2017年1月13日金曜日
欲望は抑えられないか(1)「制御可能」の体幹を鍛える
ささらほうさらの合宿でやりとりしたことの中に、鷲田清一の「社会に力がついたと言えるとき」に関連してでてきたことが、ひとつある。鷲田が、中高生向けに伝えたいこととして書かれた文章である。
鷲田は2011年のフクシマを入口に「私たちが難民になる可能性」に触れ、「《便利さ》と《快適さ》ばかりを求め、それに随伴する見たくないものはみないようにし」てきた結果、「取り返しのつかない現実になってしまった」と現在を見立て、それは「安楽」を得たことの代償と指摘する。「安楽」を手に入れる過程で私たちは、暮らしの営みを「自力で行う能力を失って……消費する「顧客」になり切ってしまった」とみています。国家や行政や何より市場経済に依存を深めるかたちで私たちの暮らしが変容してきたことを指しています。
《社会サーヴィスが劣化したり機能停止したときに、クレームをつけることはできても、その結果、それらを引き取ってじぶんたちでやろうとは思いいたりません。…運営の当事者にはもうなれず、「顧客」として依存し、また翻弄されるほかない》
と。鷲田はそれを(私たちが自分たちの社会を)「制御不能」となったと表現しています。つまりひところ、1970年代によく言われた「主体性」を喪失したというわけです。
国家や行政の視点から社会を見ている人たちからすると、「民主社会の主権者として何を言ってるんだ」というかもしれません。だがよくよく考えてみると、私たちが主権者であるのは「選挙」のときだけ。それも似たような政策の政党の「選択」をするだけです。選挙は、為政者の為政の正当性の根拠にはなるけれども、政策などについての子細はほぼ見ているだけ、つまりメディアを介在させた政治劇場としても視聴者の立場にいるばかりです。もちろん任期が終わって後の選挙のときに審判を下せるとはいえ、実際の政治過程は、為政者が「課題」をめぐる利害と主張の調整・妥協をして具体策として一本化し、反対を抑えて実施にいたる。その過程を任せるからこその「選挙」であるわけでもあります。
ところが「制御不能」になっているということは、国家や行政や市場経済の主導的事業者に期待するだけでは、私たちの暮らしが保てないということです。鷲田は《「自衛の」ネットワークを編む》必要がある、そういう事態にたちいたっていると鷲田は呼びかけているのです。その「制御不能」を生活者大衆の側からみると、国家や地域行政や市場経済に依存するばかりのありようは消費者的選択をもっぱらとするだけ、私に言わせれば「独立不羈」の精神を失ったとみえます。つまり鷲田の呼びかけは生活者として独立不羈の精神を回復せよと読めます。
ところが鷲田は、まず、「職住一致」を説いたり「じぶんの仕事をどこかへの企業への『勤務』としてひとつに限るのではなく…『複業』」を唱えたりするものだから、「世迷言」を言っているように受け取られるのです。思い起こせば1960年代から70年代初めにかけて「自立」や「主体性」論議が盛んにおこなわれていました。当時の左翼の大半は「資本制社会」と訣別した地平に理想郷(吉本言語でいえば「普遍的ロマンチシズム」)を築くような「革命」を唱えていましたから、じぶんが出自して今そこで暮らしを立ててきている「日常」を論理の中に組み込むことができていませんでした。せいぜい構造改革派がヨーロッパの社会民主主義的な「変革」を説いていて、それを耳にした私は「文化闘争だな」と了解していたものです。
これに対して、本欄1/9の「物事を切って捨てる爽快さの厄介さ」に記したようにkさんが吉本隆明の「自立の思想」を足場に、鷲田や加藤典洋を「左翼の亡霊」のように非難したのでした。でもそういうことでいえば、鹿島茂が指摘しているように「吉本の自立思想も高度消費社会によって淘汰された」(『吉本隆明1968』)のではなかったか。ささらほうさらの前身になるグルーピングがたどってきた軌跡は、1960年代を覆っていたヨーロッパ出自の左翼言語から離脱して私たちの身体に(堆積し受け継がれて)宿るところから言葉を紡ぎだして「世界を語る」ことにありました。吉本隆明のことばでいえば、私たちの身にいつしかついている「概念」との「逆立」であり、身が置かれている「関係の絶対性」を直視することであった。それは、言葉も感性も身を置く場もふくめて「私たち」自身の輪郭を描き出すことでした。臨床哲学者を自称する鷲田は、その意味でkさんのいう「左翼」ではないと私は受け止めています。
つまり、鷲田が「復業」とか「職住一致」と言っているからといって、現実の社会関係と別個に理想主義的な共同性(「普遍ロマンチシズム」)をイメージして(その虚偽に無自覚で)いるというわけではありません。この文章は「中高生に伝えておきたいたいせつなこと」ととして書かれています。目前に就職や進学という「課題」を控えている若い人たちに、(今の世の中の既定にみえる進路の概念を打ち破って)将来の生き方のイメージを広くとらえてもらいたいとの思いが込められていると、理解しています。
でも鷲田は、どう《「自衛の」ネットワークを編む》ことを考えているのでしょうか。まず「地方」という概念の再考を《「地方」における自立性の回復》として呼びかけています。じぶんたち自身が取り仕切っていると感じることの出来るコミュニティ(のかんけい)を紡ぎはじめようというのでしょうが、柳田國男の「都鄙論」を援用して説明しています。要は、農村と都市を対立的にとらえるのではなく相互の交通関係において位置づけ、「じぶんたちの協働によってじぶんたちで制御可能なしくみを構築し、そのなかで安心して暮らし、働きたいという思いが色濃くあるのでは」ないかと問いかけます。都会へ都会へと誘われる若い人たちに呼びかけようという思いが、行間に揺蕩っています。でも、それだけでは、先述した選挙の時だけ主権者という頼りない消費者主権的主体に目を向けさせるわけにはいきません。コミュニティを感じるには、あまりにも国家は無論のこと、行政単位ですらも大きすぎるのです。「小さな規模」という「課題」が浮かび上がります。
都市と農村を交通的関係においてとらえることが、都市のエネルギーを(もし何かがあってもより危険効率が少ない)農山漁村部から取り入れるという「危機管理の発想」を当然化します。それの根柢には、農山漁村部が都市からの援助によって暮らしていくしかない、自律していない現状があるからです。鷲田もそれを等閑視しえないから《じぶんが立っている場所を知る》として、「じぶんが立つこの場所が、どんな歴史をもって形成されてきて、現にどんな政治的な力戦や経済市場の圧力下にあるのかを、きちんと立体視すること」とし、「じぶんの立つ位置をマッピングする……複数の眼=視差が必要」と説きます。彼は徹頭徹尾、若い人たちの裡側に自立の地盤となる裾野を垣間見せようとしています。それらを受けた《暮らしのコンテクストを編む》のなかで、陸上選手の為末大の語った事例を引いていますが、要するに(「制御可能」の)体幹を鍛えよというのです。これも鷲田流の「文化闘争」だと私は受け止めています。
暮らしのコンテクストを編むとは《みずから進んで触媒になる》ことと言い、暮らしにおける「かんけい」を自ら作り出していく構えをもて、そのとき、みずからがもってきている既成の観念を一つひとつ洗い直して新しい「かんけい」の世界に紡ぎこんでいけと呼びかけている、と私は受け取りました。なんとも、私流であり、かつ、いいとこどりの読み込みではあります。ですが、他人の書いた言説を読むということは、読む人が読み込まなければ「触媒」にもなりません。若い人たちへ語り継ぐ現場をもたない私だから、こんなのんきなことを言っていられると、きっとkさんなら非難するでしょうが、我が身(が浸っている現代の生活文化状況)に撃ち込まれた剣として受け止めない限り、何の意味もないのだと思っています。(つづく)
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