2019年2月4日月曜日
文章を書くなら……
今朝(2/4)朝日新聞の「折々のことば」は強烈であった。
《おまえが絵を描くなら、文章を書くなら、このまちの住人になるなよ。距離をとれ。 陸前高田(岩手県)の写真館店主》
これにつけた鷲田清一エッセーの解説がつづく。
《東日本大震災後、消防団長として復旧に尽くした写真館店主は、被災者のことばを必死で写し取ろうと移住してきた東京藝大の院生(当時)・瀬尾夏美に、その張りつめた思いを汲みつつも毅然とこう告げた。表現者は土地に密着してはならないと。これがのちの瀬尾の仕事の支えとなった。「さみしさという媒介についての試論」(「FIELD RECORDING」2号)から。》
なぜ強烈だったか。昨日も書いたが、私がいまやっている団地理事会の仕事でいつも感じている「違和感」と重なるからだ。
いま、団地理事会の理事・役員交代制の問題に取り組んでいる。「急速に高齢化が進み、従来の交代制を維持できない。早急に検討する必要がある」(2018年議案書)という問題提起があって、ここ3年来俎上に上げてきているが、成案にまとめられないできている。ところが、具体的に検討していくと、たしかに高齢化してきてはいるが、それは世の中の高齢化の進み具合に見合っている。いやむしろ、世代交代が順調に進んでいるようにみえる。住民の高齢化というよりも、いつ何が起こるかわからないという「不安」が増した。それに、建物が年を取ってきて傷みが出はじめる時節を迎え、補修の頻度が多くなった。理事の仕事が「負担」に感じられるようになった。現役世代の仕事が、昔に比べてきつくなっているのも、かかわりがあるかもしれない。
だが何よりも、我関せず焉という消費的、かつ、都会的な雰囲気が、すっかり定着して、隣人が困っていても、誰も手も口も出さないという孤立した立ち位置に「不安」を覚える理事・役員が多くなったというのが、実情であろう。
そのことを指摘し、居住者の帰属単位が「階段」であることを再意識してもらい、何かあったときには「階段」で、まず対応することを提起した。あとは来年度の理事会に困難が生じたときは、正副理事長が窓口になって前年度の理事会メンバーがリリーフに入ると確認して、現理事会は納得した。ところが、これを「議案書」にどう記すか。この段になって、従来の「議案書」との文体の違いが明らかになった。
つまり、「規約」や仕組みも何も変えないのであれば、「議案書」に記して「決議」する必要はない。考え方だけ変えるというのは、「呼びかけ」の文章であるから、それは口頭で発言すればよいという。だが、それなら、なにを「検討したのか」伝わらないし、残らない。理事会では4回書き直した「文章」がA4判16ページになって「議事資料」として検討され承認されたのだが、これは従来の「議案書」に載るような文体ではない。昨日の会議でも、これ自体を「議案書」とは別に「検討経過報告」として総会とは別に配ればいいのではないかと落ち着いている。では公式の「総会」ではどう報告するのか。そういう文章は、前例がないのだ。
もちろん、前例を崩せばいいのだが、私たちが日常繰り返してきている「考え方」を変えるというのは、「議事」に馴染まない。また、長年の慣習的にやってきた過程でずれてきたことを俎上に上げると、日常批判的な趣が漂って、嫌がられるというのだ。
このところで私が感じている「違和感」と、冒頭に上げた「折々のことば」がもつ「違和感」が重なるように感じたのが、「強烈」な印象につながったと思う。だが私は、理事長であって「表現者」ではない。でも、「問題」を見極め、その事態を解析して次への対応を踏み出そうとすると、「住人ははなるなよ」という視点を欠いては動きがつかない。
たぶん、長く高度消費社会に慣れ親しんでいる間に、私たちの暮らしの中に漂っていた「文学性」が揮発してしまったのだ。だから、モノゴトの手順・手続きというアルゴリズムばかりが目に付いて、そのモノゴトが付帯している人と人との関係というものを機能的にしか受けとめない心の習慣が、世の中を覆ってしまうようになってきたのだ。それが日常に浸透し、もはや引き返せない地点に、近づきつつあるのではないか。そういう感触が、私の「違和感」の中核にある。
冒頭の「折々のことば」も、被災の当事者が外からやってきた「表現者」に放つ言葉として、鮮烈なのだ。容易に同情してはならない。突き放してこそ、悲惨と悲嘆が人生の欠くことのできないコマとして浮かび上がる。そこをとらえよ、と。私の団地の理事・役員交代制というヤワなもんだいではないと、コトの軽重を問う方もいようが、静かに蒸発してしまった日常の「文学性」は、人間を唯々機能的な存在に貶めて、もはや救いようがないように見える。
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