2020年2月2日日曜日
文化的・平和的に「防衛」を考えよう(2)国民皆兵
1/25のSeminarについて、引き続き考えていきたい。
《軍備は保有し、自国は自国民で護る。他国には頼らない》と枕を振って、講師・Hさんの「日本の防衛というモンダイ」は、「国民皆兵」にも触れる。《防衛は国民の義務であり、国民皆兵》として、スイス(中立)、イスラエル、トルコ、韓国、北朝鮮、エリトリアの5か国が「国民皆兵」を行っていると指摘する。だが彼の指摘はそこまで。「国民皆兵にしろ」とも「するな」ともいわない。
何がいいたかったのであろうか。2点、思いつく。
(1)自国の防衛をアメリカに依存していることを(皆さんは)どう考えるのか? という問いかけ。
(2)自国防衛というとき、「国民皆兵」ということを視野に収めているのか? という疑問。
(1)はこの「報告」の(1)で少し触れた。ちょっと付け足しておけば、昨日(1/31)目にした「マル激トーク・オン・ディマンド」のコメントが、前回の私の指摘と符節を合わせている。
《中東の専門家で国際政治学者の高橋和夫・放送大学名誉教授は、アメリカの中東政策を理解するためには、トランプ政権のエネルギー政策とイスラム諸国からの入国禁止、エルサレムへの首都移転の3つの政策に注目する必要があると指摘する。/一言で言えばシェール層から石油の抽出が可能になり、世界最大の産油国になったアメリカは、もはや中東の石油に依存する必要がない。そのアメリカにとってイランを含む中東は、もはや自身が今年の大統領選挙で再選されるための道具に過ぎない存在になっている。少なくともトランプにとってはそうだ。だから、イランと本気で戦争をする気などさらさらないが、イスラムを敵視する政策を続ける中でその代表格にイランを位置づけ、イランを敵視するイスラエルと歩調を合わせながら、イランに圧力をかけ続けることこそが、トランプの再選戦略とぴたりと合致しているというのだ。》
そんなアメリカの「世界政策」という名の「選挙戦術」に付き合っていられますかというのが、私の指摘であった。
それよりは、「自国は自国民で護る」誇り高さを保とうと考えて、年間予算の3割程度を防衛費に支出し、社会保障やさまざまなインフラ整備を我慢して行く道を選びましょうというのが、講師・Hさんの「願望」だったようにもみえるのだ。だから彼は、「国民皆兵」を言葉にした、と思った。
自衛隊も「自国民で護る」範疇に入るんじゃないかと、一般には考えていいだろう。だが現実過程は、ほんとうにそうなっているだろうか。
中東海域への「自衛隊の調査派遣」にしても、どこか「(やりたい奴らが)勝手にやってるよ」と思っているのではないか。少なくとも私は、いま、そう感じている。
むろん一つは、戦後過程が、非武装・(防衛)アメリカお任せ主義であったからだ。
もうひとつはその結果、「平和ボケ」とか「現実をみてない」と批判を受けるが、政府そのものが誠実に国民と向き合っているとは思えない。彼ら(政治家や官僚や政治を動かす中軸的当事者たち)は、自分らが「日本という故郷に住む人々の暮らしの姿」をしっかり視界に収めて、ことを決断し運んでいるようにみえないからだ。
それを私は、国家と社会が「訣れた」といつか表現したことがある。もちろん第二次大戦へ突入した日本の指導者たちが、それを「総括することなく」アメリカ統治のせいにしてすり抜け、ほとぼりの冷めたころに(体質は)戦前のまゝに蒸し返しているからだ。せめて先の大戦を真摯に反省して教訓化し「現実」を読み取っているのであれば、ホンネとタテマエを使い分けて本筋から目を反らすようなやりとりを恥ずかしいと感じるに違いない。
つまり(国民の大半のゲンジツは)、自衛隊をほとんど「傭兵同然」と考えている。だから、「死者が出たら大変」と政府関係者は懸念しているが、万全の安全措置を取るだけの準備をしていないからだ。いつだったか『兵士に聞け』というルポルタージュを読んだことがあるが、彼らも政治を動かす責任当事者たちの犠牲者だと思った。2015/9/27のこのブログに、《第16回Seminar ご報告(2)戦時の名案 ★ 国民皆兵は高齢者から》と見出しを付けて、次のように書いたことがある。
(前略)
Sn:「自衛隊員だって、なり手がなくなるし、辞める人が出てくるわよ」
Fjt:「そうだよね。今の日本人は、自衛隊を傭兵のように思っているから、命をかける気にならないよね」
Hm:「傭兵って言い方はないんじゃないか。志願して、命懸けで任務を果たすって教育もしてるんだし、実際そうしていると思うよ」
Fjt:「『兵士に聞け』って自衛隊員に取材して、彼らの使命感などを書いた本を読んだことがあるけど、たしかにHmくんが言う通りだよ。でもね、国民の方は、彼らに命を捨ててやってくれって頼む覚悟がないよ。おカネを払ってやってるんだから、彼らはそうするのが役目デショってもんだよ」
**:「国民がそう考えてたら、自衛隊員もやる気がなくなるよね」
Fjt:「私はむしろ、徴兵制でも布いた方が、皆さん、我がことと考えるようになるから、いいと思っているくらいだよ」
(後略)
上記につづけて「高齢者が率先して兵役を担ったら、いいんじゃないか」と、「尖閣防衛」と「高齢者社会(国難)」の対策としてジョークを飛ばしている。私は、Hさんの指摘するような「自国の防衛」を達成するためには「国民皆兵」を採用し、なにより「わがコト」として「防衛モンダイ」を考えてもらう契機にする方が良いと思う。そうすると、「国(民)柄/ネーションシップ」とでも言うような「平和ボケ」が噴出するかもしれないが、それはそれで、喧嘩腰になって隣国に対するよりは、案外、外交上手になって国際関係には、いいんじゃないかとも思ったりする。
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