2020年2月9日日曜日

断捨離は遅々として進まず


 古稀を過ぎて身辺整理をしようと思ったはいいが、まとめた本を売り払うのが躊躇され、結局部屋の隅に積んでおいて7年が過ぎた。自分の身のまわりの品々に沁みついている「かんけい」の匂いが、なかなか断ち切れない。本だけではない。
 仕事をしていたときにやりとりした手紙や書きつけ、あるいは、誰かのレポートやその片隅に書きつけてある私自身のメモ、生徒や学生や保護者向けや同僚の教師向けに印刷した「通信」や「週刊紙」なども、ちょっと目を通すと、その当時の情景が浮かび上がり、彼や彼女がそういうふうにものを考えていたのかと、今の目で読み取りながら、しかしたぶん、そうは読み取らなかったであろう当時の目の至らなさに思いが及んで、臍を噛む。そんなことをしていたら、断捨離は遅々として進まない。

 
 ちょうど正月、息子が新居を手に入れ、近々引っ越しをすると知らせてきた。そうか、ちょうどいい機会だ、私の本棚を一つ、譲ってやろう。そうなれば、いやでも書架ひとつ分を始末しなくてはならない。そう思った。どちらがいいか、持ち掛けた。後に、小さい方がいいと返答があった。1月のちゅうじゅんであったろうか。
 どうやって片付けようかと思案しているうちに、だんだん手を付けるのがめんどくさくなり、放ったままにしていた。3月に関西へ行く用があり、ならばそのついでに車で名古屋まで届けてるのがいいかなどと算段しているうちに、もう上旬が過ぎようとしている。
 
 とうとう今日、手を付けた。まず本をいくつかまとめる。始末するつもりで7年間も放り出しておいた本の束を、別室へ運ぶ。7年間のあいだに本棚はまたいっぱいになっている。それをまとめる段ボール箱をご近所のスーパーからもらってきて、詰める。CDや録音テープ、録画テープ、フロッピーディスクなどが、ずいぶんとある。カメラやプリンタやスキャナーやあれやこれやの機器類とその取扱説明書が、溜まっている。もう使っていないものばかりだが、棄てられないんだね、これが。
 印刷物を見ていると、それを書いた人の顔が目に浮かんで、どうしているだろう、ヤツは、と思ったりする。あるいはこちらの書いたものを批評している雑誌や新聞記事の切り抜きなども目に止まると、一通り全部読んで、当時この批評をいま読んでいるように読み取ったろうかと、当時の「わたし」に思いが飛ぶ。こうなると、もういけない。結局捨てるところは手を付けられず、とりあえず、段ボールに移して本棚を片付けられるようにする。
 
 解体してみて気づいたのだが、二列仕立ての本棚は、6つの部品に分けることができる。一番大きいのが、180cm×90cm×40cmほどになる。これを車に積みこんで運べるかどうか、心配になってきた。車の助手席を倒して計ってみると、長さは心配ないが、厚さの90cmというのが、ちょっとぎりぎり。そこへ180cm×40cm×40cmというのが3つもあるから、積みこめないかもしれない。参ったなあと、分けた本棚をみて思案投げ首だ。結局、配送業者にお願いするのが、一番いいかもしれない。今日一日が、それで暮れた。

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