2017年1月26日木曜日

Mt. ever young



 山の会の月例山行。今日は静岡県の東の端、神奈川県との境にある「不老山」。5時間ほどの山歩きの下山後に、駅まで車道を1時間歩くという行程。標高差は約700m。当初、逆のルートを考えていて、登山口まで朝一本のバスに乗ろうと企画していたのだが、下りの急斜面よりは上りの急斜面の方がいいかと考え直して、駿河小山駅から入山することにした。小田急線の新松田駅で乗り換えた電車は御殿場線の沼津行き。国府津から沼津までのこの経路は、箱根の北側を走る。調べたわけじゃないが、(たぶん)東海道線の丹那トンネルが抜けるまでは、こちらが東海道の本線だったのではないか。そう思うほど、ウィークデイの通勤時間帯を過ぎているというのに、乗車している人が多い。同行する何人かも、国府津から乗ってきた。


 駿河小山駅から歩きはじめたのは9時20分。正面に雪をかぶった富士山がすっきりと立っている。毎日富士山を見ながら暮らすというのも悪くないなあと思う。同行しているうちのkw夫妻が、一週前にここを歩いたと聞いた。じつは山行日を一週間違えて来てしまったらしい。交番でルートを聞いて金時公園脇から登り、私の予定しているルートで下山した、という。登ったルートは林道がしっかりしていて、下山にはいいかもしれないという。私は、山頂から樹林の中を降って、国道に出てから1時間歩くのがどうかなと思っていたので、あとで皆さんに訊いてルート変更をしようと考えていた。

 鮎沢川を渡り20分ほど歩いて生土(いきど)の集落を過ぎ、高速道の下をくぐると、すぐに右への登山道に入る。「富士箱根トレイル→」とあるが、不老山の名はない。少し進んでやっと、「ここより不老山 聖域に入る」と手書きの表示板が木柱に打ち付けてある。「六根清浄」とも記している。ここから、先週歩いたkwrさんに先頭を歩いてもらう。いきなりの急登。階段様の狭い足場が何百段かあるが、そこに土が崩れ、その上に落ち葉が降り積もって、まあるく盛り上がり、歩きづらいことこの上ない。手すりがついていなければ、転げ落ちそうだ。

 kwrさんは、すぐ後に続くotさんの息遣いを耳にしながら、ゆっくりと登る。急登を登り切ったところで、odさんが「年寄りにはきつい」というようなことを口にする。「この中で年寄りって言える高齢者はotさん一人だけだよ」と、後ろから混ぜ返す。75歳以上はotさん彼一人。「そうだよね。75になるまでは働けってことよね」と誰かがつづける。お喋りしながら歩けるようになった。標高400mを越えたあたりから650mほどまでは「ハイキングみたい」と声が上がるほど、緩やかな稜線歩きがつづく。スギとヒノキの樹林帯。全体に暗いが、ところどころ陽ざしが差し込んで落ち葉が降り積もる。

 手書きの表示板は、このあとずいぶんたくさん設えられていて、登山道の案内板というよりは、不老山の紹介板という風情。良寛の歌が記されていたり、「不老なる山のいぶきに触れもせで さびしからずや金を説く君――平成野晶子」と謳っていたり、北原白秋の「からまつの~」を書きつけたり、なんとも我流趣味の展示場のようになっている。

 木々の合間から富士山が雲一つない姿をみせている。登山口から1時間ほどのところの木柱看板に「この新ルート 88歳と80歳の2人が開鑿し56本の道標を建てた(2005年)が、翌年にすべて破壊された。憤懣やるかたない」とあった。ここまで残されていた紹介板と製作者が同じ人物かどうかはわからないが、もし同じだとすると、「なんだよ勝手にこんな煩わしいものを建てて、止めてくれ」と思う人がいても不思議ではない。このルートを「開鑿した」というが、2005年以前の山の案内書にも紹介されているから、この製作者の勝手な思い込みとも思える。「不老山 It means ever young.」というのもあった。ご当人は思いもよらないであろうが、不老山を「自分の思い」で私するものとも言える。山を静かに歩きたいと踏み込んできた人からすると、まったく余計なこと。鳥肌が立つというものでもある。それにしても「不老」というのを「ever young」というと、ちょっと違うなと思う。むしろ「ageless」とか「unfading」という方が、感触が近い。ことに「unfading」というのは世間から疎まれて「不老」であるという憎まれっ子がはばかっている感じがあって、私の好感する語感に近い。そんなことを考えながら、歩く。

 山の斜面が崩れたところは樹林が少し切れている。そこのところで、富士山が見事な姿を見せる。その都度立ち止まってカメラを構える。危ないよ! とsさんが大声を出す。綱を張ってあるが、滑ると何十メートルか下へ転落してしまいそうだ。歩いているとときどき、ど~んど~んと音が聞こえる。東富士演習場が近いからか。ヘリコプターのローターの音もけたたましく聞こえる。標高650mほどで、生土から登る別のルートと合流する。ここから後半の急斜面の登りになる。「あと標高差280m!」と後ろが声を出す。登り口ほどの急斜面ではないが、ずいずいと登る。標高900mで広い林道を横切る。木を伐りだしたときに使ったものであろう。相変わらずヒノキとスギの混淆林がつづいている。otさんも好調なようだ。

 山頂手前に、もうひとつ生土から登ってくる分岐があった。kw夫妻は、先週こちらから登った、「楽だったよ」という。ではこちらから降りようと衆議一決。その先の富士山展望台は雪が残っていた。それにしても大きい富士山が見える。お昼は山頂の樹林の中のベンチ、ちょうどそこに差す陽当たりを浴びながら30分もとった。ルリビタキがすぐ近くを飛び回る。

 12時34分、下山開始。kwrさんが先週登って来た道は、やはりそれなりに傾斜が厳しい。落ち葉が降り積もり滑りやすい。そのうち広い林道に出る。すぐにまた細い登山道に入る。「登山者は登山道を通ってください」と、入口に記した掲示がある。標高800mくらいから急峻な階段に入る。「えっ、こんなところが登り易かったんですか」と後方のsさんが声を出すが、前を行くkwrさんには聞こえない。「まあ、先達に任せて、大船に乗ってましょう」と末尾の私。どうも道を外したようだ。

 私はスマホを出して、GPSで現在地をみると、あきらかに階段のところから林道を大きく外れている。進む方向の登山道は(国土地理院地図では)途中で消えている。急峻な階段は東電の高圧鉄塔修復用の作業道のようだ。でもスマホの地図を見ると、少し途絶えた先の左寄りに、向こうから登山道が伸びて消えている。その先を辿ると1kmほど先で立派な林道に合流している。「行こう!」と声をかけ、そちらへすすむ。急な倒木だらけの斜面を、ゆっくり下る。木につかまるが、その木が枯れていて、ぽきっと折れる。ずるずると滑る。そうしてやっと、踏み跡らしきものが下っているのを見つける。皆さんハラハラしながら足元を見つめて降りている。

 それでも、面白いとsさんはいう。「でも、今日の歩き方は邪道ですよ」とsさんに話す。山で迷ったときは原則として、迷い始めたところまで戻る。だから、東電の作業道へ入り込んだところへ戻るようにしなくちゃね。でもスマホのGPSと地図で自分の位置と先の登山道がわかるから、こんなことができると説明する。私の山のコーランだ、とも。

 こうして、スマホの画面を見つめながら、やっと広い林道に出た。kwrさんもホッとした様子だが、彼が先週上ったルートの、山ひとつ越えた谷筋になる。遠回りになるが、これで安心して駅まで行ける。いまは閉鎖されている弁天公園の脇を通る。目指すは金時公園。そこから20分で駅だという。おしゃべりが始まる。ところが、金時公園の脇へ出る道が、工事中で通れない。ひき返して、また500mほど遠回りする。何か大掛かりな工事をしている。「第二東名の海老名までつなげる工事」だと、あとでkwrさん聞いた。

 15時3分の電車にちょうど間に合った。国府津まで行った人たちと松田駅で別れ、小田急線組は新宿へ乗り換えた。がらがらの電車、途中から乗り込む人たちでいっぱいになったが、ひと眠りしているうちに新宿。家へ帰り着いたのは6時ちょっと前であった。来月76歳になるotさんにとっはever youngだったかなunfadingだったかな。

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