2020年2月4日火曜日
文化的・平和的に「防衛」を考えよう(4)人口減少時代の社会イメージ
さてグローバル化が相当進展してしまった現在、日本の人口減少が経済衰退の動かぬ証拠と息巻いている経済学者もいます。その通りかもしれません。だがその論議には「現状を維持するには」という前提が、いつもついて廻っています。
ですが、明治維新の頃の人口は3000万人。1945年敗戦時の人口は7700万人。2050年の人口予測が9700万人、2100年のそれが4700万人となったとしても、「かつて経験したことのない人口」というわけではありません。人口減少をなんだか、「日本沈没」のように取り沙汰されると、ちょっと違うんじゃないかと、思ってしまいます。
このシリーズの(1)の末尾で、「私見をいえば」と断って、「ポルトガルのような国にしていってもいいんじゃないか」と夢想を記しました。
ポルトガルがいまどのような国であると承知して夢想したわけではありません。ただぼんやりとかつて世界進出において「先進国」であったこと、その過去の栄光を振りかざすわけでもなく、ヨーロッパの(文字通り)片隅で、それなりにゆとりのある暮らしををしている人たちと思い、地勢的な位置のひっそり感といい、日本のそれなりの「先進性」といい、似たようなイメージを重ねてみたにすぎません。
ポルトガルの面積は日本の4分の1、人口は11分の1(神奈川県の人口より1割程度多い)という小国。一人当たりのGDPは$23437USDですから、日本の$39303USDの約6割です。
むろん数字で簡単に比較して人口減少の将来イメージを描いても、それで産業構造や社会構成が見えてくるわけではありません。まして、その国の人々がどれほどの「充足感」を抱いて暮らしているかとなると、文化も含めて考えなければなりません。
数値的な比較だけでイメージしても、ゲンジツ的ではないですネ。
そんなことを考えていたら、先週末(2/1)の朝日新聞で「フィンランド 理想郷?」という企画記事が掲載されたのが目に止まりました。フィンランドは「幸福度」調査でしばしば「世界1位」となって話題にされる国です。
「?」がつけられているところが、この企画の面白いところと見受けました。こういう、疑問符をつけて世に蔓延るコトを検証しようというのは、批判的精神が起ちあがっているようで、興味を惹きます。
なにより目を引いたのは、右上に大きくスペースを取って掲載している「データ」です。フィンランドの面積は「日本とほぼ同じ」ですが、人口が「日本の23分の1」とあります。何と、551万人。なんだ、3000万人の江戸末期を考えて、「まだ大丈夫です」って言っている私が、恥ずかしくなります。
フィンランドの人口規模は、たとえば、現在の四国の人口(414万人)が18万人というのと、同じです。北海道の人口(528万人)が21万人でやっているようなものです。人口減少が、経済規模の現象であり、すなわち国力の衰退だとワイワイやりあっている経済学者たちを嗤うような小規模です。もちろん経済学者たちは「規模が小さいのは参考にならない」というに違いありません。でも、それだけの(国土の大きさをもっていて)小規模の人口で「世界1位の幸福度」を持っているって、すごいじゃないですか。なにか私たちの日本とは違う秘密を持っているのかもしれません。そう思ってフィンランドをみてみると、私たち(日本)自身の大きな考え違いが見えてくるかもしれません。
じつはこのとき、パッとひらめいたのが、SeminarにおけるHさんの「国民投票」に関する発言でした。
HさんはSeminarのとき、憲法改正にかかわる「国民投票」をどうして野党はやろうとしないのかと提起していました。ギリシャの「直接民主主義」に触れて、俺の意見も聞いてくれるってのはこれしかないのに、「国民投票法」そのものにどうして反対するんだよと、憤懣を野党に向けていたのです。Hさんは、今の政治に対する不満を「代議制」にぶつけたのだと思います。そのときは、しかし、憲法改正の国民投票というのが、「一括審議」のようになされて、結局一つひとつの項目に対する「国民の意思」を聞くことにならないという(今の政府与党に対する)「不信感」があるから、「国民投票法」そのものが遅滞しているのではないかと私は思ったし、Iskさんははっきりそう口にしていました。
だが、このときのHさんの「俺の意見も聞いてくれ」という思いは「独立的自治」の思いだったのではないか。そう、今、考えています。
1億2600万人という大人口の日本が、ほとんど中央集権的な政治体制とそれに依存する社会感覚のもとにおかれています。選挙が公正に行われている民主主義体制とは言え、代議制は政治そのものを「わがこと」という実感から遠ざけてしまっています。総選挙の投票だって、半分そこそこ。地方議会や首長選挙のときは3割にも満たないことがしばしばです。それは「無関心」といもいえますが、「わがこと」として感じることができないからです。
この企画記事そのものは触れていないのですが、私が直観的に感じたのは、「独立的自治の実感」でした。フィンランドがそうだというのではないのです。
日本の人口が500万人ほどだったら、政策課題の一つひとつについて、具体的イメージが湧きます。今、私が暮らす埼玉県は734万人。なるほど、これが一国であって、ここに住む人たちがどうやったら(皆さんが)安定して安心できる将来設計をし、混沌とした世界情勢の海をわたっていけるかと思案するのなら、私のような一介の市民にも何か云々(うんぬん)出来そうに思えます。国土の広さじゃないのです。まして、視野に収める面積が狭ければ、もっと具体的にあれもこれもと、考えることができます。
ちょっと国土面積と人口とをフィンランドに比定すると、たとえばHさんや私の育った岡山県(現在の人口は200万人弱)の広さに棲んでいる人口はわずか4万人になります。もちろんフィンランドの冬季は氷に閉ざされた針葉樹の森が大部分を占めているのかもしれませんから、温暖な岡山県とは比べものにならないでしょう。だが、わずか4万人が「我が国」の将来をどうするか考えるのだとしたら、「俺の意見も聞いてくれ」などと悲鳴を上げる機会があろうとは思えません。また政治家たちも、口先だけのやりとりで問題を隠蔽したり先送りしたりするとは、とうてい考えられません。わずか34歳の女性首相が国を取り仕切っているというのも、容易に納得できます。
それこそ、どこに誰がいて、どんな才能をもっているということまで、熟知することもできるでしょう。いや、逆か。そもそもそこに住む人の顔が見えていると、この人たちの今の暮らし、この子どもたちの将来が見えるから、政府の政策も具体的に思案できる。今の日本にそれができないのは、規模が大きくなりすぎているからではないかとも思うのです。
そもそも江戸の時代は人口3000万人といいますが、当時の人がイメージする規模は藩でした。おおよそ300の藩に分かれていたわけだから、平均するとひと藩が10万人ていど。となると、藩主も家老も武家たちも、狭い領地もさることながら、そこに棲む人々を視界に収めるとき、具体的でないわけがありません。ま、その時代に民主主義はなかったとはいえ、村落は村落として(連帯責任を負わされながらも)ひとつの「行政単位」でもあったわけです。「お上」からの手配書も、村落の名主・庄屋に届けられ、それを書写して次の村落に廻すという仕組みだったようです。それゆえに、名主・庄屋など主な民百姓も読み書きが出来なくてはなりませんでした。
因みに、その村に奇特な方がいて、村落の青年たちに読み書きを教えたと記した「顕彰碑」が私のいま棲んでいるさいたま市のご近所にもあります。それがあったから18世紀中ごろ(明治維新のとき)に、当時世界でも有数といわれる識字率50%があったのでしょう。自治と識字率とは、強い相関関係にあります。
単に人口規模が大きくなりすぎているだけではありません。徳川中央政府と明治以降に引き継いで強化された(拠らしむべし知らしむべからずという)中央集権的なエリート統治体制が、しっかり国民性をつくってしまっていて、それが民主主義体制の下では機能しなくなっているのではないでしょうか。明治以降の中央集権体制は、農村解体として村落の自治的な関係も解体し、廃藩置県として中央統治を強め、官僚を中心軸としたエリート統治の仕組みを強固につくったと言えます。それは、第二次大戦の敗戦によっても解体されることなく、現在に至り、いまご覧のように日本のエリートは腐ってきているのです。
となると、今私たちに提示されているフィンランドの教訓とは、私たちの暮らしにかかわることを自分たちが決定する自治の実現とみることができます。
自治を保障するに足る財源の徴収権も中央政府から移譲してもらわねばなりません。自治実現のひとつの根拠です。それらができてやっと「防衛」を文化的・平和的に考えることのできるベースが整ったといえるのではないでしょうか。
HさんがSeminarで「国を守る」と言っていた「くに」が「俺の意見も聞いてくれ」る「くに」であることは、間違いありません。それはまた、ひらがな書きのくに」にすると、「子や孫を守る」ことと同義にもなります。ことに近隣国からの、自由な「くに」を脅かす「脅威」を取り払うべく思案する具体的な根拠にもなります。国民皆兵だって、厭わない(コトの)重さが感じられます。
グローバル化時代の「防衛」は、単に国民国家の境界線を死守するという意味では考えられなくなっています。まず、護るに値する「わがくに」を、国際関係の中においてつくりあげることです。そして同時にそれが、「俺の意見も聞いてくれる」社会関係と組み合わさっている。そこに戦後の私たち世代が歩んできた「価値」があると思います。
「わがくに」がこれほどに魅惑的な仕組みのもとに運営され、人々の落ち着いたたたずまいをつくり、このような日々の営みがあるますよということこそが、近隣国に、あるいは世界の他の国々に向けて発信する文化的・平和的防衛力として、「ちから」になるのではないでしょうか。今だって、日本を訪れる中国人観光客に、それなりの文化的なメッセージは、伝わっているに違いありません。武力的防衛に費やす費用を、「くに」づくりに差し向けて、それを「防衛費」と呼んでもいいくらいです。
そんなことを考えさせてくれたSeminarでした。皆さんはどうお考えでしょうか。
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