2020年2月15日土曜日

Mwさんの野鳥園


 4日間、最果ての島へ鳥を観に行ってきた。与那国島、日本の最西端。同緯度にある対岸の台湾まで111kmという海のなか。その反対側、東に西表島や竹富島、石垣島などの八重山群島が点在する。
 たいして疲れているとは思えなかったのに、今日の午前中にブログの書き込みをするのが、なとなくカッタルクなり、茫茫と時間を過ごしてしまった。この程度の旅が身に堪えているのかもしれない。

 
 旅は、面白いものであった。与那国島を訪れたのは二度目だが、鳥観のやり方によってこれほどに違うのかと思うほど、新鮮な驚きの連続であった。まるでガイド・Mw さんの野鳥園かと思うほど、何処に行けばナニがいるとわかっているかのような、運び方。掌を指すという常套句があるが、まさにそれを地で行くようなMw さんの案内は、目を瞠るようであった。
 しかし彼は、この地の人ではない。石垣島に住んでいる方。与那国島のガイドも引き受けてやっているそうだ。それも、聞くとただのガイドではない。与那国のガイドを初めて引き受けるときには、あらかじめ台湾の鳥を観に足を運び、ほぼ全部観るべきものは観てきて、与那国に現れる鳥の同定に迷うことがないように準備したという。つまり、鳥がどのように動くかということを想定して、それを先回りしてこそガイドが務まると考えているようだ。いや、その通りだと、案内される側の私も思う。彼はそれを、「生態的」と表現していた。
 
 到着して荷を置くとすぐに探鳥に出発する。レンタカーで島のそちらこちらを観て回る。
 長径10km、短径4kmほどの、つぶれた楕円形をしている島を周回する道路は20kmあるという。集落はおおよそ三カ所に固まり、島の1/3を占める南東側は、深い原生林と牧場になっている。標高にして200mほどの山が背骨をなして連なる。道が縦横にできている。それを熟知しているように自在に走る。何処に樹林が密生しており、何処に草原が広がっており、何処に田や畑があるか。何処に馬が、あるいは牛が放牧されているか。それらを知り尽くしてこそ、そのどこにどのような鳥が餌をもとめ、身を隠し、集まっているかを知り尽くし、なおかつ、風や雨やの天候と明るさと草草の生育状況とを推し量って、鳥が次にどこにどのように現れるかを推察し、私たちを案内する。
 まことに見事な手際のガイドぶりであった。
 
 翌朝は、夜明けの40分前に宿を出る。こんな暗いときにどうしてと、私は思う。ところが、山にかかる林道に入ると、時速4km以下でのろのろと車をすすめる。ライトのなかに、鳥が飛び交う。シロハラだとかヤマシギだとか車内の声がささやく。窓を開ける。ガイドの彼には声が聞こえるらしい。私には、何も聞こえない。やがて明るくなり、鳥の姿も見えるようになる。それまでの30分間の暗闇ガイドは、なかなかスリリングであった。鳥がどのように生きているかを目の当たりにする醍醐味を味わった。
 
 いったん朝食を取りに宿に戻り、その後にまた出発。午后1時までの4時間近くを観て回り、空港のレストランで昼食。レストランの壁には、与那国島から台湾の山並みが見えるおおきな写真が掛けてある。女将は「台湾が見えるのはね、台風がくる前よ。直前の3日間だけ、雲も霧も晴れて向こう岸が見えるのよ」と熱を入れて話す。こればかりはわが家の自慢と謂わんばかりだ。ガイドのMw さんは、この写真を撮るためにここに来たいと、レストランの女将と「見えたら飛んでくるから電話で知らせて」と頼んでいる。そのはずみで、ガイドのMw さんと女将とが遠縁であることがわかる。面白い。
 
 午後も、夜の6時20分まで探鳥の限りを尽くし、一度観たものも、もう一度しっかり観ようと同じところに繰り出して、目を凝らす。あるいは、広い草地の一角に姿をあらわした鳥を観るために、その近くに車を寄せ、構えたカメラの角度が定まるようにと向きを変え、撮影を促す。いや、これほどに至れり尽くせりの鳥観に出会ったのは、はじめてのことであった。
 
 翌朝はさらに20分早く出て鳥を観ようと、案内される方もますます意欲的。朝5時半に起きて出かける用意をする。しかもそれが都合4日間。私のようなずぶの素人にはもったいないほどの鳥観の旅であった。本当に鳥狂いとしか言いようがないほど、取り付かれている。その人たちの夢中になっている姿が、また、なんとも麗しく思える。私などの過ごしてきた人生が、どこかで道を踏み外しているような気がする。
 



  まず、与那国島の道を、こまごまと知っている。何処を行けば行き止まりだが、Uターンをする余地があると知っている。

 ほぼ4年前の3月に初めて訪ねたときの与那国島は、羽田と同じような低い気温に雨、北風が強く、寒い島という印象であった。今回の三日間は、三日目に雨らしい雨になったが、曇り空。最高気温26℃、最低気温23℃と、ほどよい夏の暖かさ。半袖姿もずいぶん見かけた。風も涼しく心地よい。3月は雨期というのが普通だそうだから、今年の気象が異常というわけか。石垣島に住むMwさんは、最低気温16℃で「寒かった」と愚痴をこぼしていた。
 那覇から乗り継いで到着した石垣島は、すでに田植えの終わった田圃もあれば、これから水をいれようと田起こしをしているところもある。二期作だからどの農家もが同じように田植えをするわけではなさそうであった。いつもなら雨期になる与那国島は水が少ないようであった。渡りのシーズンになると与那国島に立ち寄る鳥も増える。「台湾の鳥がくるから」とMw さんは、

 




 石垣島の空港が2013年に新しくなり、那覇で乗り換えることなく羽田から直行できるようになった。約1900km、わずか2時間半。そこで乗り換えて、さらに西120kmほどにある与那国島へ向かう。40人も乗れば満席になるプロペラ機がぶるぶると機体を震わせて飛び立つ。「天候によっては引き返してきます」と表示してある。島の北側にある滑走路に西側から回り込んで向かう。荒れる波が島の断崖にぶつかって高いしぶきを上げる。北西風が強いのだ。車輪がそろりと出てきて、ドンと軽い響きを伝えて滑走路に降り立つ。「離島便の機長って、うまい人が多いんだ」と誰かが話している。

 羽田を飛び立つときと気温が変わらない。雨具を着てちょうど良い。湿度の高さがじとっと感じられる。原野にぽつんと開かれたような空港の南側には標高にして200mほどの山が、滑走路に並行して尾根を連ねる。 長径が10km、短径が4kmほどの、つぶれた楕円形をしている島を周回する道路は20kmあるという。集落はおおよそ三カ所に固まり、島の1/3を占める南東側は、深い原生林と牧場になっている。

 探鳥というのは、森林原野や谷合いや田んぼのあるところを経めぐることが多い。港や海辺なども、砂浜の見える干潟が好適地だ。街中の公園や神社仏閣の森にも群れる鳥はいるから覗いてみるが、どちらかというと、「ふるさと」の感触を残しているところを観て回る。私などは名前を知らない初見の鳥が多いから、「ふるさと発見」というところだ。遠くに出かけてみるというのも、遠くにありて思うそれと似ている。優れた探鳥家たちの後にくっついてみているのだが、彼らの眼はただものではない。樹木のあいだ、枯れた草原の隙間から覗くちょっとした影をとらえて「いたっ!」と目を凝らす。たちまち周りの皆さんの双眼鏡やスコープがそちらに向き、「あっ、いた。ギンムク」と一人が言う。「カラムクもいるっ」と別の一人が言う。「足が赤いのが見えた。ギンムクだね」とさらに別の一人。「コムクもいるんじゃないか」とさらに目を凝らすという具合。もちろん場数が違うから、彼らの眼がいいのにはそれなりに熟練が加わっているのだろうけれども、何百メートルも先の田んぼの畔に隠れるようにしているシギチドリの類、一つひとつに目を凝らして吟味する。コチドリ、シロチドリ、タカブシギ、イソシギ、ツルシギ、アカアシシギ……、と見分けていく。その丹念さ、吟味の厳しさ、わからないときはわからないと棚上げにする潔さ。見かけるごとに、さすが、なるほどと、感嘆する。彼らはみているのに、いくら探しても私には見つからないことも、しばしばあった。

 与那国島は滞在した3日間とも雨、曇。陽ざしはなく、風が強く吹いていた。レンタカーを借りて回って気づいたのだが、苗床は十分に育っていて、水田は水がいっぱいに満たされて、もう田植えに取りかかっているところもある。二期作のようだ。思えば台湾と100㎞ほどしか離れておらず、同じ緯度。泊まったホテルのフロントには、9月の晴れた日に撮ったとされる台湾の遠景が画面いっぱいに海を隔てて横たわっている。自衛隊が大掛かりな工事を進めている。ダンプカーがひっきりなしに往来している。尖閣諸島のことなどもあって、自衛隊の基地を整備しているのだ。それによって何百人かの自衛隊員と90名余の家族と17人の小学生が移住してくるので複式学級が解消されると、活気づくニュースもあった。自衛隊の移駐に伴い、「生活物資の低価格化」をすすめるための補助金という記事もあったから、島の人に暮らしは自給自足のほかは島外からの物資によって支えられているのであろう。食べ物が豊かという印象は、あまりなかった。「自衛隊反対」の横断幕も掲げられている。「八重山毎日新聞」には与那国につくる自衛隊の基地によって自然環境が壊されるという論調も掲載されていた。にわかに緊張感に包まれているのかもしれないが、考えてみると中国との地勢的関係では、台湾の影に隠れるように与那国は位置している。尖閣というより、台湾問題の「国際支援」バックアップという趣が大きいのではないかと思った。

 私の初見は、シロガシラ、ホオジロハクセキレイ、ムネアカタヒバリ、シマアカモズ、ギンムクドリ、コホオアカ、オサハシブトガラス。二度目というのが、オガワコマドリ、シマアジ。スコープに入れたのをしっかりと見させてもらった。

 「どなん」という泡盛が地元の特産だという。ほかに「与那国」というのもある。「どなん」ってどういう意味? と、空港の売店のオバサンに尋ねたら、「この島の地元の呼び名。与那国というのは地図に載ってる名前よ」という。アルコール度数が60度もある。国内ではここだけで作っている度数、だそうだ。43度も30度もあるが、「水で薄めただけだから」と度数の高い方をすすめられた。お湯で割ると甘い味が口中に広がる。野菜が少ない。お魚も、刺身のような生ものが出なかった。私たちの泊まったホテルだけのことなのか、与那国島全般がそうなのかはわからない。
 
 与那国島はMw さんの野鳥園のような楽園に思えた。4年前とは180度違う印象を抱いて帰ってきた。

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