2020年2月29日土曜日

何が違うのか


 昨日、今日の世の中の、この素早い反応は、なんだ。小中校を休校にするのは、ま、いいとしよう。
遊園地なども、やむをえまいと思う。だが、雪崩を打って、営業自粛が相次いでいる。
 近所の公民館も、3月15日まで休館にするという。毎週やっている「男のストレッチ教室」も、都合2回お休みになる。ま、映画でも見に行くかと思っていたら、今朝の新聞でお目当ての映画館が、やはり15日までお休みするとあった。
 
 何と市立図書館も15日まで休館。その間に返却期限の来る図書はどうするんだよと思って図書館サイトの自分の借り出し図書をみたら、なんと返却期限は、3月末に自動延長されていた。いま届いている図書も、明日、借りておかねばならない。
 これはまるで、「非常事態宣言」だ。
 北海道は、仕方あるまい。雪まつりが影響したなと、思う。だが、この埼玉でも、同じように公共的な場が「閉鎖」になるのは、なんだか私が、取り残されていくみたいで、妙な気分だ。

2020年2月28日金曜日

小集団で暮らせと「天の啓示」か


 「全国の学校を一斉に休校にするよう要請します」と首相が発表して、世の中を騒がせている。メモを読む記者会見も、なんだか上の空に見える。どうしたんだろう。午前中の予算委員会で立件民主党の枝野党首の質問の舌鋒が鋭かったと、どこかのジャーナリストが書き記していた。厚生労働省ばかりに取り組みを任せていいのか、国土交通関係や産業関係、文科省関係で何にどう対処しているかを問いただした後、首相と官房長官は「指示をした」というかたちだけでなく、何にどう取り組んでいるかに踏み込んだら、中身に何もなかったという様子だったらしい。
 そうして、夕方突然の「全国一斉休校」ときた。まるで桜を観る会を追及されたらすぐに「来年は止めます」といったのと同じ。反射反応だ。

2020年2月25日火曜日

医者にも行けない


 4日前、金曜日から風邪気味だ。喉がいがらっぽい。寝ていて咳き込む。いま話題の新型コロナウィルスではない。熱がないこともあるが、いつもの疲れがたまると気管支炎を発症する。それだと自己判断している。日曜日に団地の委員会があったが、咳き込みながら出席したのでは迷惑だろうと考えて、欠席を知らせた。
 でも医者には行けない。待合室で待っているだけで、「渡航歴」でもあるんじゃないかと疑われるに違いない。いつもの気管支炎なら、咳止めの薬をもらって飲めば、3日ほどで治る。でも、どうやって薬だけをもらうことができるか、わからない。

2020年2月23日日曜日

末弟の生誕70年を想う


 今日は、私の末弟Jの70回目の誕生日。彼は6年前に病没しています。世の中は、彼の十年後に生まれた「天皇誕生日」として祝日にしていますが、子どものころからの私たち家族にとっては毎年この日は「祝日」でした。
 思えば母親が、息子五人の誕生日を毎年きちんと祝う場を設けてきたことが、私の身に刷り込まれて、兄弟間の序列を意識させ、争うのではなく敬愛することへと気持ちを傾けさせたのだと、今になって思います。むろんまた、兄や弟たちがそれに値する振る舞いをしてきたことも、相身互いのいい関係を築くことにつながったのでしょう。

2020年2月20日木曜日

日本海側気候の奥日光 めでたし


 18日から二日間、奥日光の雪の山を歩いてきた。山の会の毎年恒例の宿泊山行。
 18日は、宇都宮―日光道路の日光口を過ぎたあたりから雪が降り始め、いろは坂にかかるころには本降りになった。昨日の夜から降り続いているらしく、路面にも雪が積もっている。
 湯元の駐車場止まっているのは私たちの車だけ。バスで来る人たちと合流して、スノーシューを履き金精山の方へ歩き始める。10時半過ぎ。雪の降りがひどくなった。どこかの小学校の修学旅行だろうか、ゼッケンをつけた子どもたちが急な斜面で橇遊びをしている。

2020年2月17日月曜日

ユメとウツツを分かつ「匂い」


 第72回カンヌ国際映画祭では韓国映画初となるパルム・ドールの受賞をしたと評判を聞いて、映画『パラサイト 半地下の家族』(韓国、2019年)を観てきた。ミーハーだ。面白かった。
 上流階級を嗤うわけでもなく、下層階級を蔑むわけでもなく、その違いを軽々と越境して上流の味わいに身を浸すユメをみる。ユメとウツツの分節点を分かつのは「匂い」だ。上流には上流の匂いがあり、下層には下層の匂いがある。軽々と越境しているように見えるのはフィクションの世界、と。
 そうだからか、この映画は、「ブラック・コメディ」と分類されている。「パラサイト」というタイトルは(上流階級に寄生するという)自虐なのか。

2020年2月16日日曜日

霞に取り囲まれてボーっと生きて「幸せ」


 平野啓一郎『ある男』(文藝春秋、2018年)を、旅の往き帰りに読んだ。この作家が芥川賞をもらった作品を読んだとき、ずいぶん衒学的というか、メンドクサイ作家だと思った印象がある。フランス哲学に通暁していることがそのまんま前面に露出しているような生硬さではなかったか。ところがこの作品、この作家の文体が日常の暮らしの地面に足をつけて歩き始めたような、落ち着きと平明さをもっている。いや、作品中の主人公の語りにも、ルネ・ジラールの言葉を引用して話をした後に、その硬さを自ら揶揄するような書き込みがあった。最初の作品から二十数年を経ているこの作家の変遷があったに違いない。

2020年2月15日土曜日

Mwさんの野鳥園


 4日間、最果ての島へ鳥を観に行ってきた。与那国島、日本の最西端。同緯度にある対岸の台湾まで111kmという海のなか。その反対側、東に西表島や竹富島、石垣島などの八重山群島が点在する。
 たいして疲れているとは思えなかったのに、今日の午前中にブログの書き込みをするのが、なとなくカッタルクなり、茫茫と時間を過ごしてしまった。この程度の旅が身に堪えているのかもしれない。

2020年2月10日月曜日

統治の歴史観と暮らしの歴史観


 断捨離の入口でうろうろしていたら、古い新聞の切り抜きに小浜逸郎がJICC出版から出ていた「ザ・中学教師」シリーズの変遷に触れて、私たちの活動を評している記事があった。当時の埼玉教育塾(のちのプロ教師の会)が「反動的」ともいえる言説を展開しているのは、世に蔓延るリベラルな人たちの「教育論」が「教育の核心」になることを欠いていることに苛立っているからだ、とみている。小浜自身も、埼玉教育塾の言いたいことには賛同するが、しかし彼らが現行システムを前提にしているスタンスが「反動的」だと言い、小浜自身はもっと改革をすすめる視点を組み入れると結論的に主張している。今から30年ほども前、1991年頃のことだ。

2020年2月9日日曜日

断捨離は遅々として進まず


 古稀を過ぎて身辺整理をしようと思ったはいいが、まとめた本を売り払うのが躊躇され、結局部屋の隅に積んでおいて7年が過ぎた。自分の身のまわりの品々に沁みついている「かんけい」の匂いが、なかなか断ち切れない。本だけではない。
 仕事をしていたときにやりとりした手紙や書きつけ、あるいは、誰かのレポートやその片隅に書きつけてある私自身のメモ、生徒や学生や保護者向けや同僚の教師向けに印刷した「通信」や「週刊紙」なども、ちょっと目を通すと、その当時の情景が浮かび上がり、彼や彼女がそういうふうにものを考えていたのかと、今の目で読み取りながら、しかしたぶん、そうは読み取らなかったであろう当時の目の至らなさに思いが及んで、臍を噛む。そんなことをしていたら、断捨離は遅々として進まない。

2020年2月8日土曜日

江戸を想う


 「新型コロナ」騒ぎで、横浜の港に豪華客船が足止めされています。医薬品や食料を補給しているのを見ていて、ふと、江戸末期に来航して、薪と水の補給を許可してくれと頼みこんでいた、アメリカの捕鯨船やオロシアの舟のことを思い出しました。国際的な交通が頻繁になると、このような事態になる。規模こそ違えど、国民国家の国境管理というのは、こういうことだと思い知らせるような事態ですね。

2020年2月7日金曜日

出遭いと出逢いの凡々たるミステリー


 つい先日訃報を聞いて手に取ったのがこの本、藤田宜永『大雪物語』(講談社、2016年)。大雪に包まれたK町を舞台にした6話の連作短編にまとめている。そのうち三つは、見知らぬ人と人とが思いがけぬ出遭いを、この大雪の中でする。あとの3話は縁のあった人と人とが思いがけず出逢い、縁に思いを馳せ、離れていた間の人の移ろいを浮かび上がらせ、落ち着いた心もちを醸している。その出遭いも出逢いのミステリアスも凡々たるもの。これは「落ち着いた心もちを醸す」物語の予定調和的な結末が結ぶ印象かもしれない。日常に足をつけて落ち着いてしまった作家の、辿る宿命なのかもしれない。

2020年2月6日木曜日

春立ちぬ三浦アルプス山歩き


 晴れて暖かい昨日(2/5)、逗子駅東口前は、明るい陽ざしに包まれて通勤客でにぎわっている。着ていた羽毛服をザックに収めてバスを待つ。山歩講・日和見山歩の参加者が顔をそろえる。今日のCL・Stさんが地図を配り、今日の行程を説明する。
 ここから三浦半島をさらに南下するバスは混んでいない。わずか7分ほどで下車して、木の下登山口へ向かう。海から立ち上がって風雨に削られて残された半島だから、いきなりの急斜面。舗装されている。
「車が上るんだ」
「雨で濡れていたら大変だわね」
 とおしゃべりしながら上る。9時23分。

2020年2月4日火曜日

文化的・平和的に「防衛」を考えよう(4)人口減少時代の社会イメージ


 さてグローバル化が相当進展してしまった現在、日本の人口減少が経済衰退の動かぬ証拠と息巻いている経済学者もいます。その通りかもしれません。だがその論議には「現状を維持するには」という前提が、いつもついて廻っています。
 ですが、明治維新の頃の人口は3000万人。1945年敗戦時の人口は7700万人。2050年の人口予測が9700万人、2100年のそれが4700万人となったとしても、「かつて経験したことのない人口」というわけではありません。人口減少をなんだか、「日本沈没」のように取り沙汰されると、ちょっと違うんじゃないかと、思ってしまいます。

2020年2月3日月曜日

文化的・平和的に「防衛」を考えよう(3)ガイジンと同胞(はらから)になる


 引き続き1/25のSeminarの「報告」をつづけます。
 新橋でお店を経営するHさんの中国人に対する「脅威感」は剥き出しでした。悪くいうと、喧しい、他人の迷惑を顧みない、マナーを心得ない、自分勝手……。何処でも中国語が通用するかのように考えてか、日本語をしゃべろうとしない。少しクールにいうと、すごい活力と行動力、ヴァイタリティに溢れている。これは脅威ですよ。こちらが年を取っているから、余計にそれを感じる。
 彼の指す中国人は、観光客ばかりではありません。同じビルに出店して商売をする人たちもいます。いや、彼が中国人といっているのは、中国の大陸人だけでなく、香港や台湾、ひょっとするとシンガポールやマレーシアの華僑も含めた中華系の人たち全般のことでした。私は「華僑って、人生いたるところに青山ありって生き方しているからなあ」と思いました。

2020年2月2日日曜日

文化的・平和的に「防衛」を考えよう(2)国民皆兵


 1/25のSeminarについて、引き続き考えていきたい。
《軍備は保有し、自国は自国民で護る。他国には頼らない》と枕を振って、講師・Hさんの「日本の防衛というモンダイ」は、「国民皆兵」にも触れる。《防衛は国民の義務であり、国民皆兵》として、スイス(中立)、イスラエル、トルコ、韓国、北朝鮮、エリトリアの5か国が「国民皆兵」を行っていると指摘する。だが彼の指摘はそこまで。「国民皆兵にしろ」とも「するな」ともいわない。
 何がいいたかったのであろうか。2点、思いつく。
(1)自国の防衛をアメリカに依存していることを(皆さんは)どう考えるのか? という問いかけ。
(2)自国防衛というとき、「国民皆兵」ということを視野に収めているのか? という疑問。

2020年2月1日土曜日

わが裡なる宇宙の基部


 昨日(1/31)、大腸検査を終えた。身近な体験者が「たいへんだった」という身体的な負担はなく、ただ、病院に行ってから終わるまでの時間が長かったことが、たいへんだった。行くとすぐに「下剤」をかける。便の様子を見て、前日と当日午前の「措置」がうまく運んでいるかどうかを看護師がチェックする。そのあと、点滴をする。部屋の片隅をカーテンで仕切ってあるだけのベッドに横になり、たぶん1時間ほどかける。
 そのとき看護師に「何時ころ終わります?」と訊ねる。じつは、4時半から歯医者の予約をしている。間に合わないなら、予約をキャンセルしなければならない。「まだ2件、胃の内視鏡がありますから、3時ころになりますね」と看護師の回答。なんだ、それなら余裕だと思う。