2017年1月24日火曜日

大寒を超えた


 陽ざしの入り方が違ってきた。我が家のリビング。向かいに五階建ての建物があるから、冬場、一階に住んでいる我が家に陽ざしが入るのは、南西側が最初、やがて南側と移ってリビングが明るく、暖かくなっていた。それが、南東側からの陽ざしが最初に入るようになった。太陽が早く高度をもつようになったのだ。大寒というのは太陽が黄経300度に来たときを謂うと、何かの本にあった。「黄経」というのがどういうことなのかよくわからないけど、冬至のころと比べると、たぶん、太陽の我が家に差し込む角度がある高さに恢復したときを謂っていると解釈している。なにより陽ざしが、うれしい。


 二十日が大寒。一年で一番寒い日ということになる。でも、実際には昨日から冷え込みがきつくなった。このところの気候変動は、「平年並み」が通用しない。気温の変化も、降水量も、振れ幅が大きい。おまけに地殻の揺れ幅もダイナミックになってきているから、そちらの方もトランプ流に「ポスト・トゥルース」になってきているのだろうか。

 さて、寒中お見舞い申し上げます。師走に喪中はがきをもらって、そうか親御さんが亡くなったかとか、兄弟を亡くしたかと驚いてお悔やみの手紙を書いていたら、「寒中見舞い」は大寒が過ぎてから出すものよとカミサンに言われたことがあった。あるいは、話しは違うが、喪中はがきの文面には句読点をつかわないとも言われて、初めて(そんなことを)知った。来た文面を見ると、たしかに句読点がない。知らないってことは、強い。私のような人が増えてくると、今度は、文面を見て(なんだこの人は句読点を使ってない、と)使わない方が無作法ってことになるのかもしれない。

 でも、作法が消えてなくなっていることを考えると、無作法も一緒に消失している。作法は、沈黙の振る舞いで場にふさわしい儀礼を表現する方法であった。「慮(おもんぱか)る」という振る舞いは、「慮る」方と受ける方との気が合わなければ、その振舞いは中空に消えていく。双方の気合がしっとりと保たれていてこその「気遣い」であるから、わかる人にはわかるが、わからない人にはわからない。これもそうやって、喪中はがきの句読点のように、いつしか変容してしまう。

 となると、婉曲に表現するよりも率直にものを言う方が、「真意が伝わる」と思うようになる。昔でいえば、庶民と公家の、あるいは今でも残る関東と関西の語法のちがいが、その辺の変容ぶりのちがいが絡んでいるように、私は思って来た。関西生まれの私が、関東に暮らして五十有余年、語法に関して言えば、関東ぶりが身についてきた。ときどき表現が「直截的すぎる」とか「言いすぎ」と言われるのは、(いちいち調べたことはないが)評者の関東・関西・東北(あるいは出自の階層・階級)という生まれも影響しているのではないかと、思っている。

 言文一致運動が実ってそれが社会的に一般化したのは円地文子がデビューしたとき、1961年であったと、どなたであったかが、どこかで書いていた。その年に高校を卒業し関東で大学に入った私としては、言文一致で育って、社会的に完成したころに関東に住まうようになった。その私が率直にものを言う方が真意が伝わると感じ、出来るだけそれを実践している。ということは、大衆社会の真ん中にいて、案外、庶民が使う語法の一般性を代表しているとみてもいいのではないか。

 陽ざしが東から入るように移り変わってきたことに、そんなことを思っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿