2017年1月18日水曜日
人間、このくだらない生き物
オタール・イオセリアーニ監督の映画『皆さま、ごきげんよう』(フランス・ジョージア、2015年)をみた。
舞台は現代のパリだが、フランス革命の公開処刑から始まる。女たちが椅子を持ち出し編み物を編みながらギロチンにかけられる貴族の処刑を囃し立てる。「殺せ! ころせ! 」と。と、舞台は第一次大戦であろうか第二次大戦であろうか、ドンパチ撃ち合い殺し合う。戦車が走り回り、兵士は略奪と乱暴狼藉の限りを尽くし、人びとは逃げまどい、あっけなく撃ち殺される。
とみると、現代のパリ。通行人からいろんなものをかすめ取る、万引きをする、少年や少女。警察官が追いかける。それをかわす子どもたちや取り巻きの大人たち。のぞきをする警察の高官、春をひさいで涙にくれる女たち、お金を手にして「儲けたんだからいいじゃない」と慰める友だち。武器の密売をするアパートの管理人、骸骨を集める人類学者。「青春よ再び、ですよ」と金持ちのご婦人に言い寄る男たち、お金持ちの取り巻きは(あの男たち財産目当てだからね)とみている。ところが案に相違してその男、そのご婦人から「財産遺贈」の遺言書を受け取りながら、これまでの手紙も含めて焼き捨てる。「青春が終わった」とでもいうように。自分の家を建てる男、自宅前の「違法駐車」で車を持っていかれる人、追い立てられるホームレス、マンホールに落ちる警察の高官、そしてその執事を暗殺する男。TVの画面で空爆を受ける町並みをみながらアイスを食べるお茶の間の子どもたち。何とも皮肉な場面が連続する。
この映画のチラシは、
《開けない夜はない。そう、明日は今日よりも良いことが待っている。混沌とする社会の不条理を、反骨精神たっぷりのセンスの良いユーモアでナンシャランと笑い飛ばす》
と、書いているが、この惹句の前半は、どこにもない。後半がどっかりと腰を据えているのを、チラシ制作者は(じぶんの期待を込めて)明るく読み替えてしまったようだ。私はむしろ、「人間、このくだらない生き物」という監督の眼が貫いていて、戦争も、犯罪も、秩序維持の警察活動も、何もかもが、同じレベルでとらえてみると「バッカだなあ、俺たちは」と言っているように受け止めた。ペシミスティックというのではなく、あっけらかんと善悪を超越してしまったような、人間観、社会観、歴史観。世界を切りとったらこんなものよねと、81歳の監督が御披露になった。そんな感じ。
西欧にこんなセンスがあったのだと思うと、うれしくなる。陽ざしのある冷え込みが心地よい。
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