2017年1月12日木曜日

陽だまりの初山歩き


 「寒波が来ます」という予報を耳にはさみながら、高水三山を歩いてきました。山歩講の「日和見山歩」、kwmさんがチーフリーダーです。麓の予報最低気温は3℃でした。日曜日から火曜日の朝にかけて雨が降りましたから、ひょっとすると山頂近くでは雪が残ったり、凍りついているかもしれないと考え、「念のため軽アイゼン持参」と直前にメールを出していました。


 集合の軍畑駅に、一本早い電車でついてしまいました。立川駅で青梅線に乗り換えるのが面倒で、西国分寺から青梅行の直通に乗ったためです。朝の7時代前半とあって、満員。青梅まで乗車していたのはやはり高校生ばかりでした。軍畑で降りたのは私ひとり。西の奥多摩湖を水源とする多摩川が流れ下ってきて、軍畑駅あたりで広い扇状地をなし、今では青梅市の住宅地になっているのが、見おろせます。集合時間までに40分以上もありましたが、下の方に広がる町のたたずまいとその向こうの仕切りをなす小高い山をみながら、日当りのいいベンチでぼんやりと過ごすのも悪くない。

 と、タクシーが1台やってきました。降りてきた4人は皆、山歩きの服装をしています。ここまでタクシーで来るって、どこへ行く人たちだ? とまず思いました。背の高い若い女性の胸元の服装を、一緒に来た男性が直しています。それを当然のように受けているのをみて、なんと手間のかかるお嬢さんだ、これで山歩きじゃ面倒見る人も大変だなと、思っていました。すると、彼らの一人が大きなカメラを下げて離れていき、女性の面倒を見ていた男性が何か声をあげて残る男性と女性に紙を渡し指示をしています。と、駅をバックに男性が「****の町歩き山歩き」と声を出し、横に立った女性が「おはようございます。****です。」と挨拶をはじめました。どこかのTV番組の撮影のようです。私は邪魔をしては何だと思い、ベンチを離れてトイレの脇に身を隠します。何度かリハーサルを繰り返して本番をとり、彼らは駅から町へ向かう急傾斜の舗装路を歩いて降っていきました。「今回は、新八十八カ所を一日で巡ります」と言っていましたから、青梅の町に八十八カ所の霊場がしつらえられているのでしょう。

 つぎの電車では、ずいぶん人が降りてきました。皆さん山へ向かう服装です。9時10分、私たちが一足先に出発、まず高水山の登山口のある高源寺への道をたどります。20分ほどで広い自動車道を離れ平溝川沿いにさかのぼり、ほどなく標識に導かれて高源寺の前に出ます。寒いと思って着ていた防寒着がいらないほど。少し進むと砂防ダムに突き当たり、そこからが登山道になっています。標高350m、駅の240mから100mほどを登った勘定。後ろから、駅で一緒に降りた別のグループが、にぎやかにおしゃべりしながらやってきます。はじめ道を譲ろうかと思ったのですが、なんと30人ほどもいます。先に行こうと誰かが声をかけ、先発しました。

 道はしっかりしています。スギの樹林に囲まれ薄暗かったルートが、やがて茅場になり、その上で明るい稜線に出ます。それもすぐにスギやヒノキの林の中を辿るようになり、緩やかに高度を上げます。斜面一面に雪が残っていて、高度が700mほどになったころ、「高水山」と扁額を掲げた山門に突き当たりました。その石段の上の庭は雪が積もり真っ白です。常福院という真言宗豊山派のお寺。その脇を登ると高水山759mの山頂。南側は木立が覆い、北側は明るい陽ざしに開けて(たぶん)埼玉県の飯能の方面がみえているのだと思います。遠くは春霞のようにぼんやりとしていますから、寒気もさほどではないようです。出発してから1時間半、コースタイムよりちょっぴり早い程度ですが順調です。最高齢のotさんも元気です。

 高水山の山頂部はよく陽も当たって雪もなかったのに、そこを過ぎると降り積もった雪が目につきます。やがて雪を踏んで歩くことが多くなり、kwrさんもリュックからストックを出して手に持ちました。岩茸石山に差し掛かる手前で、後続の多人数グループの先頭が追いつき、私たちは道を譲りました。彼らの方が若いと思っていたのですが、みると余り私たちと変わらない年寄りたち。先頭のリーダーだけが「どけどけ」という顔付を隠さず、引っ張っているようです。でも彼らは後がつづいておらず、結局、私たちが彼らのあいだに割り込んだ格好になって、山頂に到着しました。11時21分、高水山から30分でした。

 岩茸石山の山頂793mはすっかり雪の中。高水山童謡に陽ざしにさらされているのに、どういうわけか、しっかりと積もっています。先着した追いこしグループは南側の樹林に近いベンチに陣取っていました。私たちは、見晴らしのいい北側のベンチに座ってお昼。西の方には奥多摩の山々、川苔山、棒ノ折山と、昨年上った山々がくっきりと姿を見せています。多人数グループの後続が次々と到着して、雪と見晴しに声をあげ、うるさいくらいに賑やかになりました。「12時出発ね」と言い合っています。

 お昼を済ませ「あの人たち12時って言ってるから、10分くらい早く出発しよう」とkwrさんが声をあげ、歩きはじめました。すると後ろで(多人数グループのリーダーらしき人が)「そろそろ行くぞ」と言い、それに対して「ええっ、12時じゃなかったの、まだ早いよ」と女性の異議が上がって聞こえてきました。いったいどんな(山歩きの)グループなんだろう。

 山頂部を南側にまわると岩を伝って下ります。かなりの急傾斜。山の名前が岩茸石とあるのも頷ける岩峰に土がつき木が生い茂って今のかたちになったのかもしれません。しばらく稜線歩きを辿ると今度は、岩登り。木の根が岩にとりつくように下へと伸びて、一見ものすごい岩稜にみえるが、足の踏み場はそちこちにあって登りやすい。雨がおちていると木の根が滑りやすいが、乾いている今日は快適な上り。それを登りきると、神社があり、その社の二つの面には日光東照宮のような彫刻があった。kwmさんがつくってくれた地図には「青謂(あおい)神社の奥の院の彫刻…三田・北条氏・徳川家の信仰が篤かった」とコメントがつけてあります。惣岳山756mの山頂だ。山頂の表示木柱が小さい。12時25分、岩茸石山から35分と、コースタイムより10分も早い。そろそろくたびれが出てくる頃です。

 この高水三山の山行にはもうひとつ「課題」がありました。今年の4月から9月までの「日和見山歩」の月々の担当リーダーを決めること。それを歩きながら相談してもらおうという「課題」です。やはりkwmさんがつくった地図には、それを見越して「※ 手打ちそばの老舗玉川屋……太宰治、井伏鱒二などの文人たちも立ち寄った」と書き込みがあります。御岳駅近くの蕎麦屋。さてあと1時間10分で着く、と声をかける。蕎麦屋で会いましょうということになりました。

 急に元気が出たのか皆さんの脚が軽い。最高齢のotさんが疲れが出始めます。それでも彼は追いつこうと急ぎ足になるから、「ゆっくり行きましょう」と後ろから声をかけます。若い人には「ひと昔以上、年上なんだからね」と、声をかける。聞いてみると、マラソンをしている若い彼女は還暦というから、15近くも違いがあります。そのせいか、すっかり先を行く人たちの姿が見えなくなってしまいました。

 どのくらい遅れたのか、13時45分頃御岳駅に着きました。さて、蕎麦屋がわからない。看板はある。道路から少し上へ分かれて足を運ぶと、先着の方々が荷を解いていました。5分ほどの遅れとか。まあまあコースタイムであるいています。こうして蕎麦屋で4月からの話を交わし、今年の初山歩きを終えた次第です。

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