2017年1月27日金曜日
ガラパゴス
相場英雄『ガラパゴス』(小学館、2016年)上下二巻を読む。ミステリー。身元不明の自殺体として処理されていた「事案」に殺人の臭いを嗅ぎ、「903」という記号で処理されていた遺体が「解き明かされていく」。その背景に、日本産業のガラパゴス化が底流して、「事案」の悲劇性が読み取る読者の日常に突き刺さる。
読んでいる途中の新聞に、アメリカの新大統領が「日本車の輸入に文句をつけている」とニュースが載る。「1980年代を思わせる勘違い」とトランプを評する記事だが、相場英雄の小説を読んでいると、果たして「勘違い」と言えるかどうかわからない、と思う。
1980年代の、たとえば日本の自動車産業はアメリカをしのぐ隆盛を誇った。そこでは『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者の言をまつまでもなく、日本的経営の優越性が取り沙汰された。同業他社との切磋琢磨が、1970年代の二度のエネルギー源の高騰に立ち向かって生産性を向上させた。この日本の社会文化をベースにした生産システムが、豊かな石油資源に胡坐をかいていたアメリカの自動車産業を凌いだのであった。だがこの「日本的経営の優越性」が90年代に入って、グローバリズムの波にさらされたとき「世界標準」に取り残される結果を生んだ。その事象を、いろいろな局面に当てはめて「ガラパゴス化」と呼ぶようになった。
例えば商品の、多機能・多品種・少量生産が(国内同業他社との競争を意識し、日本人向けの商品生産として)精緻を極めるようにすすめられていても、グローバル市場においては必要機能を満たせば価格の安い方が競争を勝ち抜くから、労働力の安い後発中進国にはかなわない。こうして「ガラパゴス化」は国際市場においては不適応の烙印を押されることになる。家電製品も、パソコンも、携帯電話も……、あれもこれも「ガラパゴス化」を抜け出して、国際市場に焦点を合わせて組み立て直す方向へと出立したのが、バブル崩壊後日本の「失われた十年」「失われた二十年」であった。それはすでに27年になろうというのに、未だに「失われた」まゝに、「景気浮揚」のことばとカンフル剤的な資金投与だけが産業界に向けて行われている。
つまり、日本の社会や文化とグローバル市場との「かんけい」をどうするのか見定めないままに、1980年代の経済的高揚を夢見てカンフル剤を注入しても、社会や文化の基盤がぐずぐずと崩れる結果にしかならないと(庶民である)私は実感している。相場英雄の作品も、もし主題的に焦点化するならば、その日本の庶民の暮らしが「働きやすくする」政策がもたらした崩壊過程を描き出している、と言える。
バブル崩壊後の日本はグローバル化の道を歩いて来たのに、どうして自動車産業の「関税」が今さら問題になるのか。トランプが「勘違い」しているのか。そう単純に言えないのは、日本もアメリカも、それぞれの社会が抱えている文化をベースにして、産業グローバル化への歩度をすすめているからである。トランプはこれまでの(国際関係交渉の)成り行きをすべてチャラにして「立論」する。そこにはたしてきたアメリカのイニシャティヴをも顧慮しない。いま、日本車のアメリカへの輸入には「関税ゼロ」なのに、日本へのアメリカ車の輸入には「(排気量1200ccの場合)2.5%の関税」がかかる(ヨーロッパ車には10%などとさまざまだが)。ならばいずれもゼロとすべきだというのが、トランプ流。彼の言説は目前の焦点化したコトしか眼中に置かない。それを実現することがほかにシワ寄せをもたらすとすると、それはそれが生じたところでまた、考えればいいというわけだ。肝心なのはアメリカ・ファーストの強腰。
そこでふと思い出す。1992年1月の父ブッシュ大統領の来日。あの、晩餐会で大統領が失神したとき、ブッシュ氏はデトロイトの主要自動車産業界の経営者を引き連れて、日本の自動車市場の開放、アメリカ製品の売り込みに奔走していた。そのときアメリカの自動車経営者は、日本の道路幅が狭いのはアメ車を輸入させないためだと発言して、マスメディアはそれを嗤った。アメリカはどこまでも自己中心的だ、と。ところがグローバル化が進展してみると(中進国もさることながら)欧米の自動車産業も小型化が主流となり、ディーゼルの改良もふくめて燃費の改良もハイブリッドばかりでなく、格段に進んだ。それでも自動車はまだ健在の方だ。半導体、リチゥムイオン電池、液晶・プラズマの薄型パネル、太陽電池、金型など、かつて日本が誇った主力産業は、すっかり中進国へ移動している。
なぜか。機能的に済ませればいいものは安いに越したことはない。となると、労働力の安い中進国へ産業の主力が移動するのは避けがたいこと。もしそれをも国内生産に取り戻したければ、国内労働力を安くするしかない。「働きやすくする」というのは「雇いやすく/回顧しやすく/する」こと。こうして、低賃金労働が「非正規雇用」「派遣労働」として広まる。若い人たちにはそこしか場がない。将来の希望なんて、考えられない。ブラック企業が蔓延する。グローバル化の生み出した社会の実態が悲惨なこれだと、相場英雄は描き出してストーリーを展開する。ガラパゴス化を捨て去ることは日本の文化を切り捨てること。そういえば海に囲まれて、あたかもトランプがつくるという隣国との「壁」を地勢によって果たしている日本では、すでに地政学的にトランプを内包しているのかもしれない。
ひとつ気付いたこと。犯罪捜査というのは、被害者(加害者も)の記号的存在を、一つ一つ丁寧に探り当てて個別具体性を起ち上げて「かんけい」を解き明かし、さらにその裏に底流する社会のメカニズムにふれるプロセスである。刑事というのはそういう意味で、作家のような「人の人生をまるごとつかみとる」作業をしている。警察小説や犯罪小説が面白いと感じるのは、読む者が自分の人生を重ねて読むからにほかならない。相場英雄という作家は、それを全面的に展開して、今の時代をあぶりだしていると思った。
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