2019年6月23日日曜日

毒を以て毒を制す


 若竹七海『殺人鬼がもう一人』(光文社、2019年)を読む。図書館に予約していた本が届いた。なぜ予約したのかは、いつもながら、わからない。いや、面白かった。

 舞台は、都会近くの錆びれた街。そういえば、判決が出て収監しようと保釈中の被告宅を訪ねた役人たちに刃物を向けて逃走した男が、つかまったと今朝のTVが報道している。なんでも、暴行、傷害、覚せい剤使用など、ずいぶんと乱暴な男だったようだが、その逃走中の推定経路を聞くと、いくつかの隠れ家を持っていたという。持っていたのか、単なる空き家を隠れ家にしたのかは触れていないが、都会近くの錆びれた街には、そういう男もまた、寄り集まってくる。


 ふつうに暮らす人でも、いろいろと欲を掻いて無礼千万な振る舞いをすることもあり、警察官も、あの手この手を用いて向き合わねばならない。そう思ってこの本を読んでいると、どんでん返しがやってきて、「やられた」と読み手は思う。それは面白い。その面白さは、普通に暮らす人や警察官や地道な仕事を奉仕的にする人たちの生活規範は、ふつうに真っ当で当たり前と思っているから、生じる。ある種の社会正義がそれなりに存在している時代に身に着けた規範感覚である。いまの高齢者の世代が、おおむね皆さんそうだ。

 若竹七海という作者は1963年生まれ。今年の誕生日が来れば56歳になるという若い人。つまり、日本の高度経済成長の入口の時代に生まれ、ジャパン・アズ・ナンバー・ワンの時代に成人し、30歳の手前でバブルが崩壊して、失われた○十年を生きてきた人。世の浮き沈みを、浮いている時からまるごと経験してきた世代。この世代は、社会正義とか人道的といった、社会の共通する規範が揺らぐか薄れるかして育ってきた。社会の価値意識が多様で定まることなく、悪意がなくともやっていることが反社会的であったり、どこに視点を据えてみているかによってものごとの価値評価は変わると、当たり前に受け止めていた世代だ。

 つまり高齢者世代が、無礼を叱り、無責任に憤り、ひどい振る舞いに憤懣を漏らすのに対して、そうしたできごとにしゃらっと、自分の立ち位置から自分なりの反撃をする。そして世はこともなしと、素知らぬ顔をするのが、この作品に登場する人々である。それを通快と感じている読み手が、高齢者の裡側にもいる。

 毒を以て毒を制する物語。そういってしまえば、それだけのエンタテインメントにすぎなくなるが、その毒が、社会正義をそれなりに抱懐している高齢者世代にも内在すると見てとると、なかなか面白い人間認識になる。そこを外していないから、単なる、上には上がいる物語りではなく、面白うてやがて哀しき……という思いが、身の裡に湧き起ってくるのであろう。

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