2018年2月22日木曜日

強くなれないなら上手くなれ


 一昨日(2/20)から一泊で奥日光へ入った。山の会の、毎年恒例のスノーシュー山行。
 朝6時半、Kさん宅で彼を拾って奥日光へ向かう。久々に一緒の山行。9時40分頃、清滝で借用するスノーシューを積み込んで、赤沼へすすむ。道路の積雪はすっかり除雪されていて危なげなく走る。9時少し過ぎに赤沼に着いた。やってきたバスのなかから手を振る赤毛のアン・swdさんが見える。この人とも一年ぶりだ。


 宿で使う荷物を車に残し、トイレを済ませ、スノーシューを装着して歩きはじめる。10時10分。入口のところに「青木橋架け替え工事のため通行できません」と掲示してある。シーズンを迎える前の閑散期に老朽化した修復を済ませようという観光地の仕事なのであろうが、たっぷりと積もった雪は障害にならないのであろうかと、気になる。道路をのぞいて全面が雪の世界。男体山が見事に巨体をみせて見下ろしている。そう言えば、この地の今日の天気予報は「曇り、降水確率40%」であったが、青空が広がっている。

 小田代ヶ原に向かうルートはスノーシューなどいらないくらい踏み固められている。先頭のkwrさんは少しそこからはずれた雪の上を歩く。いつものように、mrさんがそれにつづく。Kさんは列を外して、踏み跡のついていない雪を踏む。

 湯川を渡るところで、スコープを据えた女性と挨拶を交わす。ベニヒワを探している、と。独りでやってきて雪の中に身を置いているんだ。湯川にマガモが浮かんでいる。カラマツの林に入る。雪が締まっているから軽々と歩く。Kさんは後ろの方で赤毛のアンとおしゃべりしながらついてくる。かれらも一年ぶりの邂逅というわけだ。いつもならカラマツの実を啄ばむ小鳥の群れがいるところも、すっかりかっらぽの木立の青空。先行してスノーシューで入ったグループが大木の前で立ち止まっている。ガイドをしているのは、地元のネイチャーガイドのAさん。挨拶を交わす。戦場ヶ原の南西部の展望台へ下る辺りから、一段と雪が深くなる。先頭のkwrさんの歩く先を見て、ショートカットの道をとる。雪を踏み砕いて斜面を降るのが面白い。ところどころ、壺足で歩いて踏み抜いたのであろう、深く落ち込んでいる跡が残っているから、スノーシューは、それなりに役立っているんだね、とmrさんのkwmさんと交わす声が聞こえる。

 小田代ヶ原のシカ柵の回転扉は取り外されている。そこをくぐるとすぐに分岐がある。原の西面への道を分けて東面へ向かう。踏み跡がしっかりとついている。ということは、ここしばらく雪らしい雪は降っていないのであろうか。強い風もさほど吹いていないとみえて、トレイルが道案内をしてくれる。そこを外れて歩いているのはokさん。雪道はどこでも歩ける。勝手気ままが気持ちがいい。小田代ヶ原の北東端の分岐に着く。11時20分。一息入れる。原の東側、カラマツのカーテンを裏から見るようになる。ところどころにシラカバが立ち並ぶ。空の青と雪の白と木立の黒っぽい縦じまが陽ざしに輝いて清冽な感触を湛えている。女性の二人連れが私たちの行く方向からやってくる。戦場ヶ原を通って赤沼へ戻ろうと考えていたが、青木橋が通れないので、戻るところだという。天気がいいからこうやって散策する人たちがいるんだ。

 泉門池へ向かう。このルートは、いつもはあまり人が歩かないのに青木橋が渡れないから、踏み跡が多くなっているのか。でも、森の奥深く静かな感触はただよう。木立の間から、男体山、大真名子山、小真名子山、太郎山、山王帽子山、三つ岳と、奥日光の山々が一望できる。「冬の間しか見えないからね」とKさんが声を上げる。「大真名子、小真名子って女の子だね」と誰かが言う。「そうそう、太郎が長男、女峰がカミサンよ」と応じる。男体山一家だ。30分かからずに泉門池に着く。年中棲み込みのマガモも、きらきら陽ざしに輝く水面に浮かんでいる。ここのベンチでお昼にする。

 食べ終わって後ろを振り向くと、いつもは「もっとゆっくり食べさせてよ」とこぼすmrさんがもう背中にリュックを背負っている。他の方々は、男体山を眺めながら日差しを浴びて冬の奥日光を味わっている。男体山の右肩にぽかりと、小さい雲があるだけ。空の青さがひときわ際立つ。陽ざしが暖かい。

 ここから先頭をoktさんが歩き、森を抜けて湯滝下を目指す。雪のないときはササが生い茂って歩けないが、積雪期だけは直登できるショートカットの道だ。谷筋から山際へ向かうのだが、ピンク乗り版がつけられていてガイドしてくれる。人の踏んでいない雪の上を歩くのは、気分がいい。年末に歩いたときは50センチばかり雪が積もった直後で、スノーシューを履いていても、下肢の半ば近くまで沈んだ。それがここ一カ月半の間に、陽ざしを受けて溶け氷点下の気温に固まり、雪が締まっているから、ほんの10センチくらいしか沈まない。先頭を交代してmrさんが歩く。ずいぶん力強くなった。湯滝下に入る急斜面も、どこを降りようかと興味津々な様子。雪を愉しんでいると感じる。

 35分ほどで湯滝下に着いた。湯滝についていた氷や雪はすっかり融け落ち、さらさらと薄いベールのように水が流れ落ちている。滝の脇を上がるルートは、湯滝上にあと20メートルというところで、国道の除雪をした雪が投げ込まれ積もって、道を塞いで通れない。湯滝入口バス停のところで、今日の歩きは終わりと考えていた。「ええっ、もう終わっちゃうんですかぁ」とmrさんがいつものジョークを言う。Kさんが「いや、だったら国道を少し歩いて湯ノ湖の西側を回るコースを歩きましょう」と提案する。私は赤沼に車をとりに戻る。ちょうどいいかもしれない。皆さんもあと二時間くらいなら歩けると意欲的だ。バス停へ向かう。若い人が何人か、降ってくる。湯滝を見に来たに違いない。車の通れるアプローチは、歩きやすい。

 バス停のところへ来たとき、湯元からのバスがやってくる。「早く行きなさいよ」と言われて、スノーシューを履いたままバスへ駆け寄る。乗ろうとする客が何人かいて、待たせることなく乗ることができた。光徳へ立ち寄って赤沼に降ろしてもらう。途中でサルが道を横切る。乗客が、サルだサルだ、と声を上げる。サルはちらりとバスを見やって平然と渡り、雪に乗ってからこちらを見ている。赤沼から湯元へ車を走らせていると、湯の湖の東側の山すそを歩く一団がいる。みると、湯の湖の西側を歩くと言っていたわがグループの人たちだ。こちらのコースをたどっているのを確認したよというつもりで、車の警笛を鳴らす。

 湯元の宿に車を置き、受付だけ済ませて皆さんと合流すべく、迎えに出る。湯の湖の東岸の道も道路を除雪した雪が積み上げられて、通れなくなっている。入口には「通行禁止」の表示が掛けられていた。同じような表示板が湯滝上の西岸への入り口にもかけられていたそうだ。ま、禁止領域に踏み込むほど若くはない。2時前に着いた宿のロビーに座り込んで、今年四月から九月までの「山行計画」をチェックする。mrさんもプリントをしてきて三案を提案し、どれがいいかと話す。来客は多く、中国語のやりとりも聞こえる。観光客だ。

 2時40分頃、部屋に入る。風呂から出てkwrさんが勝ってきてくれたビールを空けて、皆さんが来るのを待つ。顔がそろい、oktさんとKさんの二人の喜寿のお祝いをする。oktさんはあと二日で77歳、Kさんはあと三か月ほどで追いつく。とても喜寿とは思えないほど、二人とも元気がいい。持ち込みのシャンパンを明け、ワインを飲みながらおしゃべりがつづく。mrさんも「わたしも年女よ。還暦になる」と、一回りさばを読んで元気ぶりをアピールしている。kwrさんの友人にすい臓がんの名医がいると聞いて、swdさんが紹介してもらっている。彼女は、自分はすい臓がんで寿命は70歳と(勝手に)きめている。あと3年のいのちだというので、百名山をつぎつぎと登り、海外のトレッキングにも意欲的に出かけている。とても死にそうにはない。名医がいて早く発見できれば寿命も延びると知って、藁にもすがるつもりのようだが、鉄のような藁に思える。

 去年は、ここで呑み過ぎて、夕食が何であったかほとんど記憶に残っていなかった私も、今年は自重している。夕食も記憶の中で済ませ、8時前から朝6時ころまでぐっすりと寝入った。体はけっこう昼間の歩きで疲れていたようだった。

 21日朝食はバイキング。皆さん食欲は旺盛だ。ゆっくりコーヒーも、甘みも、ベトナムの香草の入ったホウも頂戴して、出かける準備をする。8時45分玄関前に集合。そこからスノーシューを履いて登山口へ向かう。9時15分、金精道路脇の林道を歩きはじめる。oktさんが先頭。上から降りてきたような踏み跡がひとつある。昨日のものか、一昨日の足跡か。柔らかいところは、ずぶずぶと足が沈む。10分ごとくらいに先頭を交代してあるく。三つ岳の裾を回って小峠へ抜けるわけだが、ここはロイヤルロードとKさんが話している。今の皇太子が切込湖刈込湖を歩いたときにつくられた林道だという。そうなのか。「平が岳へは(皆さんを)案内しないの」とKさんが私に尋ねる。「往復11時間だよ」というと、「ロイヤルロードを辿れば5時間くらいじゃないか」と、昔私と一緒に行ったことを思い出させる。いつのことだったか忘れたが、いまもあの林道が使われているだろうか。そう声に出すとswdさんが「近くの宿に泊まったら、そこの人が送ってくれたよ。降りてくるまでそこで待っててくれて」と百名山踏破のときの最近の話を聞かせてくれる。

 ずいぶんペースが速い。年末に歩いたときには、雪が降り積もったばかりということもあって、ごく柔らかい雪にスノーシューを履いた足が沈み、小峠まで3時間もかかった。距離的には2時間くらいと見込んでいたのに、ずいぶん遠い。ところが今日は、倍速程に早い。三つ岳の方を超えて光徳へ抜ける旧道との分岐も(年末には1時間かかったのに)35分ほどで通過している。踏み跡は残っていたり消えていたりする。列を離れて脇の小高いところへ踏み入ると、ずぼりと膝の辺りまで沈み込んだりする。森の中の深々と積もった雪に身を置いて歩くのは、神々の世界に踏み込んだような気配がして、自ずから厳かな気分になる。そう言えば、神は冬、山に還り、春になると里に下りてくると、柳田國男が書いていたか。里人の農作業にともなう祭りごとは、山の神々への祈りを捧げることであった。不信心者の私でさえ、山に入るとそれを感じる。わが身に受け継いでいる自然信仰の現れか。

 小峠に着いたのは10時45分。ほんとうに1時間半で来ている。まだお昼にゃ早いよというので、蓼の湖まで行こうとなる。45分くらいかかるから、ちょうどいいだろう。小峠からは、いきなり急な下りがある。kwrさんやkwmさんは軽快に下っていく。oktさんが急な斜面で滑ったが、うまい具合にシリセードで斜面を降りる。慎重な年女が「なんでこんなところがあんのぉ?」と山の神に文句を言っていいながら下っている。と、下から登ってくる8人ほどの一団とすれ違う。蓼の湖から登ってきて、私たちと反対に、林道を通って湯元へ降りるという。私たちよりは若い。

 ブルーリボンがつけられていて、道を踏み外す心配はない。あまり快調に飛ばすものだから、わずか25分で蓼の湖に着いた。湖面は8割方が凍り、北側の流れ込みがあるところだけ薄黒い水の色を湛えている。どこか腰掛けてお昼にしようと思ったが、湖面に近寄ると強い風が吹き抜ける。「湯元まであとどれくらいかかる?」とkwrさんが尋ねる。30分くらいかなと応えると、「じゃあ12時にはつけるから、どこか暖かいところへ行ってお昼にしようよ」と話しがすすみ、一も二もなく歩きはじめる。Kさんが湖面の方へ行く。昨日、京都暖かかったから、私は氷の上は歩かないほうがいいのではないかと思ったが、「大丈夫だよ」とKさん。彼は足尾で育っているから、氷の上を歩けるかどうかは、的確に判断できる。なら彼に任せようとあとへつづく。ところが、中ほどへ行くと、ずぶずぶと氷の上の雪に足がうずまりはじめる。

 湖を渡り、小さな尾根を回り込み、私が先頭になって金精道路の方へ向かう。標高差30メートルほどの急な斜面の直登に差し掛かる。どうかと思ったが皆さん、着実な足取りで食いついてくる。ときどき振り返ってカメラのシャッターを押すが、すぐに追いつかれてしまう。kwmさんとmrさんが湧きを抜けて登り切り、「なんだ、もう着いちゃった」と声を上げる。しんがりを歩いたKさんが「みなさん、上手くなった」と褒める。下りも急斜面の登りも歩き方が上手になったというのだ。私は強くなったと思っていたが、この年で強くなるはずがないと思っている、アスリートのKさんからみると、上手くなったというのが年齢相応の誉め言葉というわけだ。そういわれてみると、そうだ。林道を歩き時の倍速と言い、急斜面の上りと言い、的確に一歩一歩の脚の運びに上手く重心を移動させ、ほとんど無駄なく歩いている。oktさんもほとんど疲れをみせず、歩き切った。

 湯元に降り立ったのは、12時前。スノーシューを車に積み込み、休暇村湯元の喫茶室に入ってコーヒーを注文し、お昼の食事を出してしばらくまた、おしゃべりに興じた。そのとき、3月の第二日曜日に光徳のアストリアホテルを出発点にして、スノーシューの大会が開かれ、Kさんがスウィーパーとして手伝いに入る予定になっていると話す。「みなさん出ませんか。今日くらいの歩き方をすれば、十分レースに参加できますよ」と声をかける。「面白そう」とswdさんがやる意志を示す。「今から間に合うのなら、出ようか」とkwrさんがkwmさんと相談して、5キロのコースに出ることにした。昨日、今日のスノーシューの一大成果である。

 休暇村の日帰りの風呂が(宿泊者は)半額とあって入っていこうという人、バスで帰る人と別れ、私とKさんはスノーシューを返却に麓の日光市へ向かった。スノーシュー大会の雪渓と実施の責任者である自然計画のMさんは「みなさんをお誘いいただいてありがとうございます」と大喜び。kwrさんたちの使うレース用の軽いスノーシューを、当日用意してくれることになった。無理をせず、怪我をしない程度に愉しんでくださいな。

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