2020年2月17日月曜日

ユメとウツツを分かつ「匂い」


 第72回カンヌ国際映画祭では韓国映画初となるパルム・ドールの受賞をしたと評判を聞いて、映画『パラサイト 半地下の家族』(韓国、2019年)を観てきた。ミーハーだ。面白かった。
 上流階級を嗤うわけでもなく、下層階級を蔑むわけでもなく、その違いを軽々と越境して上流の味わいに身を浸すユメをみる。ユメとウツツの分節点を分かつのは「匂い」だ。上流には上流の匂いがあり、下層には下層の匂いがある。軽々と越境しているように見えるのはフィクションの世界、と。
 そうだからか、この映画は、「ブラック・コメディ」と分類されている。「パラサイト」というタイトルは(上流階級に寄生するという)自虐なのか。

 
  思い出すのは去年同じくカンヌ映画祭の最高賞を受賞した『万引き家族』(日本、2018年)。しかしこれは、「ブラック・コメディ」ではない。(日本という共同性を物語り化した「くに」の)「内部告発」だとまで言われたほどの、リアリティを湛えていた。上記の韓国映画との違いは、国家権力が(画面に)顔を出すか出さないかによる。「万引き家族」は、ほぼ全面に法的言語で覆われてしまった社会の悲憤を浮き彫りにしていた。
 「パラサイト」では北朝鮮という外圧が歴然と見えているがゆえに、(韓国内では)国家権力が眼前に浮かび上がらないことを暗示しているのか。痛めつけられている、より下層の人が金正恩の核に模して、自分たちを脅す下層の人たちとの立場を逆転させるネタを「これ一つですべてがおしまいになる」と宣告する。上流階級は、その場面では審級者という、第三者の立場を保っている。そのフィクションを一挙に覆すのが「匂い」だ。覆して上流階級をも巻き込む騒動へと展開して行ってユメに戻る。
 
 「万引き家族」は映画を見終わっても、地続きのウツツが彷彿と浮かび上がる。では「パラサイト」を観終わった(韓国の)人たちはアハハハと笑って、席を立つのだろうか。上流階級をいてこましている下層階級のフィクションの巧みさに酔うだろうか。それとも「匂い」の強烈さに、ウツツを取り戻すのだろうか。
 「ブラック・コメディ」のブラックというところが、どれほど韓国社会に食い込む力を持つのかどうか、興味が湧く。反日の運動などを見ていると、内部的な「匂い」に敏感とは思えない。いつも「外」と「内」がひと固まりになってとらえられているような感じがするからだ。これぞ、スティグマ、だね。

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