2018年2月7日水曜日

ああ、土瓶のヘタリ


 とうとう今日の「日和見山歩」に行けなかった。一週間前の朝方から咳き込みがはじまり、いつもの気管支炎と放っておいたが、昨日になってまだ治まらないどころか、夜中の咳き込みがひどくなる。今日の山行に欠席しますと参加メンバーにメールを打つ。Aさんには《山行記録をよろしく》と付け加えた。と、
《どきっ! 何とかします。鉄人でも風邪をひくんですね。健康管理はどうなっているんでしょう。お大事に》
 と、返信が来た。「鉄人」と思われては、今後の山行に差し障りがある。あまり頼りにされては、緩やかに消えていこうという私の戦略に狂いが出る。
《鉄人どころか、もう化石化がはじまっていますから、土瓶ですね》
 と応信したら、
《土瓶にあまりお酒など盛り込みませぬように》
 と、皮肉が帰ってきた。すっかりお見通しだ。


 思えば、先月の26日から三日間、「新年会」が三つもあった。付き合うだけでなく、しこたま飲んだ。夜中に少し苦しむほど飲んだのは、仕事をリタイアしてから15年間で初めてではないか。でも、翌朝は調子よく近隣の「お役目」の話をすすめるくらい、しっかりしていた。それが、「しこたま」から四日経ってから、咳き込みが出てきた。ということは、私の身体が3日遅れから4日遅れというふうに、反応が鈍くなっているのかもしれない。そうして一週間、治まるどころか咳き込みはひどくなる一方で今日を迎えた。

 インフルエンザじゃないのと近隣の知人は言う。熱は出ないよ。今年は熱の出ないB型というのが流行っている、と。でもそう聞いて、病名だけをつけてもらいに行くのも癪だから、家でおとなしくしていたのだが、改善する兆しがない。それを知った田舎の兄から「医者で診てもらえ」と電話もあった。夜中の咳き込みを我慢してきたカミサンも今朝出がけに「お医者さん行ってね」と念を押した。

  近所の「主治医」の待合室は半分ほど。風邪にやられたらしい小さい子ども連れが多い。私もひょっとしてインフルエンザかと思うから、座席の一番片隅に座ってマスクをして本を読む。咳が出そうになると、ハンドタオルを取り出して口に押し当てる。順番が回って来る。この医院は、インフルエンザが疑われる患者は、カーテンで仕切られたベッドの方へ案内している。私は「気管支炎かと…」と言っていたから、普通に待っている。診察がある。医師はインフルエンザは疑っていない。気管支の拡張剤を処方しましょうという。私が「インフルエンザじゃないんですか」というと、熱が出てないでしょ? という。今年は発熱しないB型が流行っていると知人が言うものですからと応じると、「じゃあ検査しておきましょう」と、先述の隔離カーテンの方へ案内されて、鼻の奥の粘膜を綿棒で採取する。しばらく待たされたあと、ふたたび医師のところへ呼ばれていくと、ABCと表示のある小さい紙片を見せて「ほら、どこにもマークがついていないでしょ。インフルエンザじゃありません」とお告げがあった。真正の「気管支炎」。要するに私の弱点が、疲労とか飲み過ぎだとかストレスだとかを引き金にして奔出したというわけ。まさに土瓶になってしまった宿痾、土瓶のヘタリである。

 そう思ってふと、どうして土瓶なんて思いついたのか振り返ってみると、「鉄人ではなく土瓶」と応じている。やりとりする相手も、何の不思議もなく「土瓶に……」と受けている。でも考えてみると、どうして? と思った。類推すると、(鉄人 → 土人):(鉄瓶 → 土瓶)というイメージの流れだ。だが「土人」というのは、どう考えても「鉄人」の対立語としては違和感がある。それよりは「鉄人:鉄瓶 → 土瓶」という類推の方が飛躍しやすかったのだと思う。単なる言葉遊びだが、こうした言葉遊びが取り交わされるほどに、山の講中の文化性が醸し出されてくるようになった。

 なんて私が書いている間も、彼らは雪の積もった秩父の入口にある長瀞周辺の山を歩いているのであろう。いい日よりだのに……。

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