2018年2月16日金曜日

人生折り返し点の娘に送る手紙


 45歳の誕生日、おめでとうございます。女性の平均年齢が89歳になろうとしていますから、やっと人生の折り返し点に来たってとこでしょうか。お疲れ様でしたと声をかけるのは、まだまだ早いですね。
 40歳のことを不惑というのは、わが歩む道筋が定まって迷うことがないからと言われます。なぜ定まり、迷うことがなくなるか。私が不惑を迎えたときのことを思い出して、次のように考えていました。


 ひとつは、そこまでの40年間に右往左往してきた自分の、才能も力も限界も見えてくるということもありますが、自分が身を置いている場が生み出す機会というものに自らが育まれ、変わり、その状況の織りなす生き方・ありように自分は適応して生きていくほかないと見極めをつけることができるからです。ぼんやりとだが、子どものころになりたい、やりたいと思っていたイメージとは違う道を歩いているのかなと感じていたことが、吹っ切れるのですね。

 その見極めをつける糸口になったのは、結局、人生ってものは、どこで生きていても同じコトに突き当たり、同じ悩みを持ち、同じ状況に立ち向かわねばならないのだとわかることでした。ジャーナリズムの世界に身を投じたものも、商売の道を歩いているものも、教師という仕事に従事していようとも、ぶつかっているモンダイはじつは、同じ問題なのだとみえるようになったのです。
 ぶつかっている状況は違うが、それは受けとめている次元が違うだけ、その違いを見て取れば、同じモンダイについて言葉を交わすこともできると、思うようになりました。それ以来、世界がひとつに見えるようになりました。

 「受けとめる次元が違う」というのは、「わたし」とは何かということでした。子どものころから、周りの(環境の、と社会学では表現するのですが)世界からいろいろなことを吸収して、身につけてきました。立ち居振る舞いや言葉がそうですし、人との関係を通して感性や感覚、感情を育んできました。だから「わたし」が何かを感じ、考え、判断していると言っても、じつは、置かれている状況の中で「じぶん」が良しと思うことを選択しているにすぎないとも言えました。その「自分が良しと思うこと」もまた、環境の中でいつしか身に着いた感性でした。「わたし」とは、40歳までにおかれていた環境の違いが、わが身に反映して表出していることにほかならないと、言い換えることができます。

 ある意味では宿命的に引き受けていることでもあり、宿命に抗いながら生きてきた現在でもあります。子どものころからみてきた世界、身を置いてきた社会のことごと、そこに「じぶん」がどう位置しているのかに気づくのです。それが上に述べた「違いを見て取る」ことです。それは「世界」の方からみれば、「じぶん」を「世界」にマッピングすること。それが40歳で感じとる「私の不惑」の感触でした。

 そうして今日、45歳。不惑の話をするには遅すぎる年齢ですし、あなたには分かり切ったことに聞こえるかもしれないと思っています。なにしろ、長男を育て上げ、次男に心を砕き、小学生の長女とともに変化しつつある毎日を送っているのですから。そうした娘の日々が伝わってくるたびに、頑張ってるなと他人事のように、でもうれしく受けとめています。「他人事のように」というのは、私が手を出して扶けることもできなければ、援ける必要もないことだと思うからです。

 人生の折り返し点にいて先を見通すとき、定年後の(あなたの定年がいつどのようにやって来るかはわかりませんが)生き方を支えるのは、そこまでに培った人とのネットワークと得意技だとみてとることです。ネットワークも得意技も、結局そのときどきの今の充実したありようのことです。なにに最も充足感を感じているか。何が一番充実しているか。苦手を克服して変容していく自分の感触も大切な部分。それらを見極めると言ってもいいかもしれません。それらを意識して丁寧に、ひとつずつきちんと積み上げていくことを、願っています。

 年をとってから、そういうことが見えてくるような思いがして、よけいなことを言いました。家族を大切にし、子どもたちを見守り育てる役割がまだ残っています。あと十年ほどを、母親として頑張らねばなりませんね。ご苦労もあろうかと思いますが、へこたれずに、身体を大切にして歩いて行ってください。

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