2020年2月3日月曜日
文化的・平和的に「防衛」を考えよう(3)ガイジンと同胞(はらから)になる
引き続き1/25のSeminarの「報告」をつづけます。
新橋でお店を経営するHさんの中国人に対する「脅威感」は剥き出しでした。悪くいうと、喧しい、他人の迷惑を顧みない、マナーを心得ない、自分勝手……。何処でも中国語が通用するかのように考えてか、日本語をしゃべろうとしない。少しクールにいうと、すごい活力と行動力、ヴァイタリティに溢れている。これは脅威ですよ。こちらが年を取っているから、余計にそれを感じる。
彼の指す中国人は、観光客ばかりではありません。同じビルに出店して商売をする人たちもいます。いや、彼が中国人といっているのは、中国の大陸人だけでなく、香港や台湾、ひょっとするとシンガポールやマレーシアの華僑も含めた中華系の人たち全般のことでした。私は「華僑って、人生いたるところに青山ありって生き方しているからなあ」と思いました。
「それなら、彼に聞けばいいよ」とほかの方に指名されて口を開いたのはfmnさん。インドネシアでの事業にも携わった経験があるからだそうです。
「華僑と中国大陸人とは分けて考えた方がいいですね。華僑というのは、中国を追われるように出てきた人たちです。彼らはどこででも暮らしていかなければならないから、すぐに現地の言葉を憶えて、3カ月くらいで日常の暮らしに不自由しないようになります。」
fmnさんは、Hさんの感じる脅威がじつは「文化の違い」にあると指摘します。言葉だけでなく、商売も社交術も、環境と事態への適応の仕方も、単に順応するだけでなく、我を通しながら泳ぎわたって潜り抜けることに長けているに違いありません。まあ、あまり無理をせず、我を張らず、ほどほどにつきあって中庸が良いなどと感じている(であろう)Hさんはじめ私たち日本人の「社会的センス」とは、その事態との向き合い方とエネルギーにおいて驚くような違いがあります。それを「脅威」と感じるHさんの感覚は、よくわかります。
だが、Hさんの周りに登場する中国人は、観光客を別としても、日本社会の必要に応じてそこにいるわけです。その文化的な「脅威」という不快感に向き合うには、やってきている中国人が日本社会に適応しようとして振る舞うのに対して、逆に今度は、私たち日本人が「適応」しなくてはならないのではないでしょうか。Hさんは「そんなめんどくさいことはイヤだ」というかもしれません。だが、それが日本社会が選んで歩んでいるグローバリズムの世界なのです。
「選んでなんかないよ」というでしょうか。そう、いつの間にかそういう道に踏み込んでいて、気がつけばにっちもさっちもいかなくなっているってことは、これまでの人生で何度か、身に覚えがありますね。でも、戦後日本の経済一本槍路線はGHQのせいだと、いまさら言えたものではありませんね。
もちろんHさんの「願望」である「鎖国」をするテもないわけではないでしょう。
ちょうど今、話題の新型コロナウィルス騒動で、「湖北省からの入国禁止」という措置を取っています。それができるのですから「鎖国」ができないとは言いません。しかし日本の国家権力にしても、「湖北省からの渡航に対して」とは言えましたが(アメリカのように)「中国からの入国禁止」とは言えません。つまり、日常的には相互のそれなりの関係があり、今回は「特別な事情」が「入国禁止措置」の合理的根拠になっています。この合理的根拠は、じつは(防疫という)国際的な「規範感覚」に支持されていますが、ではアメリカの措置との違いは何かというと、米中関係と日中関係とでは(その関係に作用している)「合理的根拠」の強度に違いがあるのです。
国際的な「規範感覚」も、相手によって様子を変えるほど、頼りなくも儚いものです。ことに世界のトップランナーであったアメリカにトランプさんが登場して以来、世界中の国々が「トランプ流」(#ミー・ファースト)を剥き出しにして振る舞うようになってきました。わずかに(皆さんで共有できる)ヒューマニスティックな「理念」を讃えていたEUも、よろよろとよろけて頼りにできません。
余談ですが、私たち戦中生まれ戦後育ちの身に刻まれた「理念」の中核は、EUを貫いてきたヒューマニスティックな理念と似たようなものでした。「理念」というのは、それぞれ独立した多くの人々が、ともに手を携えて生きていく土台のようなものです。それが(GHQに持ち込まれたものとは言え)私たち世代にはあったのです。
つまり戦後の私たちは「日本人」というよりは「人間」として生きてきたともいえます。それはしかし、1970年ころにはすでに破たんし、それ以降は「日本人というフィクション」を紡いでやってきたと(社会学者の大澤真幸流にいうと)いえます。
ともかくも、自由と平等をベースにした国際平和、それをベースにして紡ぐ経済的な関係を資本家社会的につくりあげるというのがEUの共通理念でしたから、それがうまく軌道に乗るかどうかは、じつは、私たち戦後を生き抜いてきた世代にとっては、「わがコト」ともいえる関心事でした。それがうまくいっていません。
米ソ(米ロ)関係やイスラエル、中東の混沌と難民、アフリカの旧植民地の騒乱と流入する難民との関係もファクターとしてEUに作用しつづけていますが、それはさておいても、EUの運びがいまにも躓きそうに見えます。
やはりキリスト教的な共通項を踏み越えてイスラムのトルコを組み込むことができませんでした。イギリスと一体化することもできなくなってしまいました。相互寄りかかりの経済関係では、先頭を走るドイツが最後尾に着けるギリシャに我慢ならないという憤懣(とその逆の憤懣と)が吹きだまり、その根底には人生をどう生きるかという文化的な違いが浮き彫りになっていて、宗教戦争や第一次、第二次大戦という全面殺戮と破壊の争いをくり返してきたヒトの歩みが、そう簡単に克服できないことを証明しているようです。ヒューマニズムは、ほぼ死に絶えました。それに代わって登場した、人類に一体感をもたらす「理念」は目下、エコロジーというわけですが、これも(経済的なギャップをさて置いて)「危機感」を共有するということができないでいます。
つまり私たち日本の、戦中生まれ戦後育ち世代の「理念」は瀕死の状態にあります。そして大澤真幸の指摘のように、私たちの胸中に残ったのが「日本人というフィクション」。それに元気づいたのが、戦前的な(ということは明治維新以降的な)日本人像の「復活」と錯覚した人たちでした。
しかし、余談ついでに実感を言えば、私たちが学校で学んだ頃の明治維新て、今の子たちが「敗戦」をみるのと、だいたい同じくらい時間的な隔たりのあることです。う~~~んと昔昔、「時代劇」のように感じていても、仕方がないかもしれません。まして、敗戦によって生じた暮らしの窮乏化時代と、ほとんど江戸期の暮らし方と同じ暮らし方と風景を体験してきた私たちと、生まれたときから電化製品に囲まれて、涼しく暖かく清潔な環境で暮らしてきた人たちが、(暮らしって快適で心地よいことと)勘違いしていても、それを責めることはできません。
さて、本題に戻しましょう。
「鎖国」ができないとなると、私たち(現住日本人)の方が、これから増大するであろう「状況」に適応するしかありません。外国人だけでなく、外国資本もどんどん流入するようになるでしょう。それも流入しなくなれば、それはそれで日本がすっかり衰退して魅力がなくなってしまう事態なわけですから、ここでは(在住外国人が増える)「状況」は一層、加速するとみて考えていきましょう。
そのとき、Seminarでも話題になりましたが、現在のように、流入する外国人に対して「単なる労働力扱い」をしていては、とうてい「ともに暮らす人々」にはなれません。「労働力」としての滞在は(一定期間)認めるが、家族を呼び寄せることは認めないというのは、ともに暮らす人としては認めないということです。つまり、法制度によって、きっちりと日本人と外国人を区別し、その関係を固定するというのは、互いのあいだに、手を携えて暮らしていくという関係が築けないことを意味しています。政治的権利、法的権利関係ばかりでなく、社会的権利義務関係、民間の貸借関係、それ以上に贈与互酬の隣人関係まで、「優劣/主従/強弱」の力関係を意味付けされていくのです。
それでなくても日本の法制度は、「外国人」を歴然と「ガイジン」扱いして、憲法などの保障から外しています。「日本国民は……」と規定する「日本国憲法」は日本国籍を持っている人たちだけを対象にしています。でも、日本に暮らす外国籍の人たちは、2%程度とは言え、税金も納めているし住民登録もしています。住民登録していない人たちにも源泉徴収の所得税や消費税はかかっていますから、市民として暮らしていることには相違ありません。にもかかわらず、政治的な発言権は持てない。むろん社会的な排斥は静かに行われている。そのような壁が歴然とあったうえで、彼らを交えた状況に適応するというのは、文化的な違いに感ずる「脅威」以上に、「同胞」になることも難しいと、私は思います。
ではどうすればいいか。この先人口が減少するとみられている日本です。2050年頃には人口が9700万人ほどになるとも言われています。いや、それでも「敗戦」の1945年より2000万人ほど多いのですから、人口減少に伴う経済的衰退以外は心配することなんかありません。今世紀末の人口4700万人程という推計は、さすがに驚きです。でもそれ以上に、その年の「高齢化率(75歳以上の占める割合)40%余」という方が、気になります。
今世紀末というのは、おおよそ今年生まれた子どもが80歳になるころです。いまはまだ高齢化率は3割に足りないくらいですから、この高齢化の占める割り合いが伸びに伸びている(ということは、少子化の傾向は止まらず、社会構成そのものが高齢化をすすめている)ことになります。
現在1億2000万人ほどの人口が6割減になるのです。その間に外国人が増えることを容認する以外に、減少する人口を埋め合わせる手立てはありません。となると、移民国家アメリカのようになることを想定して、やってくるガイジンとの関係をイメージして、国家戦略を考えていく必要があります。それに向けて、国土をどう使うかもがらりと考え方を変えていく必要があるかもしれません。
中国人が山林を買い占めている。
う~ん、だから何?
そこの水を独占して販売しようとしている。
それって、日本人がやったらいいわけ?
オーストラリア人がニセコや白馬の土地家屋を買ってホテル化しているというのは、いいわけ?
いけないの?
と、やり取りが行われるとき、じつは「居住移転の自由」という憲法で保障された権利がどういうことを意味しているかが、(国籍を介在させて)はじめてゲンジツに問われているのだと思います。逆にいうと、ガイジンが登場したことによって、初めて日本人であることが意識されたともいえます。
アメリカの場合、例えば、ある宗教的な信念を持ったアーミッシュという人たちが、電気もガスも、自動車も使わないコミュニティをつくって、ほとんど手づからの暮らをしています。彼らがアメリカの市民として暮らすことを承認するのは、文字通り「基本的人権」なのです。
たとえばある宗教団体の人たちがある特定の土地に集団的に住み着き、そこで彼らなりのルールをもった暮らしをはじめるというと、たぶん、今の日本の人たちは気味悪がって、(もし同意を求められたら)承認しないと言い出すに違いありません。オウム真理教の苦い経験をしていることもありますが、そうでなければ、そういう集団があっても、社会的に危害を加えることがなければ、それを規制する理由はありません。いつであったか、創価学会の人たちが選挙のたびごとに住民登録を移して票を集中するって戦術を取ったこともあったではありませんか。
Seminarだったかその後の会食のときだったか、
「そう言ったって、所詮、いまの日本人も世界のあちこちから流れついたものの末裔じゃないですか」
とどなたかの発言があった。
どこから来たかはわからないが、海の向こうにジパングという気候風土に恵まれた棲みやすい土地があると聞いてやってくる人たちが、身を寄せてほど良く暮らす時代がまた来るのなら、それにはどう受け容れればいいかと考えるのが、文化的・平和的「防衛」ってものじゃないか。そう思う。
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