2020年12月14日月曜日

原的否定性と祈り

 ちょうど一年前に考えていたことが、つい先日問題にした「原的否定性」(ダメなものはダメ)と深いかかわりがあることに気づいた。このブログ(2019/12/13)「沈黙という祈り」は、「言葉にならない(言葉にするとウソになる)思い」を「祈り」として儀式化している原始生活を(選んで)営むボルネオ島のプナンの習俗に触れている。

「言葉にならない思い」というのが、このように表現できるのは、「(言葉にするとウソになる)思い」と知って後の視点からみているからである。つまり原始生活そのものの中にあっては、ただただ自然のもたらすものへの畏敬の念から生じた「沈黙」が、日常的な「おしゃべり」の猥雑さと対比されて(言葉にすることの困難)に突き当たる。自然に対する感謝の「思い」や「畏怖」をことばにできないことが、「祈り」という儀式として定着した。それを事後的な観点から指摘したのが「沈黙という祈り」である。その「祈り」は、原始生活の場に居合わせた子どもにとっては、食事中は「おしゃべりしてはならない」という掟として現れる。「どうして?」と問うた子もいるであろう。そのとき親は、「ダメなものはダメだから」と教えたのではないか。そうすることによって、その「祈り」の背景に積み重ねられてきている集団の「思い」の由来があることを、子どもに感知させるしかない。いやじつは、親自身も、なぜそうするかを言葉にできない。先述の「事後的な観点から」というのは、原始生活とは違った次元の生活文化の入って後に築いた観点からみているということであった。

 つまり私たちがモノゴトを分析したり解釈するのは、次元を異にする地平に視点を置いたときに可能になる。もちろんコトの渦中にいるときに、そのコトがなんであるかをとらえないとわが身を「世界」に位置づけることができない。だから、渦中にいて視点を異次元におくという方法を、ひとは編み出してきた。宗教がそうであり、哲学がそうであり、科学もそうであり、イデオロギーでさえも、現状況から離脱する手立てとして観る視点を手に入れるために、生まれてきたのだといえる。

 社会集団の渦中に身を置くものとしては、まず「ダメなものはダメ」という物言いを受け容れることが欠かせない。それは、その社会集団が築いてきた「掟」や「習俗」、「沈黙」や「ことば」などの「振る舞い」への価値的評価に、積年の営みが積み重なっていることの承認なのだ。言葉を換えていうと、それは自分の身を置く社会集団への帰属のスタート地点である。それは、身を置く社会集団への畏敬の念であり、大人は言うに及ばず子どもは特にわからないことがいっぱいあることを承認することから集団への帰属は出立するからである。それを拒絶するということは、その社会集団から離脱して生きることを意味する。逆にいうと、人と文化の多様性を組み込む社会とは謂うが、それは社会集団への敬意がなくてもいいという意味ではないのだ。人が集団で暮らすという基本線を逸脱するものは、身を置くことが許されないと言い換えることもできる。人類の宿痾でもある。

                                            *

 そう考えてきていま思うのは四半世紀ほど昔、TVの画面で「なぜ人を殺してはいけないんですか」という一人の青少年から発せられた問いへの答えである。そのとき「ダメなものはダメ」と口にする人もいたが、それはほとんど説得力をもたなかった。なぜなら、「なぜ?」とその青少年は訊ねているのだから、「原的否定性」では説明にならないと(ほぼ誰もが)考えていたからであった。そのとき、そうだよダメなものはダメなんだよと呟いていたのは、家庭で(コトを弁えない幼い)子どもを育てている親であったり教室で悪戦苦闘している学校の教師たちであった。つまり具体的な社会集団においては通用する言葉が、TV画面という一般的な言説の場面では、全く通用しないということであった。

「なぜ人を殺してはいけないんですか」と問う青少年は、すくなくとも社会集団においておけないと宣告することしか、大人の側には残されていないのである。

 原的否定性を忘れた人々は、じつは「祈り」を忘れているのであり、言葉にならないことがあることや「沈黙」ももっている大きな意味を忘れているのである。ひいては、人類が歩んできた道のりで堆積してきた膨大な文化のほんの裾野をいま目にしているにすぎないという「実存」のちっぽけさを知らないことを意味している。

 そんなことを考えさせられている。

                        ***「沈黙という祈り」を再掲する***

 奥野克巳の長い表題の本『ありがとうもごめんさないもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(亜紀書房、2018年)で指摘されていたもう一つの事実に触れておきたい。

 プナンは獲物をとってきて食するわけだが、イボイノシシをとってきた場合、解体から食べ終わるまで、全員が沈黙を貫く所作があったそうだ。声を発することが獲物を貶める振る舞いとみられているようだと奥野は言う。獲物にありつけるということは喜びであるはずだ。にもかかわらず沈黙を貫くというのは、獲物への敬意であり、命あるものを奪って食するということへの畏れであり、私たちの文化に引き寄せて謂えば、森やイボイノシシという自然への感謝の儀礼化したものということができる。沈黙という祈りであろう。

 また近親者が亡くなると、その近親者の名を呼んではならず、残された近親者が自らの名前をも変えてしまうという。彼または彼女が使っていた家財道具ばかりか(ときには)家なども処分して、別の場所へ移り住むという葬送儀礼もあったそうだ。狩猟採集生活だからこそできることではあるが。名を呼ばないということと、獲物を食し終わるまで沈黙を守るというのとどう関係しているのかいないのかはわからないが、声をたてたり名を呼ぶということが猥雑なことであり、命を失くしたものを貶めるという感覚があるのかもしれないと、最初は思った。。

 戦中生まれ戦後育ちの私の世代は、明治生まれの親の文化受け継いできた。食事中はおしゃべりをするものではないと、子どもの頃はしつけられた覚えがある。どうしてそうなのかは考えもしなかったが、そうした習俗にも、何がしかの意味合いが含まれていたのであろうと、いま思う。

 それをもう一歩踏み込んで考えてみると、何がしかのことを言葉にすることが、的を射ていないというか、軽んじることに通じると感じていたからではないか。私たちの日常でも、哀切な思いをどういっていいかわからないことがある。悲しみも愛おしさも、口にするとウソっぽくなる。同様にプナンは、例えばイボイノシイを獲ってきたとき、言葉にする何がしかの思いを「*」とする。罠にかかったイボイノシシのことにふれると、それを獲った側からみた「*」と罠にかかったイボイノシシの側からみた「*」とは、自ずから異なってくる。どちらのことも讃えようというとき、イボイノシシの命の賛歌とそれを奪った栄誉への賛歌とは、矛盾する。まして、それを屠って食することを称賛することは、イボイノシシと同じ世界を生きているものとして、どういえばいいのか。それが「*」である。

 「語ることができないことについては、沈黙するしかない」という哲学者の言葉を思い出す。プナンの「沈黙」は、言葉にすることへのためらいであるだけでなく、言葉にならない「*」が胸中にあることを大切にしておきたいという思いがこもる。奥野の指摘は、逆に、現代社会の私たちは「沈黙」という祈りを忘れているのではないかと抉り出しているように思える。「祈り」というのが、いま私たち自身が生きていることへの感謝であってもいい。それがイボイノシシの命によって購われていることであっても構わない。あるいはもっと広く、イボイノシシとそれを獲った者たちとそれらすべての環境を与えてくれた天然自然への畏れというのであってもいい。自分たち自身が天然自然によって生きていることを「*」すること。それが「祈り」であろう。そうした言葉にならないが、間違いなく私たちの胸中に湧き起る「思い」は「沈黙するしかない」所作によって、共有されていたように思う。ことばにしてしまうと、零れ落ちて、「祈り」にならないのだ。

 かくいう私自身が、ここに書き落としているような形でおしゃべりをして、大切なことを零し落している。言葉が「ない」ことの大切さを忘れているのが、日常というものであり、猥雑と称されるものだとすると、ときどきは沈黙して、大切なことを想い起すこともしておきたいと思う。(2019/12/13)

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