2017年1月7日土曜日
昭和が終わって29年、息子が私の心配をする
1月5日、さらに雪が降り積もり、奥日光らしくなってきた。夜中に妹孫が耳が痛いと言ってなかなか寝付けなかったらしい。「中耳炎かな?」と親は心配している。しかし今日は木曜日。たいていの病院はお休みだ。痛むようなら休日急患診療所にでも駆け込もうかと親と話をする。朝ご飯を済ませて妹孫が涙目になっている。婆が「どうしたの? 痛いの?」と訊くと「もう帰るんでしょ、雪遊びができない」と泣いている。チェックアウトまで遊ばせてやってと、爺は本を読んで、上下二巻を読み終わる。
遊び疲れた10時過ぎ、日光の東照宮に行くことにする。正月とは言え、三ヶ日のようには混んでいない。五重塔の心柱を特別公開しているというので、兄孫と一緒に観に五重塔に入る。金箔を張った心柱が思いのほか細いのにはちょっと驚いた。直径で30センチないのではなかろうか。正面から見たのちに、縁の下がのぞけるようにしてある。中央に直径20センチほどの穴を開けた大きな台石が置かれ、その穴に心柱の末端部が小さく治まるように入って、地面から10センチ浮いている。つまりこの心柱は懸垂式で四階から吊り下げられているのだそうだ。こうして、心柱が揺れすぎもせず、でも必要に応じて右に左に穴の許容範囲で揺れ動いて地震の際の制動を務めているのだ。東京スカイツリーの制振装置も、これと同じ方式をとっていると「説明書き」にあった。
そう言えばここの標高は、700mちかい。スカイツリーの634mと同じ高さの地点も、マークがある。どうして江戸から遠くここまで離れて「大御所大明神」を祀る地に定めたのであろうか。そんなことを考えながら東照宮に入った。人があふれている。いわゆる三猿も、眠り猫も、描写的には上手な絵とか彫刻とは思えないが、江戸の人たちの眼には、これが「素敵」にみえたのであろうか。いまの「かわいい」とはずいぶんと違っている。眠り猫をくぐって、さらに石段を200段ほど登って、家康の墓所に足を運ぶ。何度か東照宮に来たことはあるが、ここまで登ってみたことはなかった。「希いごとがかなう」樹齢600年の朽ちた大杉の洞が、人の気を誘っているようだった。
薬師堂の「鳴き龍」は昔と違い、龍の顔の下にいって手を叩くような仕儀にはならなかった。順番を待って50人ほどが本堂に入り、入口の切符切りが中の「説明者」に「英語も」と付け加えると、僧侶の姿をした「説明者」が「鳴き龍の由来」を説明し、英語でもう一度繰り返し、まず部屋の隅の方で拍子木を打ち合わせる。カーンカーンカーンと澄んだ音がする。ところが、龍の顔の下に来て拍子木を打ち鳴らすと、拍子木の音とかさなるようにビ~ンビ~ンビ~ンと、唸りが入る。「鳴いているのがわかりますか?」と言われるまでもなく皆、「ああ~ああ~、聞こえる」と声をあげて頷いている。説明者僧侶は改めて英語で説明している。天井と床の反響音が共振共鳴してうなりを上げるのだそうだ。部屋の何処で打っても反響音が唸るのは結構あるらしいが、顔の下でしか唸らないのがこの鳴き龍と、特徴を強調する。「ああ、ここでは手を打たないでください。神社ではありませんから。お寺です。」と説明が入る。一瞬「うん?……」と思ったが、そういえば薬師如来を祭っている。なるほどこうして手を打って鳴き龍を鳴かせるのが廃れたのか。孫たちは興味津々の顔をして説明を聞いている。この薬師堂、御三家が座るところ、大名たちが参内するところと別れている。それらが皆公開され、私たちもぞろぞろと歩いて経めぐる。400年が経つという。結構なことだ。
気がついたら13時を回っていた。お昼を済ませ、家へ帰る。途中で検索したら我が家の近くにある耳鼻科が木曜日も営業しているのがわかり、息子一家は車をそちらへ向けた。幸い大事に至らず、薬を処方してもらって、にぎやかに孫兄妹がはしゃいでいる。夕食後私は目を開けているのがむつかしくて、早く風呂に入り、8時過ぎには寝床で本を読むことにして引き上げた。孫たちは9時半ころに寝たそうだが、なんとも元気なことだ。
1/6、6時前に起きだしてコーヒーを飲む。孫たちも起きてきて父親と何やら「宿題」らしきことをやっている。そういえば埼玉県は今日から三学期が始める。名古屋は10日からということで、孫たちものんびりしている。妹孫の耳の痛いのは和らいでいるようだ。薬を飲むのは苦い、嫌だとごねている。「えっ? 良薬は何と言ったっけ」とふると、「良薬は口に苦し」と応じ、自分で言ったことに気づいて、我慢して飲んでいるのが、おかしい。朝食を済ませてお出かけ。9時頃に送り出して爺婆は本を読んだりPCに向かったり、久々にのんびりする。
やれやれ。明日はカミサンも私もお出かけ。息子一家も、私が家を出るのと一緒に名古屋へ向かう。今夜がお別れのパーティ。1月6日、昭和が終わって29年になる。息子も今年は年男。ま、働き盛りだろうが、ぼちぼち私の高齢ぶりを気遣って、車の運転を心配したりしている。「少しは心配させなさいよ」とカミサンはいうが、なにまだまだ、と私は後続の息子運転の車を気遣って日光への往復の運転をゆっくりとした。帰宅後息子が、「お父さんの車、80km以上出すと車体がぶれるのか?」と聞く。「えっ?(何言ってんだ? と思い)普段は120km/hで走ってるよ」と応えておいた。はたして、(こちらが気遣ってたんだよ)とわかってくれたかどうか。
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