2019年2月1日金曜日
思いがけぬ知らせ
昨日のこと、夕食を済ませてテレビを見ていたとき、電話が入った。
「Nさんが事故で亡くなったと、いま、奥さまから電話がありました。どうしましょう」
と副理事長から、若い理事のNさんの訃報を知らされた。
えっ、どうして? と信じがたい。そう言えば関東は久々の雨、夜に東京は雪になると報道していた。車がスリップして事故にでも巻き込まれでもしたか。
だが今朝、起きる直前にふと、奥さまからの電話ならば、同じ女性として副理事長にあれこれと相談したかったのではないかと思い浮かび、早々にメールをした。副理事長は朝方奥さまを訪ね、姉上も昨夜から来ているし、Nさんのご両親もほんの2キロほど離れた地に暮らしていて、Nさんの友人たちからもいろいろ気遣いがあって、落ち着いた様子であったと知らせてきた。
ところがその中に、昨日の夕方、カミサンと話題にしたことがあって、驚いた。
どこで何を見たのだったか、昨日昼間、「芝川に落ちた子どもを救おうと父親が水死」というニュースを目にした。芝川は、北は上尾市の方から南は川口まで、私がよく散歩に出かける近くの見沼田んぼの真ん中を流れ抜ける川だ。いまはそれほどの水量はない。東京湾が満潮になると流れが止まり、ときに逆流が見られるともいわれている。
連れあるいていたわが子と近所の子どものうち二人が、川に落ち、子どもは助かったが、援けようとして飛び込んだ親が死んだというもの。気に止まったのは「緑区」とあったこと。同じ区だ。でもどこだろう。見沼田んぼを鳥と植物のフィールドの一つにしているカミサンも「どうして落ちたんだろう」「溺れるって、そんなに深くないよ」とにわかには信じられないようであった。
わが家の向かいの棟に住むNさんがその当事者であったとは、思いもよらなかった。彼は、私の娘より一つ年上。とても身のこなしがよく、献身的。言葉よりも、振る舞い方で人のつながりをつくるのが上手。文字通り闊達。建築理事という、管理組合の活動の中では一番荷の重い役割を、(若いからという理由で)率先して引き受けた感があった。私のような後期高齢者からすると、次世代の団地理事会を担う人という感触であった。
じっさい、つい先日行われた2019年度理事候補の集まりで、彼の階段から選出された独り暮らしの方が3カ月ほど海外へ出かけるとあって、Nさんは代理で「集まり」に出席。今後も、彼が海外へ出るときは、ピンポイントでリリーフをしてもいいと、快く応対してくれた。そういう意味では、団地のコミュニティをかたちづくっていくうえで、ホープともいえる存在であった。
これはショックだ。わが団地は、わりと都会的雰囲気を好むのか、ドライである。管理組合には「慶弔規定」もない。ま、自治会の方にはあるから、それはそれでいいのだが、これまでは隣の方がなくなっても、階段が違えば、気づかないままに過ぎてしまうこともあった。それこそ何年も経ってから、えっ、あの方は亡くなっていたんだ、と気づかされたことも、一度や二度ではない。彼は地元の少年サッカーのコーチもしていて、子どもたちに慕われていた。その彼が、あの膝まであるような防寒コートを着たまんまで飛び込んだことが、運動神経抜群の彼の身の動きの自在を封じ込めてしまったと、警察官は話していたという。
でもなあ、現役の理事だよ。せめて弔意を表するくらいのことはしてもいいのではないか。副理事長に頼んで、奥様の意向を確かめたうえで、「訃報」を各階段の掲出することにした。奥さまは快く応じてくださり、葬儀の問い合わせにも、日時をお知らせしてくださっても構いませんと快諾してくれた。
文案をつくり、事務所で印刷して、掲示してもらった。さっそく事務所にも、問い合わせが来たそうだ。副理事長のところへも、電話があった、と。
明後日は、定例の理事会。まず、黙禱からはじめることになるか。「議事資料」をつくりながら、そんなことをぼんやりと考えるともなく思っている。
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