2017年1月16日月曜日

どうしたんだろう、この体


 厳寒になったといわれた今日、山へ行ってきた。青梅線から拝島で分かれて西の山間へと入っていく五日市線の終点。武蔵五日市駅あたりまで拓けていた平野部を「秋留野」と呼んでいたらしいが、それを呼称にとって、五日市町など周辺が合併して「あきるの市」になった。中央部を秋川が流れる。その両側に立ちあがる山並みが西の三頭山や御前山などの、奥武蔵の山に突き当たり、奥秩父の山へと連なっていく。まあ、その入口、東京都の最西端、檜原村の元郷から歩きはじめる。午前9時1分。バスを降りると、そのまま登山口に入り込む。「おや、山に登る人がいるよ」と背中の方で声がする。振り向くと、でっぷりと太った地元のオバサンが2人、私が歩きはじめた細い路地の幅に立って、こちらを見ている。思わず手を振る。向こうさんも手をあげる。ヘンなの。


 標高250mから臼杵山842mに登る。ほぼ600mの標高差。コースタイムは1時間半。1時間で標高400mというのは、健脚のペース。昭文社のコースタイムは若者向きみたいだ。急登は、しかし私は嫌いじゃない。黙々と足を運ぶ。羽毛服を着たままだが、汗をかかない霜柱を踏む感触がザクザクと心地よい響きを立てる。200m上ったところで、支稜線に上がる。21分。このペースだと1時間に標高500m以上いけるぞ。羽毛服を脱ぎ、ザックにはさむ。風がないから寒くはないが、冷えが伝わってくる。

 標高654mにはTVの中継アンテナがある。NHKか。出発してから51分。あと10分でどれだけ登れるかと思ったら、そこから先が台地上。さして高度をあげないままに1時間が経ち、そこから急登になる。山仕事に使うのだろうか、軽便ケーブルの軌道が上へ向かっている。稜線は狭くなる。右手には新しいロープが張ってある。いつもみかん畑などがあるところに敷設されていて、荷物を載せて上り下りしている。ひょっとすると人を乗せて上がるのだろうか。と思っていたら、標高799mのところにも、TV中継アンテナがあった。そしてここで、軽便ケーブルは終わっている。TV東京の施設らしい。ネットで囲まれているが、なかからラジオの音が聞こえる。人がいるのだろうか。いるようにも思えるし、いないようにも思える。声をかけてもいいが、掛ける理由がない。少し台地上になり、ここは雪が積もっている。アンテナの向こうに、大岳山だろうか、姿のよい山が起ちあがっている。

 10時28分、山頂近くの分岐に着く。キツネ?が巻物を咥えて狛犬をやっている。ここまでがコースタイムで1時間半なのだが、なんとほぼそれだけ時間がかかっている。何だか私の歩行力が落ちているようだ。北東方面の眺望がよい。筑波山が平地にくっきりと姿を見せる。東京都心のビル群が少し靄にくすぶりながらみえる。東京スカイツリーもしっかり頭を出している。臼杵山はその先、往復してくる。こちらは眺望は利かない。「臼杵山842.1m/鹿ン丸」と表示がある。シカの山という意味だろうか。「丸」は朝鮮語で山を意味すると、むかし、「日本の中の朝鮮文化」で読んだ覚えがある。

 わずか10分で往復して、再び分岐から荷田子峠・城山方面へすすむ。10時41分。700m下って200m上るというふうに、アップダウンを繰り返しながら、徐々に高度を下げる。「ユスリハクド」という何を意味するのか分からない地点名が、切り払われた株に、白いペンキで書きこまれている。「グミの木」ともある。その先に「戸倉山茱萸御前」の石標がしつらえられている。その脇の「清浄都市 五日市町」の標識も、何だか時代をワープした様な気分になる。標高はいつしか400m台になっている。

 11時47分、荷田子峠に着く。分岐からのコースタイムは1時間となっていたのに、1時間6分かかっている。どうしたことだろう。途中たいした休みもとっていない。私の歩く速度が、落ちているのだろうか。その少し上に上がって、お昼にする。北側しか見えない。その先のピークに山名表示板があった。それを見ると、大岳山や御岳山は、手前の馬頭刈山などに阻まれて見えない。それより高い、御前山や三頭山が遠方に高さを誇る。15分ほどで食事を済ませ、歩きだす。12時1分。

 その先の小さなピークで、2人の人が座り込んで何かを書き込んでいる。「お仕事?」と訊くと、「はい、測量です」という。「地理院の地図はてっきり衛星で測量していると思った」と話すと、「いやいや、私たちは土地の所有権の確定のために依頼を受けて測量をしています」と応える。測量して、区画地に杭を打ち込んでいるようだ。寒いのに大変だ。

 荷田子峠から城山までは「1.9㎞」とある。コースタイムは1時間20分。今日の私は、どうもコースタイムで歩いているようだ。まあ、それも年相応の衰えとみれば、悪くない。自分の力量をあまり高く買いかぶらないことだ。そんなことを考えながら城山に着く。なんと、12時54分。コースタイムより20分も早いではないか。昭文社のこのコースは、臼杵山の分岐から荷田子峠までと、荷田子峠から城山までを取り違えているのではないだろうか。取り違えていれば、私の歩きが、そこそこちょっと上回る程度で了解できる。そう思った。

 城山は戦国時代の山城としてなかなかの存在であったらしい。山頂の標識がそれを記している。また、麓に降りたところの看板も、似たようなことを記して誇らしげだ。降りたのは西戸倉。10分ほどで着いた。バスは9分後に来るようであったが、五日市駅まで3㎞ほどらしいとみて、歩くことにした。五日市の街はどんなところだろうと、興味津々で歩いた。むろんいいお店があれば立ち寄ってビールでも飲もうという下心はあった。だが、あまり私の町と変わらない。40分ほどで駅に着いてしまった。電車は6分後に出る。拝島の駅の乗り継ぎも6分、立川は3分。こうしてさかさかと帰ってきてしまった。

0 件のコメント:

コメントを投稿