2018年2月26日月曜日
わたしの自然信仰――「わたし」というすべて
むかし、トルーマン・カポーティ『クリスマスの思い出』という短編を読んで記し置いたことがあった。
トルーマン・カポーティというと、昔『冷血』という一家殺人事件を扱った作者だとおもうから、ノンフィクション・ライターだとばかり思っていたのだ。それが、メルヘンというのとは趣が違うが、七歳の子どもと「いとこどうし」というばあさんと犬が、周りの顰蹙を買いながら言葉を交わし、日々を愉しみ、クリスマスの用意をするというお伽噺のような短編。次のような一文を見つけて、《まさに、その通り!》ともろ手を挙げた。
「私はこれまでいつもこう思っていたんだよ。神様のお姿を見るには私たちはまず病気になって死ななくちゃならないんだってね。そして神様がおみえになるときにはきっと、バプティスト教会の窓を見るようなものだろうって想像してたんだ。太陽が差し込んでいる色つきガラスみたいにきれいでさ、とても明るいから、日が沈んできてもまるっきり気がつかないんだ。そう思うと、安心できたんだよ。その光を見ていれば怖い思いなんてせずにすむってさ。でもそれは正真正銘のおおまちがいだったんだよ。これは誓ってもいいけれどね、最後の最後に私たちははっと悟るんだよ、神様は前々から私たちのまえにそのお姿を現していらっしゃったんだということを、ものごとのあるがままの姿」……「私たちがいつも目にしていたもの、それがまさに神様のお姿だったんだよ。」
2018年2月25日日曜日
分ける―まとめる、germのつぶやき
孫が誕生し爺婆になっての二十年史をつくろうと考えていると、まずぶつかるのが、全体の構成をどうするのかということ。主たる仕事を定年退職して十五年。最初の五年は「日録」を簡略に記している。その後の十年、つまり前期高齢者になってからは「日誌」をつけている。前者は手書き、後者はパソコンでタイプしている。較べてみると、「日録」よりも「日誌」の方が饒舌になっている。「日誌」も、初めのころに比べて今の方が、おしゃべりだ。
2018年2月22日木曜日
強くなれないなら上手くなれ
一昨日(2/20)から一泊で奥日光へ入った。山の会の、毎年恒例のスノーシュー山行。
朝6時半、Kさん宅で彼を拾って奥日光へ向かう。久々に一緒の山行。9時40分頃、清滝で借用するスノーシューを積み込んで、赤沼へすすむ。道路の積雪はすっかり除雪されていて危なげなく走る。9時少し過ぎに赤沼に着いた。やってきたバスのなかから手を振る赤毛のアン・swdさんが見える。この人とも一年ぶりだ。
2018年2月19日月曜日
2018年2月17日土曜日
記憶と印象と歳を経ること
人の記憶というのは勝手なものだ。20年前に生まれた孫のことよりも、それより10年程も後に生まれた孫のことを、よく憶えている。こうも言えようか。中学に入って以来、滅多に近づかなくなった孫のことよりも、まだときどきは顔を出す小学生の孫の方が印象の残る、と。それと同時に、五人いる孫それぞれの違いをはっきりと感じているのだが、間違いなく大きい孫に「規準」を置いて、見定めている。「規準」にするというのは、いつのまにか「孫」という一般名詞のように、どの孫をみるときにも、最初の孫との出来事や付き合い方を「モデル」にして、それとの差異で下の孫の特徴を見定めている。経験則と謂えばわかりやすいが、これは私の偏差だろうか。それとも、いくらかは一般性のある話なのだろうか。
2018年2月16日金曜日
「転向」なのか「自然(じねん)への先祖返り」なのか
昨日(2/15)の「ささらほうさら」の講師はosmさん。現在ある大学院大学の教師を務めている。彼が去年4月の「ささらほうさら」の定例会で講師を務め、「歴史の水脈」と題して彼の出自とその地にまつわる小作争議と、それを大学の卒業論文にすべく調べたこととを話してくれた。そのとき私は、彼が主題に据えていたことの手前のところで時間が来てしまったことを次のように記している。ずいぶん長いが、まずそれをお読みいただいて、今日の本題に入っていきたい。何しろ私たちの歳にもなると、すっかり忘れている。新鮮な気分で読める(笑)と、わが身に照らして自信を持っていたりする。文字通り、ご笑覧あれ。
人生折り返し点の娘に送る手紙
45歳の誕生日、おめでとうございます。女性の平均年齢が89歳になろうとしていますから、やっと人生の折り返し点に来たってとこでしょうか。お疲れ様でしたと声をかけるのは、まだまだ早いですね。
40歳のことを不惑というのは、わが歩む道筋が定まって迷うことがないからと言われます。なぜ定まり、迷うことがなくなるか。私が不惑を迎えたときのことを思い出して、次のように考えていました。
2018年2月14日水曜日
青空、暖かい奥日光
来週の下見に、奥日光へ行ってきた。赤沼8:40、8人ほどの若い人たちが、クロスカントリースキーを装着して、歩きはじめようとしている。ここから小田代ヶ原に行き泉門池へまわり、光徳へ向かうという。3、4時間のコースだ。気温はマイナス1度。陽ざしが差していて、奥日光としては暖かい。雪は多く、締まっている。小田代ヶ原へ行く道はよく踏まれていて、スノーシューなどいらない。クロスカントリーの人たちは、ミズナラの林の降り積もったままで、誰も歩いていない雪の上をたどるに違いない。壺足で歩いてみたが、ずぼずぼと沈まない。陽ざしを受けて溶け、寒さに凍っている。
2018年2月11日日曜日
病膏肓に入る
気管支炎の薬は間違いなく効いている。だが、少し静かに養生していないと、途端に夜寝入ってから、咳き込みが激しくなる。水曜日に薬を処方してもらった。たいぶ楽になった。そう思って、金曜日の夕方、ご近所の公民館でやっているストレッチ体操に足を運んだ。1時間半、ストレッチとリンパの流れをよくする体操をやっている。負担にならない程度に手を抜きながら、身体を動かす。気持ちがいい。そうして帰ってきて夕食をとり、10時ころ床に就いた。
ところがしばらくすると咳が出る。夢うつつだから寝入っているはず。なのに、自分の咳き込みで目が覚める。電車の通る音がするから、一番電車が来たんだなと思って時計をみたら、午前一時ころ。終電の時刻だ。夕方体を動かしたのが、影響したとしか考えられない。こうしてまた、少し振り出し近くに戻る不安を抱えて昨日を迎えた。
案に相違して、しずかに一晩を過ごすことができた。薬は五日分。つまり、今日の夜で服用は終わる。はたしてこれで、完治するか。
2018年2月8日木曜日
緩やかに効く薬
気管支炎という診断に五日分の薬をもらった。朝昼夜三食後に2種類、朝と夕食後に1種、夜寝る前に2種類と5種類もある。それぞれ咳の鎮静、痰の切れをよくする、気管支の炎症を抑える、気管支の拡張、細菌による感染症予防と、「守備範囲」が違うようだ。320円、ジェネリックでいいかというので、副作用などのことを尋ねたら正統薬と同じだというので了承した。この程度の値段だったと、わが懐を気遣ったのではない。高齢者にかかる医療費の「国難」を少しでも避けようという気分。
2018年2月7日水曜日
ああ、土瓶のヘタリ
とうとう今日の「日和見山歩」に行けなかった。一週間前の朝方から咳き込みがはじまり、いつもの気管支炎と放っておいたが、昨日になってまだ治まらないどころか、夜中の咳き込みがひどくなる。今日の山行に欠席しますと参加メンバーにメールを打つ。Aさんには《山行記録をよろしく》と付け加えた。と、
《どきっ! 何とかします。鉄人でも風邪をひくんですね。健康管理はどうなっているんでしょう。お大事に》
と、返信が来た。「鉄人」と思われては、今後の山行に差し障りがある。あまり頼りにされては、緩やかに消えていこうという私の戦略に狂いが出る。
《鉄人どころか、もう化石化がはじまっていますから、土瓶ですね》
と応信したら、
《土瓶にあまりお酒など盛り込みませぬように》
と、皮肉が帰ってきた。すっかりお見通しだ。
2018年2月6日火曜日
システム構築における超越的存在
「団地の次期理事長を引き受けることになった」と先日記した。でもこれは正確な表現ではないと、相撲協会の理事の決定の仕方を見ていて思った。相撲協会の理事は、選挙でえらばれた後「理事候補」となり、3月の評議委員会の承認を経て正式に「理事」となるというふうに、もうひと段階上の承認機関が存在する。これはどういうことなのだろうかと考えたとき、団地の次期理事も候補であって、「定例総会」で承認決定されてから正式に「理事」になるのだ。それまでは「理事候補」なのだとわかった次第。
2018年2月5日月曜日
親密になって勁くなるということ
私の主宰してきた山の会がヒート・アップしている。といっても、会員が多くなったりしているわけではない。「山に足を運ぶ気」がみなぎっているといえようか。
五年前のスタート地点では、月一回。私が半年分をまとめて「山行計画」を提示し、皆さんの都合のつくときに、それぞれの力量に応じて参加し一緒に歩くというもの。つまり私が、ガイド役を務めていた。私の山行は、メンバーの力のぎりぎり上限の少し下くらいを引き出すように歩こうと計画する。きついといえばきつい。だが間違いなく達成感はある。いつも自分の力を見計らって歩くことが必要になる。私の何十年来の、一つ年上のアスリートの友人やすでに百名山を踏破しているうちのカミサンががサブ・ガイドを務めてくれた。途中でエスケープする人とかがいると、私かサブガイドが付き添って下山したり、別ルートをとったりもした。
2018年2月4日日曜日
急に近景が起ちあがってくる
今日は忙しかった。じつは、今年の6月から地区の役職が一つ加わった。今住んでいる団地の理事を引き受けることになった。先月の末に新役員のポジションを決める集まりを持った。それを持つにあたって、今年度の自治会長から「あなたが最年長だから、ポジション決めを取り仕切ってください」と依頼が来た。「名簿」をみると、私の知る同い年の女の方がいる。それを告げると、渋々とその方にも同じように依頼してくれたが、私より十歳年長の自治会長の胸中には、女が取り仕切ることが端からなかった。あとでわかるが、じつはその方の方が私より少し年上であった。となると、とうぜん、彼女に「司会進行」を依頼する。私はサポート役になる。彼女はすぐに引き受けてくれた。気持ちがいい運びだ。
2018年2月2日金曜日
積もらぬ雪
昨夜の9時ころだったか、雨が雪に変わった。私はすぐ寝付いてしまったからわからなかったが、夜中に家の前を走る車の音は雨のようだったと、朝起きてカミサンが言う。積もってる? と聞くと、「車の屋根にうっすらという感じかな。庭にも道路にも積もってない」と。起きて外をみると落ちているのは雨のようだった。
2018年2月1日木曜日
現に見るということ
昨日(1/31)の夜10時ころ、「月食が見えるよ」とカミサンが話す。外へ出て、団地の頭上の雲間に赤く黒ずんでいるというので、私は、双眼鏡をもって外へ出た。見える、見える。左下の方がより黒っぽいが、全体に赤味がかって異様な感じになっている。双眼鏡で覗いていると、雲がかかったりとれたりする。初め双眼鏡の調子が悪くなっているのかと思ったほどだ。スーパー・ブルー・ブラックムーンと呼ぶと、今朝の新聞を見て知った。
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