昨日(12/23)、たぶん今年最後の山へ出かけた。羽賀場山774m。栃木県の鹿沼市にある里山。里山というのは地元の人には庭のように慕われているが、全国区ではというか、山歩きを好む人たちの間ではさほど関心を払われない低山という意味で、私は用いている。栃木百名山の一つ。
東北道を走り、鹿沼ICで降りて進む前方に雪をかぶった男体山がひときわ高く姿を現し、その右へ大真名子山、小真名子山、女峰山と、やはり雪で真っ白になった奥日光の連山が居並ぶ。ここ一週間の天気が、関東地方には乾季をもたらしてよく晴れて寒い日々となっているが、日本海側には強烈な寒気と大量の降雪をもたらしている。それを象徴するような(日本海側の)景色に、思わずため息が出る。冬がやって来た。
羽賀場山は地蔵岳や古峰ヶ原など前日光の山々の東側、関東平野との端境に展開している。鹿沼の市街地側からみると前日光や奥日光の山々の前衛になる。前衛の黒々とした山並みの向こう側から背を伸ばして顔を出すように白い奥日光の山々が聳えるのは、なかなかの壮観である。羽賀場山の山頂に上ればもっと見事に見えるのではなかろうか。今日の山への期待が膨らむ。
大盧山長明寺はnaviに入っていない。住所を入れるが、精確な番地までは入力できない。ま、近くへ寄ればよかろうと考えていたが、一つの字が広いから、naviの「案内」が終了してから探すのにちょっと苦労する。お寺の下に来て羽賀場山の名の由来は「はかば」ではなかったかと思った。山への傾斜に沿って上に位置する長明寺の下の方には、たくさんのお墓が並んでいた。まるで裏の杉山をご神体にして墓守りをする気色が何となく立派に感じられる。
車で境内への道を上って山門の裏手に入り込むと、ちょうど車を置くのに都合のよい広場がある。境内の隅を山の方へ入ったところで何やらユンボなどの大型重機が何台か入り込んで大掛かりな工事をしている。登山口を聴くと、その工事の進む前方を上ると指さす。礼を言い、車を止めるがと断ると、少し下へ降りた所の駐車場に置けという。一度引き返し、車を下へ動かすと建物の一階が車の置き場になっている。
登りはじめる。たいへんな急斜面。キャタピラ付きのユンボが上るから広く凸凹している。上は砂防工事をしているようだ。道が二つに分かれている。入り込んだ右への道は行きどまり。戻っていると、作業員が重機とともに上ってきて、そっちじゃないよ、と左の道を指す。その先に小さな「羽賀場山→」の表示があると教えてくれた。広い作業道からはずれ、山の稜線を上る踏み跡があった。
しかし踏み跡は、はっきりしていない。上る人が少ないのではなかろうか。谷の向こうに今日の目的の山、羽賀場山が見える。緑のこぶが三つ並ぶように盛り上がっている。なるほどこれが墓に見えるのかも、と思う。ただ植林作業の行われた後が段々になっていて傾斜も歩くのは容易。振り返ると麓の田畑と人家が、まるで隠里。高圧鉄塔が立ち並ぶ山が里を隠すように見える。そこからの高圧線を引き受ける第一鉄塔につく。20年前に発行された山と渓谷社の『栃木県の山』のコースタイムよりはちょっと早い。第二鉄塔を抜けるとすっかり杉林に入る。陽も差さない。約1時間で主稜線に乗り、羽賀場山への分岐710mに着く。やはりコースタイムより20分ほど早い。いいペースだし、疲れたという感じはない。
そこからの稜線上が急な上りになる。握るこぶを作ったロープを張っている。足元には落ち葉が降り積もり、グリップが利かない。ロープが役に立つ。登っては下り、降っては上るをくり返す。20分余で羽賀場山に着いた。実はこの山名が国土地理院地図には記されていない。ただ標高だけが774.6mとあるだけ。山頂の標識には「羽賀場山774.5m栃木の山紀行」と記してある。ふと気づいた。この標高が地元の呼ぶ「羽賀場山」を「名無し」にしたのではないか、と。そういうシャレがわからねえかなあと国土地理院の地図製作者がジョークをかました、と。杉林に囲まれてまったく展望はない。
先ほどの分岐に戻り、登ってきたのとは九十度違う東の方へ向かう。
そうそう、この羽賀場山の登山ルートは地理院地図には記載されていない。山渓のガイドブックの略図を見て国土地理院地図の書きこみを見ながら歩いている。だから大体の見当をつけ、あとは踏み跡を見つけて歩いているのだが、落ち葉が降り積もり、踏み跡も定かではない。分岐からの稜線は広く、ところどころで二つ三つの支稜線に分かれているから、どちらへ踏み込むかは思案しなければならない。そのときスマホに入れたgeographicaの地図に打ち込んだ通過ポイントとGPSの表示する現在地点が絶大な威力を発揮する。おおよその方向を確認しては、それらしき踏み跡を探って踏み出す。こうして稜線の形と通過する等高線のポイントと向かう方向をチェックしながら暗くて広い杉林を、落ち葉を踏みしめてすすむ。これはこれでルートファインディングの面白さを湛えている。
急な斜面を下る所では、そちらにもこちらにも歩くのに良さそうな足場がある。だがその先は、行き止まりってこともあって、木上りならぬ木降りになる。踏みつけた腐った倒木が落ち葉とともに滑り落ちる。バランスをとって転ばないようにする。気が抜けない。地図上ではこの方向に林道の末端があるはず。ガイドブックはそれより手前の、高圧線の下に出る前に林道に出逢うと書いていた。地理院地図より後に林道が延びたのだろうか。でも、下の方は、深い谷にみえる。空を見上げると杉の葉の間に高圧線が走っている。もう出合ってもいいはずだのに。
立ち止まって暗い谷をみていると、目が馴染んできて、谷の様子が見えるようになる。沢筋と思われる向こう岸に、緑の苔と草に覆われた平たい所があると気づく。ああ、あれが林道だ。こうして林道に降り立った。ガイドブックのコースタイムより20分早い。地図に記された林道に出ると、さすがにしっかりとした設えになっている。両側は、相変わらず杉林。途中で「不法投棄監視パトロール」と車体に書いたバンが止まっている。誰も乗っていない。周りは大きく開け、木の切り出しが行われている。伐採の大きな重機が通るのか。ついでに植林もしているのか。陽ざしが明るく差し込んでいるが、人影は見えない。
さらに降ると、3メートルほどに切った丸太を積み上げて干している。その山がいくつか見える。こうして何年か乾かして製材所へもっていくのか。民家が出てきた。誰かのアトリエもあるのか、案内看板が立てられている。後からバンがやって来た。あの「訃報と機関紙パトロール」だ。なかに6人ほどの人が乗っている。皆さん若い。前方からトラックがやってくる。これは丸太の積み出しを行うのか。
おっ、釣り堀に出た。大きい。広い沢水をためた池にマスだろうかイワナだろうか、テカリの入った黒い身を寄せてたくさん泳いでいる。ベンチもあり、食堂風にもなっている。奥の方に人影が見える。私はまだお昼を食べていないのに気付く。11時半。
奥の人に「イワナを焼いてもらえる?」と訊ねる。
「いいですよ、どうぞ」
「お弁当も食べたいのだけど」
「どうぞどうぞ」
というわけで、食堂の中に入る。炭火が焚かれている。串に刺したイワナをもってきて炭火の脇に立てかける。塩を振っているが、イワナはまだ尾びれを揺らし体をくねらせている。ずいぶん大きい。そういうと、「焼くと小さくなります」と、申し訳なさそうに応える。
60年配のお母さんが入ってくる。イワナの焼方を手ほどきする。なるほど、この人はお嫁さんらしい。羽賀場山に上ったと知ると「何かあるんかい?」とお母さんは訊ねる。
「ここら辺の人は上らんよ。皆東京の方から来た人ばかりだね」という。
栃木百名山にもなっているのは、栃木県の広報戦略か。地元に人にとっては林業の杉山として大切にしているだけで、上り歩く山ではないらしい。ま、そうか。そういう里山があっても不思議ではない。
イワナの炭火焼きは美味しかった。串刺しのそれを見たときは、済まないことをしたかなと思ったが、塩のたっぷりついた皮をはがしてみると、白い身が湯気を立て、ちょっと青い感じの香りを放つ。口に含むと、やわらかい舌触りが口の中でほぐれる。丁寧にほぐして目玉も食べてしまった。
コロナが広がってから、釣り人が増えたそうだ。ことに日曜日はいっぱいになるという。明日で学校もお休みだから子どもたちも来ますよとうれしそうだった。
30分程でお昼を済ませ、車を置いた長明寺に向かう。12時半着。4時間10分のコースタイムの行動時間がほぼ4時間。歩行時間は3時間半。まずまずの年末山行となった。
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