけだ。
5日目夜中の大雨というのは、このシャワーのないゲル。吹き付ける風雨がゲルの北側から染み込み、ゲルの中の半分が水浸し。私のゲルでは「床下浸水だね」と笑っていたが、隣のゲルはベッドにまで水がかかり、大騒ぎをしたようであった。6日目の朝も雨だったが、出発するころになって小やみとなり、鳥を見るころにはほぼ上がっていた。
「モンゴルの人たちも雨は悪い天気というようになった」とガイドが話していたのは、ひょっとすると、ドライバーさんたちの感想なのかもしれない。6日目帰路の最初の60km以降はおおむね舗装道路。そこまでのルートがぬかるんだりタイヤが横滑りして、たいへんであった。一カ所、ウランバートルももうすぐというところに来て、舗装工事中のため迂回路が凸凹の未舗装路。行き来する車は多く、土煙が舞い、急ぐ車は追い越しを試みるから、多分ここにきてドライバーさんたちは「雨は恵み」と思い直しあのではないか。私は60数年前の「(香川県の)国道」を思い出した。土煙が舞う。中学生であった私は、爺さんの家が食料品店をやっていたから、夏の朝の水撒きが私の仕事であった。道路の脇を走る小さな水路から、長い柄の柄杓で水を汲み取って国道に撒く。しばらくするとすぐにまた土穂頃が舞うからまた水打ちをする。あとで思うと、雪国の雪かきと同じで、報われないことこの上ないルーティンワークであった。モンゴルは、60数年前の日本と同じ状況ではなかろうが、まさしく発展途上という意味では似たような状況にあるのだろうか。
到着した成田の気温は17℃だったから、モンゴルのそれと似ていて、服装に気を使わないで済ませることができた。聞けば、私たちが訪れる少しまでのウランバートルは最高気温が30度を超える陽気だったという。それを聞いたとき、5月の北海道でも39℃を記録したと言っていたことを思い出した。世界的に気象は荒れ模様か。それに伴い人の気性も、トランプ並みに気ままで荒れ模様というわけか。いずれにせよ適応する私たちにとっては、恵みか悪い事か、たいへんであることには違いない。
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