2018年2月5日月曜日
親密になって勁くなるということ
私の主宰してきた山の会がヒート・アップしている。といっても、会員が多くなったりしているわけではない。「山に足を運ぶ気」がみなぎっているといえようか。
五年前のスタート地点では、月一回。私が半年分をまとめて「山行計画」を提示し、皆さんの都合のつくときに、それぞれの力量に応じて参加し一緒に歩くというもの。つまり私が、ガイド役を務めていた。私の山行は、メンバーの力のぎりぎり上限の少し下くらいを引き出すように歩こうと計画する。きついといえばきつい。だが間違いなく達成感はある。いつも自分の力を見計らって歩くことが必要になる。私の何十年来の、一つ年上のアスリートの友人やすでに百名山を踏破しているうちのカミサンががサブ・ガイドを務めてくれた。途中でエスケープする人とかがいると、私かサブガイドが付き添って下山したり、別ルートをとったりもした。
ところが、会員は年々歳をとる。会員を増やすわけでもないから、五年経てば五つ年上になる。今は最高齢者が間もなく77歳になり、平均年齢も(たぶん)70歳を超えた。年寄りの暮らしの環境も大きく変貌する。親の介護などから解放されて山歩きをはじめたはいいが、孫が生まれ、その孫が学校に通う歳になって世話をすることになり、自分の連れ合いの介護や介助が必要な事態も出来し、何よりも自分自身の体力や気力が衰え始める。つまり、私のプランには付き合いきれない人も出てくる。「では、あなた方のプランを作りなさいよ」と突き放して、会員が立案する「日和見山歩」が、月一回行われるようになった。2年前のこと。つまり、私立案の山行と並んで、月2回の山行になった。それでも参加する会員は、その前年より一人減ったかどうかくらい。元気は良かった。
思わぬ変化も起きていた。サブガイドのアスリートの友人が頸椎を損傷して(すぐに医者に診てもらえないところへ出張るのは)用心しなければならなくなった。うちのカミサンも骨折したり神経痛(?)に見舞われたりして、難儀な山には同行しなくなった。それとともに私も、歩き方を変えた。いつも先頭に立ってガイドしていたのをやめて、メンバーの誰かに先頭を任せる。難路や迷いやすいところだけ私が先頭に立つようにして歩く。先頭を歩くというのは、自分のいる地点をいつも地図上に落としてみている(マッピングする)必要に迫られる。人について歩くのではない緊張感に包まれる。むろん下山後に達成感も身に感じることができる。他の面々が「早いわよ」と牽制したり、一人先行するのを気にしてペースを整えたりして、自分で立案していないルートでも、ガイドのように歩くセンスを身につけるようになった。これは、山の会としては新しい境地だ。
自分で山行を立案するというのは、自分が歩けるかだけでなく、他の人々はどう歩くだろうと思いめぐらすことになる。かつて足を運んだことがあると言っても、記憶しているとは限らない。実際にその場を歩いてみると、表示が不明になっていたり、廃道同然になっていたりする。季節によっては、積雪や凍結によってアイゼンが必要であったり、ルートがわからなくなっていることも少なくない。そういう不安を解消してくれるのが、同行する人たちである。地図をみながら「こちらじゃない?」と指摘する。間違えたりしても、どこへ抜けるか一緒に思案する。
だがじつは、山歩きは媒介に過ぎない。皆さんのおしゃべりは、往き還りの電車のなかはもちろん、歩きながらや一服するときなど、場にかかわらず縦横に噴出する。山やルートに文句を言う人もいる。これまでの経験が思い出されて、それと今の歩きが比較されていることもある。一人の口にした言葉が引き金になって、あちらこちらから山歩きに端を発することが取り交わされる。もうすでに山の仲間というだけでなく、人柄が交わる親密な関係が取り交わされているとみることができる。
こうして、立案に際して「一緒に思案する」というのと「人柄が交わる親密な関係を取り交わす」というのとが相乗する。一人の立案に対して「あそこは逆ルートがいいよ」とか、「もう少し先へ下るようにしたら」と提案して、もう1時間余計に歩いたりすることが起こるようになった。ついには、「一緒に下見しよう」と提案し、積雪や凍結の様子を下見し、歩くコースを変えたりすることまで起こるようになった。私は事務局としてチーフ・リーダーからの「修正」をいったん集約し、全員に伝えることをするから、「修正」に至ったワケと経緯を知るところとなる。
すると先日、Aさんから次回担当のBさんと「下見に行った」とメールが入った。それと合わせて、
「彼女が山行に後ろ向きなので先輩として発破をかけておきました」
と追伸がある。えっ、と思った。Bさんはマイ・ペースの歩き方を好む。初めのころ、中央アルプスの宝剣岳を縦走したとき、岩場を降る際、私が先行し、ビビる彼女に「ここに左足」「こちらに手がかり」「そちらに身を寄せて、あちらをつかんで右足をそっちへ」と、逐一「ガイド」したことがあった。あとで彼女がポツンと、「あれこれ煩わしかった」とほかの方に感想したのが耳に入った。そうか、その場で言えず、(他人の)ことばを身の裡に取り込んで内省的に自分を責めるタイプなのかもしれな、と思ったことがあった。それ以後はできるだけ勝手放題にしておくように向き合ったが、そのうち彼女は最後尾を歩いている私に「先へ行ってください」というようになった。「後を歩かれると、落ち着かない」という。「迷惑をかける」と思って、気がせくのかもしれない。
そうであったからAさんに
「彼女デリケートだから、ご用心を」
と返信を打った。するとすぐにAさんから返信が来た。
「彼女が仙丈岳に行こうか迷っていたので、目標に向かってお互いに鍛えようねっていう趣旨です。帰りにお茶して、ゆっくり話ができて良かったです。」
とあり、つづけてこう追伸が来た。
「大丈夫です。私も彼女もそんな柔な人間ではありませんから。この会の女性はみんな気が強いからご用心。」
とあった。まいったね。すっかり彼女たち主宰の山の会に変わっていたのだ。
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