2018年2月4日日曜日

急に近景が起ちあがってくる


 今日は忙しかった。じつは、今年の6月から地区の役職が一つ加わった。今住んでいる団地の理事を引き受けることになった。先月の末に新役員のポジションを決める集まりを持った。それを持つにあたって、今年度の自治会長から「あなたが最年長だから、ポジション決めを取り仕切ってください」と依頼が来た。「名簿」をみると、私の知る同い年の女の方がいる。それを告げると、渋々とその方にも同じように依頼してくれたが、私より十歳年長の自治会長の胸中には、女が取り仕切ることが端からなかった。あとでわかるが、じつはその方の方が私より少し年上であった。となると、とうぜん、彼女に「司会進行」を依頼する。私はサポート役になる。彼女はすぐに引き受けてくれた。気持ちがいい運びだ。


 一人、途中で絡んできた。やはり同じ理事になる一人が、今年すでに団地の建築関係の役職を(ボランティア的に)務めている。その方がずいぶん意欲的に話に加わってきた。初め話を(カミサンから)聞いたとき私は、この方は理事長をやりたいのだと思った。いいじゃないか、最年長だからという時代ではない。若い、と言っても団塊世代の筆頭なのだが、そういう意欲的な方が引っ張っていくというのは、頼もしい。

 ところが彼は、新役員の会合で私を推薦する。司会進行役の年長の方と一緒に私も、彼を推薦する。でも、その場の雰囲気からして、あまりみっともなく辞退合戦をするのは好ましくない。私が引き受ける。そうすることによって、ぽんぽんとそのあとのポジションが決まっていった。こういう雰囲気が最初にないと、一年以上の間、嫌な気分を引きずって役員を務めなければならない。あとは「場」をつくることと、私は考えていた。この役職は、住まう場所の階段で順繰りに回って来る。私の場合、9年に一遍。今回でじつは、4回目だ。はじめてこの団地に入った年、28年前に(どうせやらなければならないのなら)最初の理事を引く受けた。いうまでもなく、47歳だから、いっぱい年長者はいた。これまでの3回も、理事長職を引き受ける民間企業や官僚、自営業のリタイア組がいたから、私は「広報」とか「副理事長」といったポジションを引き受けて務めればよかった。でもこの歳で4回目となると、理事長も仕方ないわねと他人事のようにカミサンはつぶやいていた。そうして、その通りになった。

 メールでやりとりすることを考えていたから、皆さんのアドレスを集約して一覧にし、それを皆さんに送付する。そのうちの部屋番号と電話を一覧にして、現理事会に報告する。それを今日の理事会で承認して、それ以降、現理事会の傍聴を主要4役員が行って、半年近く、5月末の定期総会の承認を経て、私たちの任期がはじまるというわけである。つまりそれまでは、「理事会」が何をしているか、何をどう問題にしているか、その引き継ぎにあたることを「傍聴」というかたちで伝えようという、システムである。同席することで、「伝えたよ」と認知させる。どこからこのような継承の方法が考案されてきたのか知らないが、面白い。

 つまり私は、この理事長という役割を、社会学的に、文化人類学的に、あるいは民俗学的にみてみようと、覚悟を決めたところで、気持ちが楽になった。のめり込みながら、わが身を引きはがして、この近代高度消費社会に息づくものごとの決定の方法、人々のものごとの認知の仕方やコミュニケーションの取り方の方法、それら社会学的にはよくわかっていないことがらを、具体的に実感しながら観察することができる。

 そうおもって、一挙一動、一挙手一投足を見ながら、忘れないように記録しながら、そうして後に改めて距離を置いて、それを解釈しながら、これから(たぶん)一年半以上の間、「地元」に足をつける。そういうことがそもそも可能なのかどうかは、わからない。自分がそのコトに 没入しながらなお観察しているという視点は、無理があるんじゃないかと、普通ならば思う。だが私は、それにかっわる人たちのコミュニケーションを図るという独特の視点を(具体的に)堅持することで可能にしてみたいと願っている。「コミュニケーションを図るという独特の視点」というのは、理事長という役割がたまたま持つ求心的な立場を利用して、皆さんのやりとりを(一年半かけて)組織するという「裏目的」をもって表でかかわることを意味する。

 その第一回戦、「現理事会の傍聴」と「臨時総会」が今日あった。それを、どう次期理事たちに伝えるか、どうやりとりを引き起こすか。その記録とメールとそれを客観化するための「メモ」とを記しながら、気分は興奮しきりである。さあ、どこまでこれがつづくか。どこへつづくか。少し咳き込みながら、ひとつ楽しみが増えたという思いに、気分が昂揚している。

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