昨日(12/4)の朝日新聞「パンクしない保健所」は、墨田区保健所長へのインタビュー記事。コロナウィルスと共生する基本を示して明快である。
これまでは、感染源(クラスター)をひとつひとつを明らかにし、そこを封鎖してウィルスをつぶしていくという方法であった。カラオケだ、キャバクラだ、夜の町だ、集団会食だと犯人探しをしていく。だが、陽性者が素直に聴取に応じないとかウソをつくとかして、感染経路不明が多くを占める。クラスターの具体的な公表もしない。そのうちどんどん広がってしまった。メディアの報道に頼るしかない私たち庶民は、若い人たちには無症状者が多いこともあって、何処にウィルスが広がっているのかわからない状況に置かれる。結局、高齢者と持病持ちは出歩かないようにするといった自衛策しかないと肝に銘じるのが関の山だ。政府も、それしか手がないような口ぶりである。
他方で、経済活動を止めないために、go-toトラベルなどのキャンペーンが張られる。それらはどう考えても、暮らしの基本をさておいて、お金の散財をすすめ、金銭勘定できる社会活動の一部しか視野に入れていない。あとは自己防衛という放置状態。行政なんてどこにもないとみえる。
ところが墨田区保健所長は、感染源がどこかを探るよりも、広く一斉のPCR検査をして早い段階で感染者を割り出し、(無症状者の)自宅療養などを含めて隔離し、集団感染の拡大を防ぐことを提案している。提案しているというよりも、墨田区ではその方法をとっているというのだ。
記事のインタビュアーは、そんなことは(1)検査数が多くてむりではないか、(2)感染者が増えて保健所が対応できないのではないか、(3)患者が急増して医療崩壊になるのではないかと疑問をぶつける。
それに対して次のように答えている。
(1)’抗原検査も含めて「ちょっとのどが痛い」程度で検査を受けている。無症状の陽性者も見つかるので、知らない間に感染が広がったり重症化したりすることを防げる。
(2)’保健所以外の発熱外来の医療機関を公表し、早期受信を可能にして保健所へ集中するのを拡散している。つまり保健所と医療機関が役割の棲み分けをする。
(3)’陽性者を掘り起こすことになるが、早い段階での隔離で対応できるから、自宅療養をふくめると医療機関の負担は限られる。
クラスターを調査するときに「(自分の行動経路を)覚えていない」人がいるのもよくあることとみているとか、感染者が出た施設名も公表し、区民が危機意識をもてるようにするといった、人間への見立てがふくらみを持っている。
また、保健所が地域医療のセンター的な役割をすると位置づけがはっきりしている。保健所は情報分析と物資の調達に関して地域医療機関に資すると、私たちにとっては雲がとれたように明快である。
インタビュアーは、墨田区保健所長の取り組みは政府や都の施策への批判につながると言わせたいようであるが、保健所長はやんわりと、第一波、第二波と第三波の違いを取り上げていなしている。この応対が好ましいのは、施策の批判をしても何の役にも立たないという現場下士官の矜持が感じられるからだ。
世界はワクチンがいよいよ接種されると期待をつないでいるが、半年先のそれよりも、まず、いまの自衛策をどうつづけるかに役立つ対応を行政が行ってくれることだ。それは、墨田区保健所の対応が明快に感じられることと重なる。
(a)「ちょっとしたのどの痛み」程度でPSR検査をしてくれること、
(b)陽性者が出たらともかくその(学校でも会社でも施設でも)集団で一斉にPCR検査を行って感染者の早期発見につなげること、
(c)なんでもかでも保健所へというのではなく、発熱外来の医療機関を公表して、何処へ行けば診てもらえるかわかること、
(d)感染していれば(症状に応じて)隔離するにしても、どこでどうするかがわかること、
(e)状況を公表することで何に用心したらいいかわかること、
(f)何よりも、人は(記憶も対応も)いい加減であると前提して施策を立てていること。
これらが、ちゃらんぽらんな人間にとっては、安心の基盤になる。しかも都市封鎖のような形で、経済活動を止めることもない。半年それを持ち応えればワクチンも使えるようになってwith-コロナの社会生活がはじまるということが実感として感じられる。中央政府や地方政府がこのようなスタンスをもってコロナウィルスに向かってくれればいいと願わないではいられない。
現場下士官に、このような視線が保たれていることは、まだ日本の社会は捨てたもんじゃないと思えるから、うれしいね。
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